コモル村1
コモルの森は、リィネ村から草笛峠を隔てて西の地にある。この古い森は深く、うっそうとしているにも関わらず、いつも不思議と穏やかな風が吹いている。その風は森の奥深く、風のほこらから吹いてくるという。コモルの森が豊かであるのは、生命を運び、育む精霊の風のおかげだとキース族達は信じているのだ。
コモルの森に昔から住んでいるキース族は、小柄で、フサフサの毛皮と尻尾を持つ獣人族である。体躯の割に力持ちで、一人で丸太を軽々担ぐほどだ。彼らは森の中、ほど浅い場所に小さな村を作って暮らしている。
コモルの森には他では採れない有益な植物や木材が豊富にあるのだが、島の者たちはそれらを森の民たるキース族の許可なく持ち出すことはしない。彼らは森の資源を生活や交易に使いながら、同時に森と、風の精霊のほこらを守って暮らしているのだった。
時は、エールがリィネ村を旅立つその三日ほど前まで遡る。その日の朝、コモル村の広場で、キース族の少年、パウロは子供達に囲まれていた。
「…そこで、黒髪の剣士は水の魔法を剣で真っ二つにしてさ、そのまま突進して切りかかったんだ。オイラはもう、これで決まると思ったね。でも、茶髪の剣士は足元にもう一発水の魔法を打った。そして勢いの弱まった相手の剣を、こう、ギャリーンって受け流してさ。後ろにジャンプした!いやあ、ミーア族顔負けによく跳ぶヒトだった。」
パウロは身振り手振りを加えながら、子供達に去年リィネ村で見た剣術大会の話をしている。この話をするのはもう何度目かわからない。それでも子供達は繰り返し聞きたがり、パウロはその度に張り切って話して聞かせるのだった。
「ジャンプしながら、茶髪の剣士はこう、手をかざしていた。オイラは、また水の魔法を打つんだと思った。実際その通りだったんだけど…それがすごい魔法だったんだよ。」
子供達は目をキラキラさせてお話の先を待っている。パウロも楽しんでいた。あの日も、本当に楽しかった。今でも剣術大会の様子が目に浮かぶようだ。彼は東の地に思いを馳せながら、白いフサフサの尻尾を、楽しげにゆらゆらさせた。
「おい!パウロ!」
後ろから強い口調で呼ぶ声が聞こえて、パウロは首をすくめた。ちょうど盛り上がり所だったのに。
「長老のとこに集まるように言われてたろ?明日のほこら掃除の打ち合わせ、忘れたんじゃないだろうなっ!?」
振り向くと、怒った顔の少年が腕組みをしていた。全体に黒毛だが、鼻先から腹までかけて体の正面側は茶色で、眉のような目の上の模様ときゅっと巻いた尻尾が特徴的だ。ぴんと立った耳が苛立たしげにぴくぴくしている。
彼はパウロの親友で、名前をサブという。昨年の秋、揃って戦士になった同期でもある。彼は怒りっぽくお節介で、のんびりした性格のパウロとは正反対だが、不思議と気が合うのだ。
「忘れてないよ!お話が終わってから行こうと思ってたのさ。」
いい所だったのに、という不満は言わないでおくことにした。友人が眉間に皺を寄せるのを見て取ったからだ。
「パウロはのんびりし過ぎなんだよ。いつだってお前が最後なんだからな。ほら、行くぞ。」
サブはそう言うと、返事を待たずにずんずん歩き出してしまった。パウロは苦笑いをした。
「じゃあみんな、続きはまた今度な。」
子供達は不満たらたらだったが、パウロは彼らに手を振って歩き出した。気の短い友人をこれ以上待たせる訳にはいかない。
サブの後に続いて、パウロは軽快に歩いた。足の裏に春の草の柔らかな感触が心地よい。穏やかな風が高い木の葉を優しく揺らして、木漏れ日はまるで草の上で踊っているようだ。
道の脇には小さいながらも色とりどりの花が咲いている。村の者たちは春の間、ここを花の小道と呼んでいる。他にも、クヌギが丘、古木通り、垂れ葉の水辺などなど、森の要所の名前は単純明解だ。全てキース族達の命名で、さっぱりした気性の彼らならではである。
パウロは尻尾で撫でるように草花を揺らすと、お腹いっぱいに春の匂いを吸い込んだ。ああ、楽しいなあ。
ふと前を見ると、友人は真っ直ぐ前を向いて、ずんずんと足を進めている。パウロは呆れて頭の後ろで手を組んだ。あいつも、もっとこういうものを楽しんで歩いたらいいのに。パウロはそよ風に舞い飛う花びらを指で弾くと、軽やかに友人の後を追った。
広場を出ると、たくさんの木々に囲まれた道に出る。村では木や切り株をそのまま家として使っている者が多く、それぞれ好きな場所に家を構えている。その為、村の中であっても、森とさほど変わらないような場所も多い。
そんなコモル村で、長老の家は一番立派な建物だ。というか、加工された板が使われていて、屋根と壁と床がちゃんとある建物は村でここだけである。よその村から旗のヒトが宿泊する施設でもある為だ。
