風のほこら1
再び走り出した二人は、ちょうど巨木の森に差し掛かっていた。村から風のほこらまで、ちょうど半分ほどの位置だ。木々の間を、リィネ川より分かたれた小さな流れが、いくつも枝分かれして走っている。その水に育まれたコケ類が、地面に岩にふかふかと覆い茂り、深緑色の絨毯のようだ。
この辺りに生えている巨木達は、その名の通り十人ほどで手を繋いで、やっとかかえられるような古いものばかりだ。
その中でもひときわ大きな杉の木を、村の者たちは親しみを込めて杉婆と呼んでいる。杉婆の下には、根っこに抱かれるようにして小さな小屋が建てられている。リィネ村からの巡礼者が宿泊できるよう、小さいながらも屋根と壁が設けられているものだ。
そしてここは、パウロの父キッツのねぐらでもある。ほこらの管理を仕事にしている彼は、村までの往復が面倒だと、普段ここに居を構えているのだ。
「とうちゃん、いないな。」
一応、戸を開けてみたパウロが呟くと、サブが呆れたように言った。
「当たり前だろ。もうほこらに行ってんだよ。」
友人はそれで遅れていることを思い出したようで、また小言を言い始めた。走りながら、器用なことだ。
「もう皆、ほこらに着く頃だぜ。パウロといると、いつも遅刻なんだからよ。」
パウロは苦笑いをした。ぶつくさと文句を言いながらも、サブはいつも迎えに来てくれる。おせっかいというか、面倒見のいいやつだ。それをありがたく思う反面、時々うっとうしくもある。
「だからごめんってば。」
パウロは半ば呆れながら、親友の怒りの矛先をずらす為に競争を持ちかけることにした。いつものパターンだ。
「なあ、急ぐついでに、追い風競争しないか?久々にさ。」
パウロとしても、競争は嫌いじゃない。特に走るのは大好きだ。
「お、いいぜ。負けないからな。」
いつも通り、サブも挑戦的にニヤリと笑って返した。彼も、こうなるのがわかっていて怒ってるんじゃないかと思う時がある。
「オイラ、追い風競争では負けたことないんだけどな。」
パウロは、これに関しては自信があった。森の誰にも負けたことがない。これは彼のフサフサの体毛も多少関係していると思われるが、ひとえに風使いとしての才能であろう。
「それも今日までってことさ。行くぜ!」
二人が同時にぴゅっと口笛を吹いた。とたんに辺りの空気が動きを変える。先程まで弱々しくそよいでいた風は、今や渦を巻き、少年達の周囲に集まり始めた。
空気の渦は二人の足元へと集まり、彼らが地を蹴ると同時に、一気に吹き上げた。魔法の風に乗り、そびえる巨木の幹をはほぼ垂直に駆け上がっていく。それぞれ、かなり高い位置にある枝の一本に登りきると、また口笛を吹いた。再び風が変わり、今度は真後ろからの突風となる。太い枝の上から飛び出すと、風がぐんと体を押した。
そうして、パウロとサブは巨木の枝から枝へと飛び移るようにして走った。全身で追い風を受け止めて駆ける二人は、白黒の風の子のようだ。今や一飛びで百歩を進む彼らの脚は力強く、苔むした太い枝にくっきりと足跡を残していく。
周りの景色が飛ぶように後ろに流れて行く。高い巨木の間を走っていると、まるで本当に風になったみたいだ。パウロは気分が高揚してきて、より強い風を呼ぶと、吠え声を上げて枝を蹴った。その時である。
「うるさーい!!」
怒鳴り声が聞こえた。と思うや、突然風がぴたりと止まった。ちょうど、大枝を蹴り出して宙に飛び出した所だった少年達は、次の枝に届く前に落下し始めてしまった。
「おわあぁ!?」
二人は慌てふためいてもがいた。かなりの高さにいたのだ。このままではかすり傷ではすまないだろう。だが地面に落ちる直前、ふわりと包むように風が吹き、二人を受け止めた。
「いってぇ!」
とはいえ、勢いを完全に殺すことは出来ず、二人とも地面にひっくり返ってしまった。パウロは背負っていたブーメランで頭を強かに打ってしまい、思わず唸った。おまけに苔と葉っぱまみれだ。
「うるさい、うるさいぞ!」
また先程の怒鳴り声が聞こえた。パウロはよたよたと身を起こして座ると、ぶるぶると顔を振って汚れを払った。
そこには、小柄なキース族の老人が仁王立ちしていた。手に杖を持っている。村の者ではないだろう、見たことのない顔だ。
