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LAST LORD  作者: トミ
第一章 旅立ち
17/53

セーラ2

 リィネ村の西には、草笛峠という高い峠がある。その為に、日の入りは早い。夕陽に黄色く染まる山際の向こうから、紫の厚い雲が近づいて来ている。湿ったぬるい風が頬を撫でた。一雨来そうだ。エールは足を踏み替えると、辺りに目を巡らせた。そろそろ交代の時間だ。

 エールは今、南門の番をしている。ペルーナがセーラの世話を焼くのに忙しくなり、暇になったので再び見回り隊の手伝いをするようにしたのだ。


「お疲れさん、エール。交代だ。」


 交代に来たシャッドが、空を仰いで顔をしかめた。ポツリと雨粒が頬に落ちる。


「あーあ、ついてねー。降ってきやがった。」


 シャッドは、ぼやきながら手に持っていた緑色のフードを羽織った。これは同じ色の短いマントと一体になっていて、村人はケロッグフードと呼んでいる。模様が独特なのは、なめし皮にケロググの皮を貼り付けて作られている為だ。防水性が高く、雨の日は便利なものである。一応リィネ村の名産でもあるが、どうしても表面がケロググの体色になってしまうので、好き嫌いは分かれる。


「異常なしだよ。門番って、地味に疲れるね。足が棒になっちゃったよ。」


 エールが言うと、そうだろう、とシャッドは何故か得意げに胸を張った。エールは両手を上げ、うんと伸びをした。


「一走りして、体をほぐそうかな。急げば、暗くなるまでに村長のとこに行って帰れるかもしれないし。」


 セーラが目を覚ましてから、五日が経とうとしていた。彼女の記憶は依然として戻らない。それでも、エールは毎日村長の家に通っていて、セーラと話をするのが日課になっていた。


「毎日ご苦労なこった。おれはどうも、あのセーラって女は怪しいと思うけどね。」


 シャッドの言葉に、エールはむっとして返事をする。


「なんでよ?」


「だってよお、普通リィネ村を通らずにセイレーンのほこらには行けねえのに、誰も姿を見てないんだぜ。黒鎧の奴の他はな。精霊様のほこらを荒らしたのが、彼女じゃねえ証拠だってないんだ。」


 それを聞いてエールは思わず声を上げた。


「セーラさんはそんなことする人じゃないよ!」


 セーラは穏やかで優しい。どこか抜けた所もあって、なんだか他人とは思えない。エールは彼女がすっかり好きになっていたのだ。その剣幕に、シャッドは少したじろいだようだ。


「な、なんだよ、そんな怒らなくたっていいだろ。おれは可能性の話をしてんだ。」


 なおも睨みつけるエールに、シャッドは観念したようにぽりぽりと頭を掻いた。


「まあ、鎧兜はあの人には重すぎるか。」


 ポツポツと雨足が強くなって来た。風も出てきたようだ。ふと、鈴の音が聞こえた気がした。


「おっ。見ろよエール!」


 シャッドが声を上げる。見ると、峠の方から小さな荷馬車がこちらに向かってくる所だった。

 荷物を満載に乗せたそれを、ずんぐりとしたシルエットの生き物が引いている。生き物の背に小柄な御者が一人座っている。コモルの森に住む獣人、キース族だろう。夕焼けの赤はもう大部分を灰色の雲に覆われ、荷馬車は黒茶けた道の上に朧げな影を落としている。鈴の音はその荷馬車から聴こえてくるのだった。


「コモルの荷馬車だ!こりゃ、今夜は美味いものが食えるぜ。おーい!」


 シャッドが手を振ると、キース族が手を振り返して答えた。荷馬車はガタゴト、チリンチリンとゆっくり近づいて来る。

 引いているのは、キース族達がボボと呼んでいる生き物だ。背丈は小ぶりなロバほどだが、体はずんぐりとして丸い。全身に濃い緑色の毛がふさふさと生えていて、ちょっと見ると苔むした岩のようだ。鼻先からは天を突くように、艶のある焦げ茶色の大きな一本角が伸びている。その角に掛けられた鈴が、歩くたびにチリンチリンと小気味良い音を立てているのだった。太い足は体に大してずいぶんと短いが、お陰で見た目に反して小回りもきくらしい。眠そうにたるんだ瞼から覗く瞳は思いの外つぶらで、エールはこの生き物を可愛いと思うのだった。

