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LAST LORD  作者: トミ
第一章 旅立ち
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クライブの旅立ち3

 エールは軽快に山道を歩いた。流れの早い沢に掛けられた吊り橋を渡り、茂みを抜ける。草をかき分けて坂道を登ると、ほどなく視界が開け、清らかな水を湛えた泉が姿を現わした。セイレーネの泉だ。

 エールはほっと息をついた。道中危険な生物に出会うこともなく辿り着くことが出来た。ひんやりと湿った空気が、歩き続けて火照った頬に心地よい。

 エールは、泉の向こう側にある、石の扉や目をやった。泉のほとり、山道の終わる地点から半周ほど周った所に、セイレーネのほこらはあるのだった。

 入り口の石の扉の錠が外れている。クライブがまだ中にいるのだろう。エールは座って待つことにした。ほこらの内部には巡礼者しか入れない決まりになっているのだ。扉の前の石段に腰を下ろし、水面を眺める。

 泉の淵からは、水がさらさらと音を立ててリィネ川へと流れ出している。

 この泉を源流とするリィネ川は、リィネ村を通り、西の峠の下を流れ出る。エスト島の人々や色んな生き物を育みながら、コモルの森を抜け、草原を渡ったあと海に流れ出るのだ。その長い旅路へと思いを馳せながら、エールは水音と、透き通った水面にしばし心を委ねた。

 ゆっくりとした時間が流れる。クライブはなかなか出てこない。もしかしたらもう行ってしまったのかと思い始めたとき、扉の押し開けられる音がした。


「あれ、エールじゃないか。」


 分厚い石の扉から、クライブが驚いた顔を覗かせる。ずいぶんと機嫌が良さそうだ。


「クライブ!良かった。行き違ったかと思った。ずいぶん長く祈っていたんだね。」


 エールは服に付いた苔をはたきながら立ち上がった。


「ああ。この時しか入れないと思うと、堪能したくてさ。すごくきれいな場所だった。」


 クライブはほこらの方を振り返り、口元に笑みを浮かべた。


「ほこらの中にも水が流れていてさ、採光窓からの日差しを受けて、セイレーネの像の周りにゆらゆら水の影を映して輝いているんだよ!なんていうか…すごく神聖な感じがした。部屋の四隅に置かれた水晶ランタンが、淡く灯っていてね。きっとこの場所が魔力に満ちている為だろうな。エール、お前ならばその魔力を感じられるんだろうか。」


 クライブは子供のように頰を紅潮させ、楽しそうに話している。エールは兄のこんな表情を久しぶりに見た。


「いいなあ。私も早く見てみたい!」


 エールは羨ましげにほこらの扉を見る。少しだけ、入っちゃだめかな?


「焦るなよ。二年後なんてすぐさ。」


 クライブが笑ってエールの肩を叩く。ポケットから鍵を取り出し、ほこらの施錠をした。

 妹の恨めしげな顔を見て、クライブは噴き出した。


「ほら、そんな顔するなよ。迎えに来てくれたんだろ?さ、村に戻ろう。少しゆっくりし過ぎたな。」


 下りはあっという間だった。クライブはずっと上機嫌で、饒舌に喋った。この先の旅路へ期待を膨らませているようだ。


「覚えてるか?エール。初めて俺たちだけでほこらまで行こうとしたときのこと。ほら、そこの茂みからズガンゴートが飛び出してさ。慌てて逃げ帰ったんだよな。」


 覚えている。エールが十一歳のときのことだ。


「うん。帰ってからテルナさんに怒られたよね。ゲンコツされて。怖かったなぁ。」


 話しながら通りすがる際、くだんの茂みがガサゴソと動いた。二人ははっと息を飲み、身構える。が、のそりと出てきたのはケロググだ。ゆっくりと道を横切ると、流れに飛び込んで姿を消す。エールはほっと息をついた。


「なーんだ。ケロググかぁ。またズガンゴートかと思っちゃった。」


「俺もだ。…今回は泣かなかったじゃないか、エール。」


 クライブはニヤリと笑った。いつもエールをからかう時に見せる顔だ。


「もーっ!あれはもう五年も前のことでしょ!」


 エールが怒って叩こうとするのを、クライブがひょいと避けて駆け足になる。このお決まりのやり取りも、しばらくは出来ないと思うと、少し寂しく感じる。エールはそう思いながら兄の後を追ったのだった。

 採水小屋を過ぎれば村までの道は平坦だ。二人は泉で喉を潤すと、足を早めた。もう日は真上を回っていたのだ。もうすぐ東門に着く。その後、南門から旅立つクライブとはしばらくの別れになるはずだ。

