畑荒らし3
突如、異形の者へと姿を変えた虫を前にして、若き戦士達は立ちすくんでいた。おぞましい姿へと変じた虫は、じっと二人を睨め付けている。瞳のないその複眼の奥底に、粘つくような殺意と憎しみが見えた。
前触れなく、空気が引き裂かれる音がした。虫が驚くべき速さでカマを振るったのだ。大カマの斬撃は、一歩分近くにいたサブに襲いかかる。
「サブ!」
パウロが叫ぶ。サブは反射的に剣を持ち上げ、辛うじて敵の斬撃を受けた。しかし、弾き返すべく力を込めた手に伝ったのは、予想外の手応えだった。
「うおおっ!?」
直感的に命の危険を感じたサブは、慌てて身をかがめようとして、すっ転んで尻もちをついた。その鼻先をぶうんと重たい風が横切る。そのまま何を確認する暇もなく、転がるようにして敵から離れた。手に持った武器が軽い。硬く重い木剣が、真ん中からすっぱりと切れていた。敵の一撃が耳を裂き、彼の頬を暖かい血が伝う。転んでいなければ、致命傷となっていたかもしれない。
ざわり、と首の後ろが逆立った。この生き物はやばい。二人の本能がそう告げていた。先程囲まれた時も修羅場だったが、今は程度が違う。
しかし、若く経験が浅いとはいえ、彼らはコモルの戦士であった。足を踏ん張り、それぞれに大きく息を吸い込むと、胸をいっぱいに膨らませた。
うおおおおーん!
二人は凄まじい声量で吠えた。コモルの戦士が戦いの前にする遠吠えだ。長く高く、呼応する吠え声は、恐れる心を鼓舞し、身体の奥底から戦意を湧き起こしてくれる。
ビリビリと響く大声を受け、敵の長く伸びた四本の触覚が、戦いの始まりに歓喜するようにうねった。大きなカマがゆらりと持ち上げられ、大顎がギチギチと音を鳴らす。
そのカマが振り下ろされる前に、二人は後ろ跳びに飛んだ。跳躍しながら口笛を吹き、風を呼ぶ。
着地すると同時に、パウロとサブは、武器を後ろ手に、並んで彼らの敵へと手のひらをかざした。
風の精霊シルフールの名の元に命じる…
風の魔素よ、矢となり槍となり、我らが敵を貫け!
渦巻く風が、二人の腕の周りに集まった。ぐるぐると回りながら、ひいひいと音を立てて空気が凝縮してゆく。細い竜巻と見えたそれは、やがて一本の槍となった。
「「はぁっ!!」」
気合と共に目に見えぬ風の槍が放たれ、真っ直ぐに女王カマキリの胸部を貫いた。否、魔法の風をもってしても、分厚く硬い装甲を貫通するには至らなかった。胸部の真ん中から右側にかけて傷をつけるに止まった。
それでも、二人の戦士の力を合わせた渾身の一撃は勝機をもたらした。敵の右のカマがだらりと下がる。異形となった今でも、虫の特徴は失われていない。カマを含めた六本の足は、全て胸部についているのだ。
二人は、そのチャンスを見逃さなかった。隙だらけの虫の右側へ素早く回り込むと、力いっぱい武器を振るった。サブが比較的柔らかいと思われる腹部へと斬りつけ、パウロは細い首の接続部を狙う。無論、武器に風の力を纏わせるのを忘れない。
戦士達の斬撃は、虫の腹を切り裂き、首を斬り飛ばした。パウロは歯を食いしばったまま、青緑色の血飛沫を上げて飛んでいく、虫の頭を見ていた。今度こそ、勝った。
女王カマキリの身体は、くすぶるように紫の蒸気を上げながら倒れた。どしゃん!と甲冑が倒れるような重たい音が響く。それを確認してから、二人も座り込んだ。肩ではあはあと息をする。こんなに連続で大技を放ったのは初めてだ。膝に力が入らない。
パウロは、同じく隣でへたりこんでいた親友と目が合い、口の端で笑い合った。さっきケンカしたばかりだってのに、オイラ達なかなかのチームワークじゃないか。
「危ない!」
突然誰かの声が響き、つむじ風が吹いた。白い影が七色と交差する。風に乗り、赤い花びらが舞う。
花びらと思ったそれは、びしゃりと音を立てて散り、周囲の草と、パウロの身体を濡らした。二人の若者は、一瞬何が起こったのかわからずに、ぽかんとした。
飛び込んできた白い影は、コモルの戦士だった。白い毛並みに、赤い羽の耳飾り。茶と薄緑の胸当てを付け、大ブーメランを携えている。彼は今、頭から血を流し、片膝をついていた。パウロは自身の白い身体についた鮮やかな赤を手で触わり、やっとそれが彼の血であると気付いた。
父の向こうで、頭を失った虫の胴体が動いていた。どす黒い甲殻の下から、七色にぎらつく羽がうねっている。残された片方のカマを持ち上げ、明確に意思を持っているかのように、こちらに向かってきている。その身体から再び黒い炎が立ち上り、あの嫌な臭いが立ち込めた。
「とうちゃん…!」
パウロは、思わず震える声を出した。白い戦士は背中を向けたまま立ち上がり、大ブーメランを構えた。そして返事の代わりに凛と張った声で風を呼んだ。
風の精霊シルフールの名の下に命ずる…
風の魔素よ、我が身に宿り、我が血となり骨となれ!