 門の前まで来るとボボは、ぶふーっと鼻から息を吐いて立ち止まった。鈴がチリリンと音を立てる。キース族の青年はひらりと飛び降りると、ロロと名乗った。


「こんちは!風が強くなってきたね。嵐になる前に着いて良かったぁ。」


 ロロはニッと笑うと気味の良い挨拶をした。キース族特有のふさふさの尻尾をゆらゆらと揺らす。彼の毛色は茶色だが、鼻先と、垂れた大きな耳の毛だけが黒色だ。短い革のベストに、腰巻きという簡素な出で立ちである。


「峠超えお疲れさん。コモルの食い物は美味いからなぁ。いつも楽しみにしてんだよ。」


 食い意地の張っているシャッドが快活に答える。


「おれも、リィネのごはん好きだよ!チーズとか、パンとか。」


 ロロも、負けないくらい食いしん坊らしい。シャッドと二人でよだれを垂らしている。エールは呆れて笑いながら、自身もわくわくしていた。他の村からの荷馬車は、村の皆の楽しみなのだ。荷馬車の中身をを早く見たいという気持ちに駆られたが、それをぐっと押さえる。


「荷下ろしを手伝いたい所だけど、私は村長の家に行かなきゃ。遅くなっちゃう。」


 エールはそう言って垣根に掛けていたケロッグフードを取り、羽織った。走り出そうとした所で、ロロに呼び止められる。


「あ、キミ村長さんとこに行くの?じゃあさ、手紙を頼んでもいいかな。」


「手紙?」


 エールが振り返り訊ねると、ロロは腰巻に縛っていた筒の紐を解いて、丸めた紙を取り出した。


「うん。コモルの長老から、リィネの村長さんに預かってきたんだ。」


 手紙はごわごわの厚い紙で、それをくるくる巻いて、細く裂いた木の皮で縛ってあった。


「わかった。渡しておくね。」


 エールが手紙を受け取ると、ロロは再びボボの背に飛び乗った。


「ありがとう!おれ、早いとこ荷物を降ろして、ごはんにしたくってさ。」


 その時、強まり始めた風に乗って遠雷の音が聞こえてきた。


「おっと、急がなきゃ。じゃあねー!手紙よろしく!」


 ロロがそう言うと、ボボがゆっくりと歩き出した。いつも不思議に思うが、手綱もなしにどうやって操っているのだろう?エールは動き出した荷馬車に手を振って挨拶すると、手紙が濡れないように胸元に入れ込み、軽快に走り出した。


 走っている間に雨足は急に強くなり、ほとんど土砂降りになってしまった。エールは走るのを諦め、横殴りの雨に打たれながら、風に負けないように一歩ずつ踏みしめて歩いた。

 灰色に煙る土手沿いの道は短い草が水をたっぷり含んで、ブーツが踏みつける度に、ばしゃばしゃと音を立てる。エールは首をすぼめて、マントの前をしっかり手で掴んだ。空はすっかり厚い雲に覆われ、フードから覗く村の景色は、寄る夕闇に暗く沈んでゆく。

