祭りの夜3
祭り広場は大変な賑わいだった。村人達はエールを見つけると、口々にねぎらう声を掛けた。その度に、幾度目か知れない決勝戦の話題で盛り上がるので、広場の中央に辿り着くまでにずいぶんとかかってしまった。
広場の真ん中の舞台で楽しく音楽を奏でているのは、ミーア族の楽団だ。ミーア族は長身で細っそりとして、しなやかな身体の獣人族で、ピンと立った長い耳に、長い尻尾が特徴だ。
全身はキース族と同じく毛に覆われているが、がっしりとした体格のキース族に対して、スラリと長い手足をしている。短毛の者が多いようで、艶やかな毛並みをしている。ぶちや縞模様等、と一人一人違う模様があるが、これはミーア族の伝統的な化粧なのだという。
彼らは古くは狩猟を得意とする荒野の民であった。今でも家族単位で狩りを生業にする者が多いが、最近では他の種族の村で暮らしたり、各地を転々としながら単独暮らしをする者もいる。きままで自由奔放な種族なのである。
広場で出会った楽団の彼らは町から村へと、十人ほどのグループで荒野を旅しては芸を披露しているそうだ。音楽も奏でれば、曲芸のようなこともするらしい。身軽なミーア族らしい仕事だと言えた。
その楽団の歌い手が、剣術大会の優勝者を見つけて、即興でエールを讃える歌を作ってくれた。皆は盛り上がったが、エールは恥ずかしさで恐縮しきりだった。
そして音楽を楽しむのもそこそこに、やっとのことで食べ物の屋台へ逃げ込んだである。
そこでも、酒が入って陽気になった爺さま達が優勝者にご馳走したがったので、エールはすぐお腹いっぱいになってしまった。
さすがに疲れて、ほどほどで切り上げることにした。広場を離れ、川のほとりを歩く。夜風が火照った頬に心地良かった。
エールは遠くに喧騒を聴きながらのんびり歩いた。祭りも終盤になり、もうすぐ花火が上がる頃だ。満腹さのせいもあり眠くなってきてしまった。橋の上から花火を見たら、帰って寝よう。
そう考えながら、ふと下の土手を見ると、桟橋の上に人影があるのに気付いた。この辺りは松明も少なく、顔はよく見えなかったが、クライブだとわかった。兄は考え事をする時に、よくここで釣りをしたり、川を眺めたりするのだ。
エールは、急にいたずら心が頭をもたげてニヤリとした。ちょっと驚かせてやろう。そう思って橋の手前から土手を下り、そっと桟橋の方に進んで行った。
「優勝、逃しちゃったね。」
突然、すぐ近くで声がしたので立ち止まった。アスカの声だ。咄嗟に木陰に体を滑り込ませ、音を立てないよう注意しながら聞き耳を立てる。先程は暗くてわからなかったが、桟橋の手前にアスカが立っていた。こちらには気付いていないようだ。
「ああ、やっぱりエールには本気を出せないよ。」
クライブの声音はどこか優しかった。やはり兄は手加減していたのだ。しかし、エールは今は腹を立てる気持ちにはなれなかった。
「でも、本気でやってもエールが勝っていたかもな。あいつには、強い魔力がある。俺にはないものだ…。」
兄のいつもと少し違う雰囲気にドキドキしながら、エールは自分のつま先を見ていた。クライブは自分に魔力がないことを気にしていたのだろうか。彼はいつも落ち着いて自信に溢れていて、普段そんなことを全く感じさせないのに。実際、兄の剣の腕前は、魔力を持たないことを補って余りある…。
「ああ、でも剣はちょっと欲しかったな。テンガンさんの作の中で、リィネの剣は特に名剣なんだろ。巡礼の旅に持って行きたかったよ。」
アスカは黙っている。エールは木陰に隠れたまま、腰に下げた剣に目を落とした。アスカは今年のリィネの剣は自分が作ったことを、まだ言ってないのだ。やはりクライブに優勝して欲しかったのだろうか。
アスカが桟橋の方に歩き出す気配がした。エールが木陰から少し顔を出して覗くと、アスカはクライブの隣に立ち、並んで川を眺めていた。
