11 朝の食堂棟にて
フラットAではじめて迎える朝は、清々しいものだった。
目を開いた瞬間、私の五感は様々な刺激にふるえたのだから。
朝日、鳥の声、窓を開ければ深い緑の香、夏の匂い……
そして壁には、真新しい制服。
私は、窓から入ってくる朝の爽やかな風に髪を揺らしながら、二着ある制服のうちライトブルーの方を選び、朝支度を整えた。
昨日の優しい隣人からのアドバイスに従い、髪は編み込んでまとめることにした。
一番楽でお気に入りのスタイルだ。
昨夜は夕食もとらずにベッドに入ったわけだが、今朝はもうすっかり時差ボケもどこかへ消え去っていて。
だがそのせいで実家の両親に無事着いた連絡を入れるのを失念してしまい、今日はどこかのタイミングで電話をかけるつもりだった。
ただ実家とは時差を考慮する必要があるので、いつの時間帯がベストなのか決めかねているのも事実だった。
そうこうしているうちに食堂棟が開く時刻になり、私は若干の緊張感を携えながら部屋を出たのだった。
一番はじめに顔をあわせたのは、円城寺君だった。
私は今日も可愛らしい円城寺君に迷わず声をかけた。
「おはよう、円城寺君」
「ああ、おはよう。よく眠れたの?」
ちょっと澄ました言い方だったが、真っ先に体調を訊いてくれるところに、私は円城寺くんへの好感度を高めていく。
「ぐっすり。心配してくれてありがとう」
「な…っ、別に心配なんかしてないよ!ただ、時差ボケは僕も何度も経験あるから、ちょっと気になっただけで……そ、それより、なにさ、その格好」
「格好?」
私は自分の姿を足元から背中まで見える範囲で確認するも、特段おかしな点は見当たらない。
すると円城寺君は「せ・い・ふ・く!」と、口を大きく動かして発したのである。
「ああ、円城寺君は女子の制服見るの初めてなんだよね?
「そういう意味じゃないよ!」
「制服……だめだった?」
「だめじゃないけどさ!寮内は私服でいいんだよ。今日はまだ夏休みなんだから、そんな日の朝に制服なんか着て食堂棟に行ったら、堅っ苦しいじゃないか」
なるほど。確かに円城寺君はハーフパンツにポロシャツという出で立ちだ。
ほどよくちゃんとしたなルームウェアといった感じだろうか。
だが制服がある以上、私は、人の目がある場所に赴く際はなるべくその服装でいるべきと考えた。
なぜなら私は、この学院で唯一の女子生徒なのだから。
昨日栗栖君の発言にもあったように、私の選んだ服装ひとつで彼らの注目を集めてしまうことも考えられる。
だが制服の場合、文字通り制定された服装なのだから、慣れてしまえばよけいな注目で他の生徒達の気を散らすこともなくなるはずだ。
でもそれは、今ここで円城寺くんに打ち明ける話でもない。
彼とはもっと、楽しい話題を広げたかったから。
「ごめんね、荷解きがまだ終わってなくて」
「あ、そっか。館林、昨日は早く寝ちゃったんだもんね。そんなに荷物たくさんあるわけ?」
「ううん、こちらで調達できそうなものは持って来てないから、そんなにはないんだけど……」
「じゃあ、買い物に行かなきゃ。ネット注文もできるけど、すぐ必要な物もあるんだろう?」
「そうなの。あとでこの近くのお店の事、色々教えてもらえるかな?」
「んー、教えるのはいいけど、なんだったら、僕が一緒に行ってあげようか?」
フラットAを出て食堂棟に歩きながら、円城寺くんが思いがけない申し出をしてくれた。
「すごく助かるけど、いいの?」
「いいよ。街を案内してあげる。僕、昨日見てて思ったんだ。館林と一緒にいると、もれなく僕も可愛い度が上がってそうだって」
すごいでしょ?
いいこと気付いたでしょ?
