エピローグ
緩やかな風が吹いていた。森の奥深く、円形に開けた広場の中央で、精霊の木は艶やかな銀に輝いている。空が白むにつれ、月明かりは薄れ、夜光石の灯りも淡くなっていく。薄緑色の朝もやの中に、微かに木の葉の擦れる音が聞こえる。
シルフールの広場を囲む高い木々の一本。その上に一人のキース族の老人が座っていた。長い木の杖を持ち、つばの広い緑色のとんがり帽子を被っている。萌黄色の鮮やかな色の外套を着ているが、朝もやの中、くすんだ緑色に見える。
彼は太い枝の分かれ目に、木のこぶのように座っている。眼下のシルフールの広場では、せわしなく動くヒト影があった。キース族の少年のようだ。老人は、その少年を見ているのだった。
少年は黒毛で、ピンと立った耳にきゅっと巻いた尻尾をしている。だが疲れているのか、耳も尻尾も、少しくたびれた様子だ。戦士の装束をしているが、今は武器はもっていない。彼は草の上に落ちていた鎖を拾い上げ、ほこらに錠をかけようとしているようだった。
一人では重労働なのだろう。少し手間取っているようだ。彼が鉄の鎖を回して錠をつけるまでの間、老人は厳しい目つきで風のほこらを見つめていた。その間、扉はびくともしなかった。
錠をかけ終えると、少年は大きな石の扉を見上げた。だがそれも数秒で、彼は気合いを入れるように自身の顔を叩くと、すぐに森の中へと駆け出して行った。
老人はしばらく枝の上に腰掛けていたが、ふいに首を垂れた。そして、前のめりにぽろりと落ちるように枝から飛び降りた。
ふわりと風が吹き、緩く滑らかな風が木々の肌を撫ぜた。さらりと優しい葉音がする。
次の瞬間、老人はシルフールの木の梢に立っていた。精霊の木は大木とはいえど、先端は細く、しなやかだ。いくら老人が小柄でも、ヒトが立ては普通は折れてしまうだろう。だが、彼はまるで小鳥のようにその頂きにとまっているのだった。
彼は少しかがむと、足元から一枚の葉を取った。そして、艶やかな鳥の羽のようにも見えるそれを、頭上に掲げた。数秒後、葉がぴかりと白く光った。朝日が射したのだ。
老人は朝日を映して輝く葉を、ゆらゆらと動かした。すると不思議なことが起こった。
葉の表面を照らしている日の光が、すべり落ちるようにはらりと落ちたのだ。一枚、また一枚と、木の葉の形をした輝きが、風のほこらへと降り注いでゆく。
その様子はまるで、老人が木の葉で朝日をすくって、撒いているかのようだった。
輝きはほこらの周りにゆっくりと落ちてゆき、地面に吸い込まれるように消えていった。それを確認してから、彼は指で労うように葉を撫で、静かに落とした。そして何事か呟くと、ふむふむと頷いた。朝の太陽は、今や老人のもじゃもじゃの頬にも光を投げかけている。
彼は、ふと思い出したように外套をめくってごそごそやると、胸元からペンダントを引っ張り出した。
「なに、約束を違える訳ではない。ただ、小僧どもに、木の実の礼がまだだっただけよ。」
老人はそう言ってペンダントを見つめた。麻の紐の先に付いているのは涙形の水晶で、透明な中に青、緑、赤色の輝きが混じり、なんとも言えない美しい輝きを放っている。朝日が水晶を貫き、老人の乾いた手のひらに水面のような光を投げかけている。
その水晶の表面には、リィネの紋章が刻まれていた。