エスト島では、キース族やミーア族のように、体毛があり、手足に爪がある者でもない、顔と手足に毛のない人々のことをそう呼んでいる。
大昔、エスト島には獣人しか住んでいなかった。海の向こうから、旗を掲げて船でやってきたヒト達の子孫を、旗のヒトと呼ぶようになったのだ。
中に入ると、広い部屋の真ん中に大きな切り株を輪切りにしたものが、テーブルがわりにどっかりと置かれている。その周りの床の上に、村の戦士達が輪になってあぐらをかいていた。その中に、見慣れた白い姿がないのでパウロは首を傾げた。
「あれ、とうちゃんは?」
その呟きに、一番奥に座っていた長老が答える。コモル村では、最年長の者が一族を束ねる長をする習わしなのだ。
「キッツには、今日はほこらまでの道を見回って貰っておるよ。ミーア族の狩人達が、怪しい者を見たと言っておってのお。」
長老の言葉に、パウロはふうんと頷いた。なんで怪しいって思ったんだろう。よそのヒトが来るのは珍しいけど、基本的にコモル村では旅人を歓迎しているからだ。
「ふむ、それ以外の者は皆揃ったようじゃの!」
長老はそう言うと満足そうに頷いた。といっても、頭の毛がわさわさと動いたのが見て取れただけだ。長老は丸々太っている上に、目も口もほとんど見えないほどのフサフサの長い毛に全身覆われている。そのシルエットはほぼ、丸に近い。これでも、昔は戦士をやっていたらしいが、パウロには信じられないでいる。
長老が手に持った杖を機嫌良く揺らし、カランコロンと気味の良い音を立てた。荒削りの長い杖の先端にはコッツの実の殻で作った鈴が二つついているのだ。
「今、ちょうど風の精霊様にまつわる伝説を話して聞かせていた所じゃ。どれ、お前達が来たからには、また最初から話して聞かせねば。」
それを聞いた戦士一同が鼻にシワを寄せたので、パウロは笑いそうになってしまった。長老の隣に座っているジオなんて、唇の端から犬歯がのぞいている。
ジオは戦士の中で一番の年長者だ。恐らく彼より強い者は村にはいないだろう。若い戦士達の指導役もしていて、パウロとサブに戦い方を教えてくれた師でもある。鼻先が長く、額に斜めに入っている古傷もあいまっていかにも怖そうだ。実際、ジオは強く、厳しいヒトだ。彼に吠えられれば、豪胆な者でも震え上がってしまうだろう。
硬い灰色の毛は首の後ろが長くて、それを結って結んでいるのがカッコいいとパウロは思うのだ。
「いや、いいよ何回も聞いたし。それより明日の打ち合わせしようよ。」
パウロがそう言うと、ジオは先ほどと一転して大口を開けて笑った。パウロはそんな彼を親しみを込めて見やる。ジオは怒りっぽいが、よく笑うヒトでもある。喜怒哀楽が激しいのだ。
「はは、違えねぇや!長老の話は長いし聞き飽きたからな!」
先輩戦士のトリムが、あっけらかんと言った。彼はキース族にしては長身で、凄腕の槍の使い手だ。だが、その白い毛はふわふわとカールしており、モコモコしたシルエットがちょっと可愛い。彼が笑うと、頭に乗っかったボールのような毛の塊がゆらゆらと揺れた。
「クゥーン、仕方ないのぉ…。」
フサフサの毛に隠れて表情はわからないが、長老はかなり残念そうな声を出した。みんなが笑って、集会場は和やかな雰囲気に包まれた。
パウロとサブが円陣に加わると、長老は気を取り直すようにウォッホンと咳払いをした。
「皆。明日は年に一度のほこら掃除の日じゃ。掃除といっても、風の精霊様にお仕えする我らコモルの戦士の、大事な行事である。各々心を込めて取り組むように。」
白いフサフサの塊が、気持ち上向きになった。きっと長老は胸を張ったのだろう。
「あと、知っておる者もいようが、近頃森の様子が変じゃ。生き物も木々も不安げに囁き交わしておる。キッツが見たという怪しい者も、もしかすると密猟者かもしれん。」
その言葉に、戦士達はざわざわと顔を見合わせた。パウロも腕組みをして首を傾げた。密猟者なんて、自分の知る限りでは見たことがない。近頃森がざわついているようであるのは感じていた。それでも、パウロはあまり心配には思っていなかった。今日もコモルに吹く風は変わらない。
長老が杖をカランコロンと振って、みんなを静まらせた。
「ほこらまでの道は長い。道中、何か気付いたことがあれば、報告するように。」
そう言って長老はウォッホン!と一つ尊大な咳払いをした。
「では明日。朝一で食事を取ったら各々風のほこらに走っておくれ。ほこらの前で集合じゃ。うっかり忘れないようにのぉ。」
こうして、集会はあっという間に終わってしまった。皆バラバラと自分の仕事に戻っていく。戦士とは言っても、普段は他の村人と同じように働き暮らしている。戦士になる為の条件は、キース族の血を引いていて、意欲があり、腕が立つ者であること。それだけだ。戦士を志す若者は、十四歳になる歳に長老から任命される。
