友3
暗い森の中を、パウロは悪戦苦闘しながら進んだ。巨木の森を抜けると、一転して低い木や草が多く茂った道を通る。それらをかき分けながら歩む自分は、一昨日の長老に負けないくらい葉っぱまみれになっているだろう。
静かな夜だった。自分の息遣いがやけに大きく聞こえる。葉擦れの音や虫の囁きさえ聞こえない。まるで森全体が息を潜めているようだ。草につまずき、茂みにぶち当たって進む自分がことのほかうるさく感じ、パウロは大きな音を立てる度に不安になるのだった。
掃除の日に戦士達が通ったにおいが残っていたのが幸いだった。それを頼りに獣道を探して、彼はやっとのことで風のほこらにたどり着いたのだった。
シルフールの木がある場所は、深い森の中にも関わらず、不思議とぽっかりと空が開けている。周りの木々がほこらを守るように取り囲み、円形の広場のようになっているのだ。
ちょうど、月が真上にあるようだ。青い夜の中、精霊の名を冠する木は月明かりを受け、真珠のように輝いていた。入り口の石畳の夜光石が薄緑色に淡く輝き、広間を幻想的に染め上げている。
暗闇の下から出てきたばかりのパウロは、一瞬、どきりとした。いつの間にか精霊界に迷い込んでしまったのではないかと思ったのだ。今更ながら、ここが神聖な場所であると強く感じた。
ほこらの入り口に歩み寄ると、鎖が外されていて、大きな石の扉には、ヒト一人が通れるくらいの隙間が開いている。
パウロは鼻をひくひくと動かすと、彼が探している親友の臭いを感じ取った。まだ時間が経っていない。間違いなく、サブが開けたのだろう。彼は大きく息を吐くと、自身も扉の隙間から中へと体を滑り込ませた。
ほこらの内部は、当然ながら真っ暗だった。足元どころか、自分の鼻先さえも見えない。しかし地面は平らで、森の中よりいくぶん歩きやすいように思えた。
確か、緩やかにカーブした一本道だったはずだ。壁沿いに手をつきながら歩き出す。石の壁と、足の裏に湿った硬い土の感触があるのが頼りだ。それでもパウロは時折、自分がちゃんと前に進んでいるのか不安になるのだった。
少し進むと、右手にでこぼこした感触がした。確か、キース族のレリーフが掘り込まれていた筈だ。初めてここを通った時のことを思い出す。もしもあの時、友人を一人にしなかったなら。ふとそんな考えが頭をよぎり、彼は首を振った。今は後悔している場合じゃない。
しかし、いよいよになって、一つ問題があった。サブを見つけたとして、それからどうするのか?少年は決めかねていたのだ。考えを巡らせてみても、全く思い浮かばない。友人が今どんな状況にあるのかも、よくわからないのだ。
祭壇で黒い炎に包まれていたサブの姿を思い返す。もし、またあのようなことになっていたら。そして考えたくないことだが、話が出来る状態じゃなかったら…。
自分は一体、親友の為に何ができるのだろう?本当に、一人でここまで来てよかったのだろうか。
杉婆に励まされ、勇気を出して走り出したのは良かった。しかし、じっとりとまとわりつくような暗闇の中にいると、不安な気持ちが湧き上がってきてしまう。
この道も、前回通った時よりもずいぶんと長く感じる。もしかするとこのまま、暗闇の中彷徨い続けるのではないかという気さえした。
その時、先にぼんやりと緑の光が見えた。シルフールの間が近い。
「精霊様、どうかご加護を…。」
光を見つめ、パウロは思わず呟いた。杉婆のお守りを握りしめ、考えがまとまらないままに終点へと足を進めた。
シルフールの間は、青緑色の光に彩られていた。壁の夜光石と、採光窓に嵌め込まれた宝石を通して入る月明かりが幻想的な空間を作り出しているのだ。もし精霊像が壊されていなければ、本物の精霊様と見紛ったかもしれない。
今、部屋の中央には、像の台座だけが残されている。その台座の前に、パウロは親友の姿を見つけた。あの日と同じに、こちらに背を向けて立ち尽くしている。しかし今の彼から紫の蒸気は出ていない。
「サブ。」
少しだけ安心したパウロは、勇気を出して呼びかけた。しかし、返事はない。
「サブ。オイラだよ。何やってるんだ、こんなとこで…。」
反応のない背中に、不安を募らせながら顔を伏せる。せめて、何と声をかけるかは考えておけば良かった。
「パウロ。」
