コモル村2
次の日、まだ朝もやの煙る中、コモル村のコッツ畑には、もうまばらにヒト影があった。今は春の収穫期で、やる事が山のようにある。朝食前に一仕事しようというのだ。
村の中には、日当たりのいい場所に点在するようにして小さな畑がいくつもある。そこで栽培されている作物は、八割以上がコッツの木だ。
この木は春から夏にかけて薄紫色の花を付けるが、蕾のうちに絞ると油が取れ、実をつけるまで待つと美味しいナッツが食べられる。キース族の大きな手のひらにも収まらない程の大ぶりの実の殻は非常に堅く、割るのは一苦労ではあるが、その殻も日用品や武器の素材に用いられている。キース族達にとってなくてはならない大事な木なのだ。
その畑の脇、民家の屋根の上で、パウロも仕事をしていた。干して硬くなった大ぶりの葉っぱを何枚も小脇に抱え、しゃがみこんでいる。
それを屋根に敷かれた他の葉の上に、少しずつずらしながら細いつるで結びつけていく。単純作業は嫌いじゃない。鼻歌交じりに機嫌良く屋根を敷いていく。
最後の葉っぱを結び終えると、立ち上がって伸びをした。目に入った朝日が眩しくて、思わず目を瞬かせる。作業を始めた時は、まだ暗かったのだ。思ったより時間がかかってしまった。
畑に目をやると、パウロの目線に気付いた一人の少女が手を振った。手を振り返して、屋根からひょいと飛び降りると、彼女は薄茶色のカールした毛をふわふわ弾ませながら駆け寄って来た。
「パウロちゃんありがとう!最近、雨もりして、困ってたんだ。」
チャコがぴょこんとお辞儀をする。なんだかむず痒くなって、パウロは得意げに鼻を鳴らした。
「へへん。全然いいよ!仕事だし、オイラこういうの好きだしさ!」
実際、パウロは村のあちこちを補修して回るのを主な仕事にしている。旗のヒトの職人ほどではないけど、彼はキース族にしては手先が器用な方で、皆の手伝いをしているうちに、自然とそうなったのだ。
得意げに胸を張るパウロに、チャコは小さな小瓶を差し出した。
「これ、あげるね。森の木の実を集めておいたの。風のほこらまでは遠いし、お腹が空いたら食べてね。」
手のひらに収まるほどのそれには、色とりどりの小さな木の実がぎっしり詰まっている。栓には隣村のリィネの紋章の焼印が入っていた。リィネの水の空き瓶だったのだろう。
「うわ!ありがとうチャコ!」
パウロは感激して、文字通り飛び上がって喜んだ。その大げさなリアクションにチャコが声を上げて笑う。
「いつもよりも木の実が見つからなくて、集めるのに時間かかっちゃったんだ。最近、森の様子が変だって言うでしょ。パウロちゃんも気をつけてね。」
そういえば、今朝の風も、少し変だった気がする。パウロはちらりとそう思いかけたが、チャコが気にかけてくれるのが嬉しくて、ただ元気に返事をした。
「うん、ありがとう!」
小瓶をポケットにしまい、立て掛けておいた武器を手に取る。堅い木で作られたそれは、大ブーメランといって、パウロの背丈ほどもある。なかなかの重量だが、キース族の戦士の武器としてはまだ軽い部類だ。
真ん中の幅の広い部分がくの字に折れ曲がっていて、片方が少し長い。投げると独特の軌道を描き、弧を描いて戻ってくるような芸当もできる。癖があって扱いが難しいが、パウロはそれが気に入っている。
それを背中に掛けた革のベルトに、同じく革のバンドで固定する。
「じゃあ、いってらっしゃい!精霊様によろしくね。」
チャコが頭を下げると、ぴょこんと薄茶色の毛玉が揺れた。パウロはまた嬉しくなって、元気良く頷いたのだった。ほこら掃除、頑張ろう。
その時、騒がしい足音が聞こえてきた。サブだ。それも、また怒っている。
パウロは少しうんざりした気持ちになった。何も、このタイミングで来なくてもいいのに。
「パウロ!朝めし食ったらすぐ出発って言ってただろうが!行くぞ!」
畑の入り口から顔を出すや、怒鳴る友人に、負けじと声を張り上げながら走り出す。
「わかってるよ!今から行く所だったんだから!」
朝から言い合いを始めながら走ってゆく二人に、チャコがにこやかに声をかけた。
「いってらっしゃい、二人とも!瓶の木の実、仲良く食べてね!」
パウロは走りながら、木の実をくれたのは自分だけにじゃなかったのか、とちょっとガッカリしたのである。
二人は森の中を、風のほこらへ向かって走った。朝露が彼らのけむくじゃらの足を濡らす。キース族は靴を履かない。足の裏の肉球は厚いし、爪は鋭くはないが硬く、スパイクの役割をしてくれるのだ。彼らが地を蹴る度に水滴が玉のように舞い散り、背中の武器がカタリと音を立てた。因みにサブの武器は大剣だ。木剣だが、鉄の芯が入っていてかなり重たい。切るというよりは、叩き潰すようにして使う武器である。
今朝は食堂に行きそびれたパウロだったが、サブが木の実パンを包んで貰ってきてくれていたので、走りながら口に放り込んだ。小振りなパンは硬いが香ばしくて、食べると元気が出てくる。それで、パウロは先程チャコとの会話を邪魔されたことをすっかり許したのである。
パウロは鼻をひくつかせた。コモルの森の奥まで入ると、日が出てもひんやりとして薄暗い。それでも、普段は陰鬱に感じることなどないのだが、今日はどこか暗く寂しい感じがする。
その時、微かに木の葉が揺らぎ、その隙間から、ちらりと日の光が垣間見えた。それで気付いた。暗いと感じるのは、風が止んでいたからだ。
「なあ、サブ!」
走りながら声を掛けると、サブはなんだよ、という風に横目でこちらを見た。
「今日、風が変じゃないか?吹いたり止まったりさ。」
それを聞いて、サブが足を緩め、立ち止まった。パウロも立ち止まる。
「本当だ。ずっと走ってて気付かなかった。」
サブが訝しげに呟いた。実の所、全くの無風という訳でもない。時折、弱いが空気の動きは感じられる。だがコモルの森において、それも風のほこらに近いこの場所では、風が止むことなど今までなかったのだ。
「なんでだろ?」
二人して腕組みし、うーんと唸ってみたが、どちらも答えを出すことは出来なかった。
「とりあえず、行こうぜ。ほこらに行ったら、長老やみんなもいるしさ。」
友人の言葉にパウロも頷く。ともかく、差し当たって出来ることもないのだ。
気がかりではあったが、二人はそれ以上深く気にすることはなかった。この豊かで大きなコモルの森は精霊様の加護を受けている。この雄大な自然に、キースを始め獣人達は絶大な信頼を寄せているのだ。ヒトがどうこうできるものでもない。
彼らは小瓶からひとつまみずつ木の実を口に放り込むと、気を取り直して、再び走り出した。