灰色の毛並みはボサボサでくすんでいて、ひょっとすると、元は白かったのかもしれない。反して、着ているものは古いが立派そうだ。厚手の薄緑色の胴着の上に、萌黄色の外套を前を開けて羽織っている。胴着と同じ色のとんがり帽子はつばが広くて、濃い緑の糸でコモルの紋章が刺繍してあった。
老人のもじゃもじゃの眉毛は笑ってしまうくらい長く、帽子の広いつばよりも前にせり出している。縮れた口元の毛も負けじと長く、足元まで垂れている。老人が一歩踏み出したので、パウロは彼が髭を踏んづけて転ばないか心配になった。
「森を踏み荒らして、無様に騒ぎおって。お主らはそれでも風使いか。」
老人が少年達を睨みつけて言った。老人はずいぶんと背が低く、あぐらをかいているパウロと目線がほとんど変わらない。しかし、不思議とその声には威圧感があり、二人は思わず縮こまった。
首をすくめながらも、パウロは心外に思った。苔や木の根を踏み荒さないよう、わざわざ高い枝の上を走っていたのだ。楽しいから、というのも勿論あるけれど。しかし彼が何か言う前に、友人が声を上げていた。
「なんだとぉ!俺達はコモルの戦士だぜ。今からお役目のほこら掃除に行く所だ。見てわからないのか…」
ボコン!と良い音がした。見ると、鼻息荒くまくし立てていたサブが、頭を抱えてうずくまっている。
老人が杖で殴ったらしい。ひどい。
「ほこら掃除だと。お前達には風の声も聞こえんのか。それがコモルの戦士か。風の扱いにしても、下手くそが過ぎるわい。」
あまりに不躾な言い方に、パウロ面食らってぽかんとした。彼としては、幼少期より風の扱いについて褒められることの方が多かったのだ。
しかし、隣のサブが頭をさすりながら唸り声を上げ始めたのに気づいて、急いで口を挟んだ。
「オイラ達の風を止めたのって、じいちゃん?受け止めてくれたのも?」
だとしたら、この老人は、実はすごい風使いかもしれない。パウロの問いかけに、老人は尊大そうに答えた。
「ふん。朝飯前じゃ。」
胸を張る老人だったが、パウロは首をかしげた。サブも訝しげな表情だ。
「…じいちゃん、朝ごはんまだなの?」
別にボケている訳ではない。キース族達は使わない言い回しなのだ。朝ごはんは、食べて当然のものなのだから。
老人もそれに思い当たったのか、返事の代わりに眉を持ち上げてふんと鼻を鳴らしただけだった。
それを肯定と受け取ったパウロは、良いことを思いついたという風に手を打つ。
「あ!じゃあさ。木の実食べる?」
ポケットから、今朝チャコに貰った小瓶を取り出す。あからさまに嫌そうな顔をしているサブを無視し、老人に差し出した。
「ちょっと食べていいよ。」
にこやかに手渡されたそれを、老人は意外そうに目を丸くして受け取った。
「おい、じいさん。全部食べるんじゃないぞ。」
すかさずサブが釘を刺す。キース族は大体が皆、食いしん坊だ。
しかし、老人は急に黙り込み、小瓶をじっと見つめている。
食べないのかな?と首をかしげたパウロだが、どうやら老人が瓶の栓を見ているらしいことに気づいた。
「あ、その焼印はリィネの紋章だよ。隣村の…って知ってるかな。」
説明しかけて思い直す。村のヒトではなさそうだが、年配のキース族ならば当然知っていることだろうと思ったのだ。また怒られてはかなわない。
だがそれには答えず、老人は独り言ように呟いた。
「風をひとところに留めておくことはできぬ。たとえ望むまいと…動き出した流れは変えられぬ定めよ。」
少しの間沈黙が落ちた。少年達はどちらともなく顔を見合わせる。今のは、自分達に言われたのか?一体、どういう意味だろう。パウロが訊ねようと口を開きかけたとき、一陣の風が吹いた。
二人と一緒に落ちて散らばっていた葉っぱが舞い上がり、渦を巻く。思わず目を閉じた二人だったが、彼らが再び目を開けたとき、その一瞬の間に老人の姿は消え失せていた。
二人は手品を見せられたような気持ちで、ぽかんと口を開け、先程まで老人がいた場所をまじまじと見つめた。
「あ!木の実返せよ!」
我に返ったサブが、空に向かって吠える。するとコトン、と苔の絨毯の上に小瓶が降ってきた。思わず上を見上げるが、巨木の木々の葉が、風に揺らいでいるだけだ。
律儀にも、瓶の中身は少しだけ減っていたのだった。