そう言いたげな円城寺君に、ここまで素直だともはや愛しさ以外の感想を振り切ってしまいそうだと思いながら、私はさり気なく周りに意識を配った。
ちらちらと私達を見てくる生徒もいたけれど、円城寺君は平然としている。
昨日の栗栖君の話では、円城寺君は学院内でアイドルのような扱いを受けているそうだから、みんなから見られるということに慣れているのかもしれない。
食堂棟に入ると、その場にいた全員と言ってもいいほどの視線がこちらに集まってきたのに、円城寺くんにはそれすらも涼しい顔で受け流してしまうのだ。
その堂々たる様は、可愛らしいというよりも格好いいと感じた。
私は円城寺君に先導される形で食堂の朝食ビュッフェの列に並んだ。
「朝食とランチはビュッフェが多いんだ。数年前までは夕食と同じように完璧に栄養計算されたメニューを一人一人に配膳してたんだけど、アレルギーとか食べ残しの問題もあるからって、京極先輩がビュッフェスタイルを提案したんだよ。京極先輩は先生方にも一目置かれてるからね、すぐに採用されたよ。一応、夜だけは朝と昼で不足しがちな野菜多めのメニューになってるけどね。館林、好き嫌いは?」
「特にはないかな。でも、コーヒーも好きだけど、紅茶があればやっぱり紅茶の方を選んでしまうかな」
「へえ、イギリス人だね」
「一応、パスポートは日本のものなんだけどね」
「”心” の話だよ!心はイギリス人ってこと!」
「そういう円城寺君は?好き嫌い」
「苦手な食べ物はあるけど、館林には教えないよ」
いかにも円城寺君らしい答えが返ってきたところで、私達はそれぞれに選んだ朝食をトレーに乗せて手近なテーブルに落ち着いた。
昨日はエントランス付近までしか入ってなかった食堂棟だが、外観の美術館のような印象そのままの雰囲気だった。
やりようによっては、そのまま映画ロケでもできそうな内装である。
奥の壁は腰高から天井部までの大きなアーチ型窓が一定間隔にあり、中央にはフラットAにあるものより更に大きな暖炉が備え付けられている。天井は高く、部分的には天窓になっていて、アーチ窓とあわせて降り注ぐ朝日のおかげでとても明るい。
横長の広い空間の真ん中に二列の長テーブルが並び、その両サイドには少人数で使えるテーブルセットがセンス良く配置されていた。
少人数用の席には一部がソファ席になっており、円城寺君は私をそのソファ席に促した。
座り心地は硬めで、それが食事には適していた。
「それで、館林は何を買いたいわけ?」
この席につくまでにも、大勢の視線が刺すように降り注いでいたが、円城寺君はまったく意に介さず、私との会話を続ける。
私は周りの騒めきも気にしながら、隣に座ってる円城寺君に向いた。
「日用品かな。ティッシュとか、ランドリー用品とか」
「だったら、僕の知ってる店を教えてあげるよ」
「ありがとう」
「いい店があるんだ」
「円城寺君のおすすめなら期待できそう。楽しみ」
「――と、いうわけだから!さっきから聞き耳立てて僕らの話を盗み聞きしてる人達!もういいかな?!いい加減やめてくれない?!僕達は午後になったら出かけるから!噂話はそのあとにしてよね!」
私の言葉を遮って、円城寺くんは突然天井を仰ぐような姿勢で叫んだのだ。
それは私にではなく、私達の後ろにいる大勢の学院生達に向けられたものだとすぐわかる。
私は横目で彼らの様子をうかがったが、皆一様にギクリとしたような俯きがちになっていた。
円城寺君が私を庇ってそんなことをしたのだとわかるけれど、では私はどういう態度でいればいいのか、その判断は迷うところだった。
結局、円城寺くんの次の行動を待つことにしたのだが、円城寺くんは「あー、すっきりした!」と満面の笑みでご機嫌を上向きにさせたのである。
「まったく、街に行けば女子もたくさんいるのに、なんで館林一人にそんなに騒ぐんだろうねぇ?」
昨日、それなりに騒いでいた円城寺くんを思い浮かべてしまった私は、曖昧な表情で応じた。
「館林も、あんまり外野がうるさかったら、ちゃんと言いなよ?あいつら、女子に免疫がないわけでもないだろうに」