戦士達の役目には村周辺の危険な生き物を討伐することと、森を荒らす者を退治することがあるが、そのようなことは滅多にない。畑の害獣を追い払うことと、年に一度のほこら掃除がもっぱらのお役目である。
風の精霊、シルフールを祀る風のほこら。そこに立入れるのは長老と、戦士として選ばれた者たちだけとの決まりがあるからだ。
長老の家を出ると、トリムがパウロの肩をパンと叩いた。
「明日は掃除よろしくな。はは、こういう時門番は楽でいいよな。」
そう言って笑ったトリムだが、パウロの後ろでサブが睨みつけているのを見て、苦笑いをした。
「いや冗談、冗談。俺の分も、精霊様によろしく言っといてくれや。」
トリムは、困ったり照れるといつも頭をかく。すると、ふわふわのボールがモコモコと潰れては元に戻りを繰り返し、パウロはそれが面白くて、いつも見てしまうのだ。
ふと、パウロは先程の話に出た怪しい者について聞いてみようと思った。門番役のトリムならどんなヒトか知っているかもしれない。
「にいちゃん!」
その時、可愛らしい声がそう呼んだ。振り向くと、小柄な女の子が駆けてくる。トリムの妹のチャコだ。薄い茶色の毛がふわふわとカールしていて、兄と同じような毛玉のボールが、頭の上にフワフワと揺れている。
「お。チャコ。」
トリムがひらひらと手を振った。少女は兄に駆け寄ると背伸びをして話しかけた。長身の彼に並ぶと、チャコの身長は半分くらいしかない。
「明日は掃除の日でしょ?みんなお腹を空かせて帰ってくるから、たくさんパイを焼こうと思って。」
それを聞いて、トリムは破顔した。
「おっ、そりゃいい。こりゃ、気合い入れて門番やらないとな。」
パウロも嬉しくなった。キース族で木の実のパイが嫌いな者はいない。ちらりと横を見ると、今日ずっと不機嫌なサブでさえ、しっぽをわさわさと揺らしていた。
「だから、コッツの実をたくさん割らなきゃ。ねぇ、手伝ってよ。」
それを聞くと、トリムの頭が再びモコモコと弾んだ。コッツはコモル村の農場で育てられている植物だ。その実はカリカリと香ばしく美味しいのだが、殻は非常に堅く、大量に割るのは重労働なのだ。
「いやあ、俺は門番の仕事があるから…。そうだパウロ、サブ、お前ら手伝ってやってくれよ。じゃ、よろしくー。」
トリムは調子良くそう言うと軽快に走り去ってしまった。チャコは口を膨らませる。
「もお、にいちゃんったら。戦士なら、力仕事を手伝ってくれたっていいのに。ねえ、サブ。」
そう言ったチャコは黒毛の少年の方に頭を向けた。頭の上の、薄茶色のフワフワのボールが可愛らしくふんわりと揺れる。パウロは、話を振られたのが自分でなかったのをちょっと残念に思ったのだった。
しかし、当のサブは鼻をふんと鳴らして腕組みをしている。
「戦士は雑用係じゃないんだぜ。そりゃ、戦いが少ないのはいいことだけどさ。みんな、戦士としての誇りが足りないよ。伝説は重んじられるべきだし、いざという時に備えて、鍛錬するべきだ!」
サブは力強くそう言い切ったが、口を尖らせて拗ねたように付け加えた。
「従者に選ばれた時、弱かったら恥ずかしいだろ。」
去年、従者に選ばれなかったことがよほど悔しかったらしい。パウロは頭の後ろで手を組んだ。自分だって、あの時は悔しく思ったものだ。憮然として口を結んでいる友人の顔を見やる。
サブは子供の時からの親友だ。真面目で、冗談が通じないこともあるけど、いいやつなのは誰より知っている。彼はキース族の戦士であることを誇りに思っているのだろう。パウロとて、伝統を蔑ろにするつもりはない。
長老の話、ちゃんと聞けば良かったかな。なんとなく悪いような気がしてきて、パウロは友人に声をかけた。
「なあ、いいこと思いついたぞ、サブ。鍛錬がわりにコッツの実割りしないか?どっちがたくさん割れるか勝負しよう!」
ニッと挑戦的に笑ってみせる。友人が競争好きなことはよく知っているのだ。サブは一瞬虚を突かれたように目を瞬いたが、パウロの思った通り、すぐ嬉しげにニヤリとした。
「仕方ねえな。明日のパイの為だ。でも、負けないぜ。」
今日初めてサブの笑顔を見た気がする。パウロはちょっと嬉しくなった。
「じゃあ、農場まで競争!」
「あ、ずるいぞパウロ!」
パウロが走り出すと、続いてサブも地を蹴った。二人は木々の合間を、あっという間に走り去っていく。
「二人とも、ありがとー!」
チャコは両手を口に当てて叫んだ。少年達が駆けた後、彼らの笑い声を乗せて舞い遊ぶように楽しげな風が吹いた。チャコもニッコリ笑って、幼馴染達の後を追って駆けて行った。