ふいに返事が返ってきた。慌てて顔を上げると、サブが振り向いてこちらを見ていた。その瞳はどこか苦しげに伏せられていたが、パウロの胸には安堵が広がった。良かった。話が出来る。
さて、何から訊ねようかと思案するパウロが何が言う前に、サブが呟くように言った。
「ライカ婆さんに聞いたんだ。夜の足音が迫っている、って。」
「夜の?足音?」
突然の聞き慣れない言葉に、パウロは首をかしげた。夜は毎日来るものだ。だが足音を立てて来るなんて聞いたことがない。訝しげな彼の様子に構わず、サブは続けて言った。
「それで婆さん、それはどこから来ると思う?って聞くんだ。おれは…。もしかしたら…。」
そこで、彼は言い淀んでため息を吐いた。何か心当たりがあるのだろうか。しばらく考えるように黙っていたが、サブはふと思い出したように言った。
「そうだ、この前ここに来た時。精霊像が壊れてるのを、見て…。思わず駆け寄ったんだ。」
先程言い淀んだ言葉は気になったが、パウロは静かに聞くことにした。
「精霊像の、残った台座の所から嫌な臭いがした。下から湧き上がって来るようなさ。それで、近づいてみたら…。臭いがきつかったからかな、目眩がして…。」
「うん。」
サブは少しずつ思い出すように言葉を紡いでゆく。パウロは友人の言葉を聞き逃さないようにしながら、時折短く頷いて続きを促した。
「気がついたら、皆が追いついて来てて。すぐ大騒ぎになったし、大したことじゃないって、気にもしてなかったけどさ。」
語りながら、彼は迷うように頭に手をやり、ガシガシとかいた。モリカマキリとの戦いで切れ込みの入った耳が、ぴこんと跳ねた。
「なんで忘れてたんだろう。あの時…。声が聞こえたんだ。」
サブはうめくようにそう言うと、苦しげに眉を寄せた。パウロもまた、眉を寄せて反芻する。
「声?」
頭の中が疑問だらけで、混乱してきた。さっきから、サブが言っていることがわからない。長老や年配の戦士達や、もっと知恵のあるヒト達ならわかるのだろうか。
「そう、声…。その声…は…、う。」
「サブ?」
サブはふいによろめくと、両手で頭を抱え込んでしまった。
「サブ!どうした?」
パウロは思わず駆け寄り、友人を支えようとした。今にも倒れそうだと思ったからだ。
しかし。サブは突然身を起こすと、両手で強くパウロを突き飛ばした。そしてカッと目を開き、唾を飛ばして叫んだ。
「パウロ!逃げろ!」
「はっ?」
一体何から?当然のその疑問が頭に浮かぶが、それを訊ねるより先に、パウロは何かを理解した。
突き飛ばされながら、サブの顔を見ていた。親友は歯を食いしばり、鼻に皺を寄せている。怒っているのか、苦しんでいるのか、はたまたその両方か。しかしその眼の奥には気遣うような優しい光と、そして焦りがあった。
「にげろ」
彼はもう一度、祈るように言うと、かがみ込んだ。
そして、地を響かすような声で吠えたのだ。
「うおおおおおおおお!」
その声量に、思わずパウロは尻餅をついてすくんだ。遠吠えでもない。別人のように野太く、低い音だ。キース族にこんな声が出せるのかというような大音量で、腹の奥に響く雷鳴のようだった。
サブが吠えた瞬間、その身が蜃気楼のように揺らいだ。紫色の蒸気が彼を包むように立ち登り、親友の姿が暗く沈む。
サブの目は、もはや焦点があっていなかった。パウロが見ている間にその目は落ち窪み、瞳の色が見えなくなる。その虚ろな穴の奥が、水色にぼうっと光るのを見た。
パウロは、胸がぎゅうと締め付けられるのを感じた。はあはあと肩で息をする。
「サブ…。」
何が起こっているのか、わからなかった。ただ、それは恐ろしく、取り返しのつかないことであると感じた。
涙が溢れ、パウロの白い毛並みを濡らす。それを招いたのは、自分でもあるのだ。異変に気付いていながら、何もしようとしなかった。知ろうとしなかった。もしかしたら、この恐ろしい出来事を止められたかもしれないのに。
どろり。不快な臭いが鼻をつく。あの時のモリカマキリと同じだ。サブがこちらに顔を向けると、貫かんばかりの憎しみと殺意がパウロを圧倒した。
パウロは震えながら立ち上がり、手を背中の大ブーメランに伸ばした。そして覚悟など決められないまま、武器を構えた。




