外伝 アビの奮闘 前編
ある晴れた昼下がりのこと。うららかな日差しの降り注ぐコモル村の畑の脇に、一人の獣人族が立っていた。ピンと立った耳に長い鼻先、フサフサの尻尾を持ち、灰色と黒の毛色をしている。
彼の名前はアビ。背が高く、体格もがっしりしているが、まだ十歳の少年である。彼は獣人族のハーフで、ミーア族の長身とキース族の体格をどちらも受け継いでいるのだ。
アビの父はコモル村のキース族で、畑仕事を生業としている。アビも、父を手伝って畑仕事をしている。
「うーん、うーん。」
今日も、普段ならクワを片手に畑を耕している所なのだが、今は腕を組んで仁王立ちし、独り唸っていた。目の周りの模様のせいで、激怒しているかのような見た目だが、憤怒に唸っているのではない。ただ目を閉じているだけである。
「お母ちゃん、何あげたら喜ぶかなぁ…。」
アビの母はミーア族だ。コモルのミーア族の多くは、数人のグループを作り、森の中のキャンプを移動しながら狩猟、採集をして暮らしている。アビの母もその一人であったが、父と結婚してからは、基本的にコモル村で共に暮らしている。
基本的に、というのは、今でも狩人をしており、時折獲物を追いかけて数日家を開けることもある為だ。昨日も、少し遠出すると言って帰らなかった。いつものことなので心配はしていない。
彼女の狩りの腕前はなかなかのもので、いつもお土産に小動物の肉や、木の実にキノコにと、たくさんの森の恵みを持ち帰ってくれる。ご馳走が食べられるので、いつも帰りを楽しみにしているのだ。
その母がもうすぐ誕生日で、彼はプレゼントを何するかで悩んでいたのだった。
「ううーん、やっぱり、食べ物かなぁ。」
彼は食いしん坊のキース族らしく、食べ物のプレゼントを考えていた。しかし、彼の手に入る食材で作れるものはコッツパイや肉の香草焼き等、いつも食べているものばかりだ。
それだってとても美味しいのだけど、大好きなお母ちゃんの、せっかく誕生日なのだ。特別に美味しいものを食べさせてあげたい。
そこへ、畑で作業をしていた父が声をかけた。
「おーい、アビ。何ぼんやりしとるんだー??」
父は朗らかに笑いながら、腰をさすりさすり背伸びをした。キース族らしく、背は低いががっしりと筋肉がついている。毛色は灰色と茶色のまだらだ。目の周りにはアビと同じように、くまのような焦げ茶色の模様がある。ただし、強面に見られがちなアビと違って、丸顔の父は間の抜けた印象だ。性格もそれに似合ってのんびりしている。アビの優しい気性は父に似たのだろう。
「あっ!ごめんね、お父ちゃん。ちょっと考えごとしてて…。今手伝うよ!」
「いや、こっちは今日はそんなにすることないで、もう大丈夫だー。」
父はいつもののんびりした口調で言った。アビは、父のことも大好きだ。以前は、幼いながらに体格の良いアビに、強くなるに違いないと期待する大人達も多くいたものだ。しかし、気弱で、どんくさい彼は戦士にも狩人にも全く向いておらず、父と同じ畑仕事の担当におさまったのである。
そんなアビのことを、父は残念がることもなく、のんびりと笑って仕事を教えてくれた。
今は、その怪力は畑を耕したり、コッツの実を割ったりするのに発揮されている。戦いには向いていないが、力持ちではあるのだ。
「そういや、今日は広場にレンデの商人が来とるらしいぞ。」
父はこちらに歩きながら、手に付いた泥をズボンでごしごし擦った。その手をポケットに入れると、チャリンと気味の良い音が鳴る。
「お前も行ってくると良い。ほれ、小遣い持ってけ。」
そう言いながら、アビに数枚のコインが入った小袋を渡した。
「わあ、ありがとう!お父ちゃん!」
アビは目を輝かせてそれを受け取ると、飛び上がって喜んだ。少年がどしんと着地すると、畑の脇の柔らかい土に足跡が残った。
大喜びする息子を見上げ、お父ちゃんはニコニコと頷いている。この為にわざわざお金をポケットに忍ばせていたのだろう。
普段、コモルの村ビトはお金を持ち歩くことはない。村の中でお金を使う機会はないからだ。食事は食堂でみんなで食べるし、生活に必要なものは作ったり、貰ったり、交換したりする。
各自、長老から貰ったお金を、いくらか家に置いているだけだ。唯一お金を使う場面は、よその町の商人から買い物をする時、つまり今日である。
アビは手早くクワを片付けて歩き出した。よその町からの商人は、森にはない珍しいものを持ってくる。交易品を卸した後は、広場に露天を開いてくれるので、好奇心旺盛な子供や若者達は楽しみにしているのだ。
そうだ。美味しそうな食べ物があったら、それを買ってお母ちゃんのプレゼントにしよう。そうしよう。そう思い立ったら嬉しくなって、アビは尻尾を揺らし、ウキウキと広場へ急いだ。
思った通り、広場は賑わっていた。若者や子供達を中心に、大きな布を広げた上に並べられた、様々な商品を眺めている。
「こんにちは!」