「うん。でも、やっぱり女子受け入れには戸惑いや否定的な意見もあるんじゃないかな。交換留学生とはいえ、特に今回は急なことだったし…」
「そんなの、頭の固い古い考えの奴らだよ。何もすぐ明日から共学になるわけじゃないんだし、女子って言っても館林一人だけだろ?それで大騒ぎす…」
「よお、いつの間に二人はそんなに仲良くなったんだ?」
私と円城寺君の会話に割り込んできたのは栗栖君だった。
栗栖君の隣には、にこやかに笑顔を浮かべる京極さんもいた。
「おはよう栗栖君。京極さん、おはようございます」
「京極先輩!おはようございます」
「おい、俺は無視かよ。あ、おはよう、館林。もう時差ボケは大丈夫か?」
「もう平気。心配してくれてありがとう」
「館林さん、時差ボケだったの?」
「そうなんですけど、一晩休めばすっかり治ってしまいました」
心配そうな声をあげた京極さんに、私は元気いっぱいだといわんばかりに笑ってみせた。
「そうかい?それならいいけど。ところで、ここ、いいかな?」
京極さんが私の隣にトレーを置くと、栗栖君はその反対側、円城寺君の隣に腰をおろした。
「ちょ、まだいいって言ってないだろ?」
「もちろん、どうぞ」
私と円城寺君が同時に返事するのを見て、京極さんが「仲が良い」とクスクス笑う。
「昨日と髪型が違うね。それも可愛くて似合ってるよ。それで、今さっき、円城寺がずいぶんと格好いいことをしていたようだね?」
そう切り出した京極さんに、円城寺君は私に隠れるようにして唇を尖らせた。
「格好いいよりは可愛いがいいですけど…」
あくまでもそこに拘りたいらしい。
そんな態度は確かに可愛らしいけれども。
「お前は外見が可愛らしいんだから、中身が男っぽくてちょうどいいんじゃないか?」
「うるさいな!」
「この二人はいつもこんなだから、気にしなくていいよ、館林さん」
昨日に引き続き喧嘩口調の栗栖君と円城寺君は、仲が良いのか悪いのか、なかなか興味深い関係性に見えた。
けれど、栗栖君と京極さんが円城寺君のさっきの一撃をフォローしてくれたのは明らかだ。
彼らから見て、円城寺君は手のかかる末の弟みたいなものかもしれない。
「ところで、二人で街に行くんだって?」
「そうなんです!僕が館林を案内してあげるんです」
円城寺君は得意気に答えた。
「優しいな、円城寺は。館林さん、寮生活に必要な物を買いに行くんだよね?だったら、荷物持ちは必要ないかな?」
「荷物持ち、ですか?いえ、そんなにたくさん買い込む予定ではないのですが…」
京極さんが親切心で訊いてくれたのか、裏に何か意図があるのかは読めない。
昨日お世話になっておきながら、その気遣いを頭から疑ってかかるのもどうかと思うが、この人の生徒達への影響力はもう確認済みで、そんな人に多少の警戒心が芽生えるのは自衛本能と言っていいだろう。
だが京極さんの申し出を、円城寺君は素直に受け入れてしまうのだった。
「それじゃあ、京極先輩が荷物持ちしてくれるんですか?」
「俺が行けたらそうしたかったんだけど……。そうだ、栗栖、お前が荷物持ちして差し上げたらどうだ?」
「へ?俺?」
突然指名されて、栗栖くんは頬張っていたパンを慌てて飲み干した。
「……んんっ、…俺が荷物持ちですか?」
「今日は暇だって言ってたじゃないか」
「そりゃまあ、そうですけど……」
確かに、栗栖君の服装は、京極さんや円城寺君よりもさらにオフ感の濃いもののようにも感じる。
「あの、円城寺君も一緒に行ってくれますし、わざわざ荷物持ちに来てもらう必要はないかと思いますが……。栗栖君にも申し訳ないですし」
どう見ても乗り気ではない栗栖君に、私は大丈夫だという意味で笑いかけた。
ところが、それを受けた栗栖君が、なぜだか、「仕方ないな…」と前向きな態度に転じたのだ。
「何てったって俺は ”優しい人” って人種だからな」
昨日、ボストンバッグを運んでもらうのを遠慮した私に告げたのと同じセリフで、栗栖君は今日もまた荷物持ちを引き受けてくれたのだった。
こうして、私の吹月学院での2日目の予定が確定したのである。