このまま盗み聞きするのも悪い気がする。今ならそっと立ち去ればバレないだろう。エールは、そう思いながらも、二人のやり取りが気になってぐずぐずしていた。
しばらくの沈黙の後、アスカが話し出した。
「もうすぐ、巡礼の旅に出るのよね。」
「ああ。」
リィネ村では、村長が認めた剣士は、おおむね十八になる年の秋に、エスト島を一周する巡礼の旅に出る。
炎の精霊フリーディア、風の精霊シルフール、そして水の精霊セイレーネ。それぞれの精霊を祀ったほこらを巡る旅である。
三つのほこらは、ちょうど島に正三角形を描くように配置されている。南東の端にあるリィネを発ち、西のコモルの森にある風のほこら、北東のレンデの火山にある火のほこらを経て、最後にエスト島の北端にある真実の滝を目指す。
真実の滝は、かつて勇者が戦いに赴く前に洗礼を受けたとされる聖地だ。巡礼の旅の最後では、洗礼を受けるとも、己の旅の答えを示すとも言われるが、具体的に何をするのかエールは知らない。巡礼を終えたことのある大人達に聞いても、決まって同じことを言われるのだ。行けばわかる。と。
「長い旅になるよね。こんな昔の人が決めたしきたりに、意味なんてあるのかな…。」
アスカの呟くような言葉に、エールは少し驚いた。
リィネの剣士にとって、巡礼の旅は勇者の子孫である証明であり、力試しでもある。村人全員が旅に出る訳ではないが、エールは自分がいつか巡礼の旅に出ることに疑問を持ったことがなかった。
クライブは、そうだなあ、とのんびりとした様子で言った。
「俺には、意味があるのかどうかはわからないよ。でも疑って何もやらないより、まずはやってみようと思うんだ。村の外も見てみたいしさ。」
「ふーん…。クライブってさ、そーいう真面目なとこあるよね。」
「そうかな。」
納得しきれていないようなアスカの返事に、クライブは、少し笑った。
しばらくの沈黙。せせらぎの音の中に、ぽちゃんと魚の跳ねる音がした。土手の下には松明の灯りもあまり届かない。影溜まりとなっている木陰は肌寒くて、エールはぶるると震えた。二人は寒くないのだろうか。桟橋の下では、真っ黒な流れの中に星明かりがちらちらと瞬いている。
エールは急に、とても悪いことをしているような気がしてきた。何故、咄嗟に隠れるなんてしてしまったのだろう。
「クライブ、私ね…。」
突然、夜空に花火が咲いた。どかんと腹まで揺らすような気持ちの良い音が響く。
「お!花火だ!今年のはでかいなー!」
思わずといった感じでクライブが声をあげる。
「ああ、ごめん。アスカ、今何か言ったか?」
「ううん、何でもない。」
再び花火が上がった。一瞬照らし出されたアスカはクライブに背を向け、俯いている。
「花火で聞こえなかったんだ。もう一回言ってくれよ。」
クライブがアスカの顔を覗き込み、再び訊ねる。
「もう、何でもないったら!」
アスカの声が尖っている。
「何、怒ってるんだよー。」
「怒ってないわよ!」
突然、アスカはくるりと踵を返し、大股に歩き出したので、木陰から覗いていたエールは、アスカと正面から鉢合わせる形になってしまった。
ちょうど花火が上がり、暗がりに驚いた二人の顔を浮かび上がらせた。
突然目の前に幼馴染が現れ、アスカはぽかんと口を開けていた。しかし次の花火が上がるときには、顔を真っ赤に染め、口を真一文字に結んでいた。
「エールーッ!ちょっとー!いつから聞いてたのよーっ!」
アスカが叫ぶ。エールは。恥ずかしいやら、申し訳ないやらで、笑い出した。
「ごめんアスカ!盗み聞きするつもりじゃなかったの!」
頬をつねろうと伸ばすアスカの手をかわし、土手を駆け上る。
「こらーっ!待ちなさーい!」
追いかけてくるアスカはもう笑っていた。
花火が立て続けに上がり、土手の上を走る二人を影絵のように映し出す。二人の笑い声が澄んだ夜空に吸い込まれて行った。
クライブも声を上げて笑いながら、二人の後について歩き出す。祭りの夜は更けて行った。