 と、エールが行きにケロググと出会った付近で、クライブが何かを見つけた。川の淵、草むらに何かが引っかかっている。近づくと、小柄な山羊の死体だとわかった。角が川岸の草に引っかかっていて、体を川の中に投げ出している。


「こいつはズガンゴート…いや、リィネ山羊か。まったく、今日の家畜番は誰だ?」


 村で飼われているリィネ山羊はズガンゴートを家畜化したものだが、平地で干草や野菜くずを与えて育てている為、角も体格も小さめで、気性も大人しい。険しい岩肌と、その土地の岩質がズガンゴートを荒々しく育てるのだ。


「流れを汚したくないな。引き上げよう。」


 クライブは角を掴んで勢いよく引っ張り上げた。


「おっと!」


 山羊の体が思いの外軽く、草の上に放り投げる形になってしまった。

 見ると、リィネ山羊の死体は、えぐり取られたように腹部がなくなっている。

兄妹は顔を見合わせた。


「これって、ヴォルゴスがやったのかな?」


「いや、この咬み傷は…」


 背後で、水音がした。エールとクライブは弾かれたように身を翻す。


「アクジキだ!」


 二人が先ほどまでいた場所に、巨大な魚が飛び込んできた。びたんと着地すると、ヘビのように体をうねらせ、二人に向き直る。兄妹はそれぞれの剣を抜いた。

 黒いぬらぬらした皮膚に、魚にしては長い体。川から飛び出してきたそれはアクジキと呼ばれる肉食の魚で、リィネ村周辺で最も恐れられている生物だ。非常に貪欲で、動くものにはなんでも飛び掛かり、喰らいつく。口内には、細かいギザギザの歯が円を描くように二重に並んでおり、獲物の肉をえぐり取って食べるのだ。体に対して異常に大きな口が、その貪欲さを物語っている。

 アクジキは瞼のない目を二人に向けた。その身体は粘膜で覆われており、少しの間なら陸上を動くことが出来る。アクジキは、ヘビが飛び掛かる時のように、体をくねくねと曲げ、身を縮める。

 エールとクライブは、剣を構えて臨戦体制を取った。アクジキは魚らしく表情に乏しい為、行動が読みにくい。どれくらいの視野があるかも不明だ。


「こんな村の近くに出るなんて、聞いたことがないよ!」


 焦るエールにクライブが叫ぶ。


「話は後だ。やるぞ!」


 クライブはアクジキを中心に、エールと反対側になるよう弧を描いてゆっくり足を運んだ。的を分散させて、集中させないようにする狙いだ。

 アクジキがエールの方に顔を向けた。すかさずクライブは半歩踏み出すと、その後頭部に向けて切りかかった。頭を斬り落とすべく、まっすぐに剣を振り下ろす。

 その剣が届くより先に、アクジキは体をバネのように伸ばして跳んだ。その身体は真っ直ぐに伸び、弦から放たれた矢のようにエールに襲いかかる。


「エール!」


 クライブが叫ぶ。

 エールはひるまなかった。僅かに身を屈め、剣を突き上げた。エールの顔すれすれをアクジキの牙が通り過ぎる。


「やああ!」


 エールは力を込め、気合の掛け声と共に前方に剣を振り抜いた。

 びたん!アクジキが地に落ち、狂ったようにのたうち回る。頭の後ろから、きれいに二枚におろされていた。

 クライブが素早く近づくと、脳天に剣を突き立ててトドメを刺した。

 アクジキの体は一度びくんと跳ね、ぱたりと地に落ち動かなくなった。

 脅威が過ぎ去ったのを確認すると、兄妹は、ふーっと息をついた。エールは麻の布を取り出し、剣を拭う。うわ、ねばねばする。


「さすが、リィネの剣。すごい斬れ味だな!」


 クライブが惚れ惚れするようにエールの剣に目をやる。


「剣だけじゃなくて、私のことも褒めてよ。」


 エールは冗談めかしてそう言った。


「わかってるよ。いい一太刀だった。」


 兄も笑って答えたが、つと真面目な表情になると呟いた。


「それにしても…。」


 クライブはアクジキの死骸に目をやる。


「この道に、こんなやばいやつが出るなんてな。出会ったのが俺たちで良かった。山羊は可哀想だったけどな。」


 エールも同じことを考えていた所だ。


「この辺は村の子供達が山菜採りに来ることもあるんだ。帰ったらすぐ村長に報告だな。旅立つ前に一仕事できちゃったよ。」


 二人は足を早めると、村へと急いだ。

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