皆の中に混じりながら、アビは挨拶をした。布を巻いたような帽子を被った商人の男は、彼の方を見るとぎょっとした顔をした。初めてアビを見るヒトは、大体このようなリアクションをする。当のアビは毎回不思議に思うのだが、無理もない。彼がでっかくて強面で、怖い(ように見える)からだ。
「あ、ああ。こんにちは、大将。いらっしゃい!」
しかしそこは商売人、すぐに笑顔を作って愛想良く挨拶を返した。平原のヒトは大抵キース族より細いけれど、彼はその中でもかなり細身な方だろう。若そうに見えるが、顎に髭を生やしているから見た目より年上なのかもしれない。平原のヒト達は、ぱっと見て年齢がわかりにくい。
アビは、彼の言う大将の意味がわからなかったが、目の前にあった瓶が気になって、それを手に取った。
「これは何?」
瓶の中には、赤っぽい粉が入っている。鼻を近づけると、少しピリリとした。
「お、お目が高い。それはレンデで栽培している木の実や乾燥した植物を粉にして作ったスパイスです。少し辛いですが、料理に入れると美味しいですよ。」
アビはふんふんと頷いて聞いていた。辛いのか。それはいいかもしれない。確かお母ちゃんは辛いものが好きだったはずだ。
キース族は甘党が多く、村の食堂で辛いものが出てくることはあまりない。アビも父も甘いものが好きなので、お母ちゃんは時たま辛めの味付けの干し肉を、一人齧っていることがあるのだ。
「スパイスを買われるのでしたら、これもおすすめですよ。小麦粉と混ぜて生地にすれば、もっちりした食感の美味しいパンに焼き上がるんです。辛い料理に良く合いますよお。合わせて買って頂けたら、作り方のレシピもおつけします!」
考えている様子のアビに、商人は後押しするようにスラスラと売り文句を並べた。それをアビはうんうんと頷いて聞いていた。初めて作る料理なのだから、レシピを貰えるのは良いなぁ。
「合わせて、いくら?」
早くも購入を決めそうなアビに、商人はニコニコして金額を教えてくれた。
しかし、それを聞いたアビは腕を組み、仁王立ちをすると、うーんと唸った。怒りを堪えている訳ではない。手持ちのお金でこれが買えるものかどうか、必死に計算していたのである。
普段、お金の単位を考えることは少ない。銀貨と銅貨、それぞれ一枚いくらだったかしら。
「は、はは…。じゃあ、ちょっとオマケしてこれくらいでどうです?」
アビの唸り声をどう捉えたのか、商人の男が弱々しく言った。何故か冷や汗をかいているようだ。
どうやら値引きをしてくれたらしい。優しい。そう思いながらも、アビはまた眉間にシワを寄せ、むむむと唸った。頭の中での計算をやり直さなければならなかったからだ。ええと、コインが何枚あればいいんだっけ?
「わ、わかりました。では、端数は値引きしましょう。これでどうです?」
彼の考えがまとまる前に、また男が言った。きっと、計算の苦手なアビの為に、わかりやすい金額にしてくれたのだろう。なんていい人なんだろう。
「ありがとう!」
アビはそう言って、男にニッコリと笑いかけた。男はぎこちなく、へへへと笑った。その脇が汗でべっしょりと濡れている。
今日はそんなに暑くないはずだけど、平原のヒトは汗かきだからなぁ。そう思いながら、アビはコインの袋を開けた。さっき聞いた値段だと、多分、銀貨二枚。だと思う。
コインを取り出し、商人に渡す。商人の男の手は骨張っていて細く、毛むくじゃらのアビの手の半分くらいしかないように見えた。
「あ…。」
こわごわとそれを受け取った男が声を出した。あれ、計算を間違えたかな。
「少ない?」
心配になったアビは、男の手のひらを覗き込むように頭をずいと寄せ、訊ねた。
「ひぃ!いえいえ、大丈夫ですよ大将。いやいやいや、お買い物上手ですねえ。あはは、は…。」
商人は引き立ったように笑うと、買ったものをものすごく手早く布で包んでくれた。その手際の良さにアビは感嘆する。やっぱり、平原のヒトは器用だなあ。
「どうもありがとう。」
「いえいえ、またどうぞ、大将!」
商品を貰い、丁寧におじぎをして別れた。嬉しい気持ちで包みを抱えると、スパイスのピリッとした香りが鼻をついた。
本人は知らないが、半額以下の値段で買い物をしたアビは、ずしんずしんとスキップを踏んで歩いた。お母ちゃんは今日の夕方には帰ってくると言ってた。食堂のお鍋を借りて、早速料理に取り掛かろう。そう考えながら、楽しい気持ちで食堂へと向かっていった。
「はーーー…。」
商人の男は、今しがた買い物を終えた客の背中を見送ってから、長いため息をついていた。
彼はまだ商人になったばかりだ。身体が細くて貧相に見られるのを気にしていて、なんとか貫禄を出そうと髭を生やしては見たが、まだまだ半人前だ。今回だって、商品をこんなに安く売ってしまったことで、後で先輩に怒られてしまうだろう。しかし、それよりも…。
「はぁ、食われなくてよかった。」
今日のところは、でかくて怖い獣人の客の相手を、なんとか笑顔を絶やさず切り抜けられた自分を褒めてあげようと思ったのだった。