 村長宅に着くと、すぐにペルーナが出迎えてくれた。


「おやおや!エール。びしょ濡れじゃないか。待っておいで。拭くものを持ってこよう。」


 ペルーナがばたばたと引っ込むと、入れ替わるようにして台所からセーラが顔を出した。薄緑色のエプロンをしている。


「まあ、エールさん!今日はこんな天気だから、いらっしゃらないかと思っていました。」


 セーラが嬉しそうに驚いている。エールはケロッグフードを外套掛けに置くと、手袋を外して台所に入った。かまどの火が暖かくて、ほっとする。


「セーラさん、お料理してるの?」


 かまどにかけられた大きな鍋から、湯気が立ち上っている。茹でた野菜のいい香りがした。


「はい、ペルーナさんに教えて頂きながら…。でも、ちょっと失敗してしまって。」


 エールは、困り顔のセーラの横から、スープの鍋を覗き込んだ。


「そうなの?美味しそうだけど。」


 そう言ったエールだが、スプーンで一すくい味見すると黙り込んだ。しょっぱい。ものすごく。


「あまり、美味しくないですよね…。もっとお塩を入れるべきでしょうか?」


 セーラはその長い指を、既に塩の袋に伸ばしている。エールは顔を引きつらせた。それだけは阻止しなければ。

 なんと言おうか悩んでいる所に、ペルーナが戻ってきた。エールに手拭いを渡し、鍋を覗き込む。


「おや、出来たかい?どれどれ。」


 ペルーナはスプーンでひとすくい飲むや、目を丸くして声を上げた。


「あらあらあら。またずいぶんと塩を入れたんだねぇ!」


 ペルーナが声を上げて大笑いしたので、セーラは色白の頬を赤らめ、すっかり恐縮してしまった。塩の袋が棚に戻されたので、エールはほっと胸を撫で下ろした。


「すいません、せっかくのお野菜が…。」


 セーラがおろおろと言うと、ペルーナは心外だというように眉を上げた。


「おや、無駄になんてしないよ。さあ、ミルクと小麦粉を持ってきておくれ。今夜はシチューにしましょう。」


 かくして、大量のシチューが出来上がったのだった。


「エール、奥の部屋へ行ってじいさんを呼んできておくれ。」


 そう言われて、エールは手紙のことを忘れかけていたのに気づいた。村長の部屋を覗くと、老人は何やら帳簿を付けている所だった。村の支出管理は村長の仕事なのだ。


「村長!夕飯が出来たよ。」


 エールが声をかけると、村長は顔を上げて禿頭をつるりと撫でた。


「おお、エール。来ておったのか。もうすぐコモルからの荷馬車が来る時期なのでのぉ。売り買いする品物を確認しておった所じゃ。」


「それなら、さっき着いた所だよ。」


 エールが答えると、村長はもじゃもじゃの眉を持ち上げて言った。


「それはちょうど良かった。今朝ジャムが切れてしまった所なんじゃ。」


 髭をもごもごさせて笑う。村長は甘いものが大好きなのだ。今度は忘れない内にと、エールは胸元から、ごわごわの紙を取り出した。


「それで、手紙を預かって来たんだ。はいこれ。コモルの長老さんから、村長に。」


「おお、ありがとう。あいつも年だからのぅ。久しぶりに会いたいもんじゃ。」


 村長は懐かしそうに目を細めた。目尻の皺が優しげに緩む。どうやらコモルの長老とは古い友人らしい。


「食事の後に、ゆっくり読むことにしよう。ばあさんに、これを片付けたらすぐに行くと伝えておくれ。」


 楽しい夕飯だった。セーラも、村長夫妻との生活にすっかり馴染んでいるようだ。村長夫妻には娘がいるが、今は港町セトに嫁いでしまって、しばらく会っていない。二人とも嬉しいのだろう。

 食事の後で、セーラが服を干すのを手伝ってくれた。すっかり濡れてしまったブーツに手拭いを詰め、逆さまに立てかける。ケロッグフードから滴り落ちた雫が、外套掛けの下に小さな水溜りを作っていた。

 風で窓がガタガタと音を立てた。外を見ると、もう真っ暗だ。時折、稲光が暗闇に吹き荒れる雨のシルエットを浮かび上がらせる。


「こりゃ、今日はもう帰らない方がいいね。泊まっておゆき。」


 ペルーナに言われるまでもなくエールはそのつもりでいて、遠慮なく泊まって行くことにしたのだった。

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