ひゅうと風が凝縮し、一瞬の間その場の空気が薄くなったように感じた。風の魔素がキッツを中心に集まり、渦を巻くのを感じる。戦士はつむじ風をその身に纏っていた。風になびく白い体毛で、その姿は白き炎に包まれているようにも見えた。
胴体だけのカマキリがカマを振り上げる。それと同時に、キッツが動いた。身をかがめ、地を蹴る。
次の瞬間、パウロは父が消えたかと思った。ふわりと風が吹き、パウロとサブの頬を撫でた。その優しさと裏腹に、目の前には高速で渦を巻く白い風があった。
白い風は、女王カマキリの胴体の周りをごうごうと飛び回っている。こんな時だというのに、パウロの目には白い風が楽しげに舞い遊んでいるように映った。
瞬きする間の出来事だった。風が止まった。白い風はキッツの姿になると、くるりと宙返りをして着地した。
その間、静止していたかに見えた女王カマキリの身体が、バラバラと崩れ落ちた。その全ての手足は全て分断されている。どうやったのか見えなかったが、キッツがやったのだろう。
「とうちゃん!」
パウロは、泣きそうになりながら叫んだ。震える足に、渾身の力を込めて立ち上がる。
「よぉ。無事か?」
振り返り、キッツは不敵に笑った。その顔の右半分が血に濡れて赤く染まっている。頭に縦に走る傷を受け、右目が潰れてしまっていた。
先の一撃で勝ったと思っていた。パウロは後悔を歯噛みしながら、父に駆け寄った。サブもよろよろ立ち上がり、彼に続く。うなだれる二人に、キッツは負傷を感じさせかのないように快活に笑った。
「ハハハ!心配するな、かすり傷だ。お前達のお陰で、楽に倒せたよ。頑張ったな。」
いつものように頭をがしがし撫でられながら、パウロは自分の無力さに悔し涙を流していた。勝ったと思い込み、油断していた。
しかし、無理もない。実際、彼らの攻撃は女王カマキリに傷を与えていた。散らばった女王カマキリの胸部はえぐれているし、腹部からは青緑色の体液が流れ出ている。頭を失くしてなお、あのように動く生き物など聞いたことがない。
その時、パウロはざわりと悪寒を感じた。見ると、すぐ足元に、女王カマキリの頭が転がっていた。事切れる直前の虫の目の奥が、ぼんやりと青白く光っている。その奥に、確かな憎しみを感じた。固まるパウロに、おぞましい憎悪と殺意を向けたまま、虫の瞳は輝きを失っていく。
コモルの戦士として狩りや討伐の仕事をする上で、幾度も生き物を殺めたことはある。自分と仲間が生きる為、この世界では自然なことだ。当然、それは相手にとっても同じことで、戦いになれば怒りや敵意を向けられることはある。しかし、このカマキリの瞳にあったものは、そのどれとも異質なものだった。
今のは一体何だ?パウロはもはや光を失くした虫の目を見つめ、戦慄していた。彼はこれまで、悪意というものを知らなかった。食べる為でも、生き延びる為でもない殺意、憎しみに初めて触れたのである。
「さあ、コモル村に帰ろう。」
父に声をかけられ、びくりとした。サブを見ると、友人は不安げな瞳をしている。自分も同じような目をしているのだろう。
「お前らが、戦士のくせに泣いてたことは言わないでやるよ。」
そんな若者達の肩を叩いてキッツは笑った。だが彼もまた、左の目に厳しい光をたたえていた。




