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LAST LORD  作者: トミ
第一章 旅立ち
14/53

異変3

 セイレーネの泉周辺は標高が高く、この季節でも冷え込む。リィネの川辺には微かに朝もやが残り、流れの脇にはセイレン草が可愛らしい花を付けていた。その脇の斜面を、一人の少女が駆けるようにして登ってゆく。

 泉も目前という所まで来て、エールはようやく速度を緩めた。万一、あの黒ずくめの剣士がいるとしたら、慎重に行かなければならない。

 ひとつ息をついてから、ふと違和感を覚えて立ち止まった。あまりにも静かなのだ。春のこの時期に、鳥のさえずりさえも聞こえてこない。そういえば、ここまで来る間、生き物の気配を感じただろうか?

 たった今登ってきた細い道を振り返る。冷たい風が吹き、木々が道に覆い被さるように、ざわりとかしいで揺れた。エールは思わずぶるりと震えた。やはり、誰かと一緒に来るべきだったろうか?

 再び道の先に目をやる。泉はもうすぐそこだ。エールは剣の柄をぎゅっと握りしめた。ほこらの様子を確認したら、すぐに戻ろう。そう決心して、エールは泉へと続く最後の坂道を登り始めた。

 程なく視界が開けた。セイレーネの泉に着いたのだ。泉の向こう側、ほこらへと目を向け、エールは思わず驚きの声をあげた。エールの身長ほどもある大きな石の扉が、どうしたことかぱっくりと割れていたのだ。

 分厚い扉の中央に斜めに大きな亀裂が入り、まるで叩き割られたように砕けている。エールは思わず走り出そうとして、何かに躓いた。勢いがついていた為、そのまま草むらに盛大に転がり込む。


「ああ、もう!」


 もがくように起き上がり、髪に付いた草を手で払う。何に躓いたのだろうと振り向いて、首をかしげる。丈の長い草の中に、青い布のようなものが見える。

 訝しんで近づくと、布の裾から白く細い腕が出ているのに気づいた。人間の腕だ。人が倒れている!

 エールは大急ぎで駆け寄った。呼吸を確認する。息はあるようだ。ほっと息をつき、そっとその人の顔を覗き込んだ。

 美しい女性だった。ほっそりした顎。すらりとした鼻立ち。閉じられた瞳は、まるで滑らかなバターの表面に、ナイフで切れ込みを入れたようだ。長い睫毛の先に、涙の粒が震えている。その一雫が、透けるように白い肌の上を流れていった。

 エールは胸がドキドキするのを感じた。この人は、泣いているのだ。一体、どうして?

 エールは横に立ち、女性を観察した。ウエーブした青い髪はとても長い。腰まであるのではないだろうか。薄い青色のローブは袖がひらひらしていて、山登りには向かなそうだ。どうやってここまで来たのだろう?武器も帯びていないし…。

 エールはふと、彼女が着ている服に目を留めた。その胸元に、リィネの紋章が描かれていた。


 その時だった。ドォンと凄まじい音と共に、泉に水柱が起こったのだ。


「なっ何っ!?」


 思わず叫び、身を低くする。


ズドーン!


 地響きと共に、何か巨大なものが降ってきた。エールの足が一瞬、地面から浮く。草がめくれ、湿った土が巻き上がる。

 それはまるで巨大な岩のようだった。だが、飛び散る水が夕立のように降り注ぐ中、その大岩はゆらりと動いたのだ。

 ずん、と水掻きのついた巨大な足が踏み出される。丸みを帯びた体の中央に横一文字に亀裂が入ったかと思うと、ぬめぬめした紫色の長い鞭のようなものが滑り出て来た。そして亀裂の上には、なんと二つの目が付いていたのだ。

 それは生き物だった。だが、これほど巨大な生物は見たことがない。カエルに似ているが、その大きさはケロググの比ではない。目の前の生き物は、ちょっとした小屋と同じくらいあるのだ。

 その上、見るも恐ろしい容貌をしていた。体は全体的に紫色で、口の左右には何やら鮮やかな青のびらびらしたものが付いている。皮膚はぬらぬらと濡れおり、紫色の蒸気のようなものが立ち昇っている。

 湿った平たい足が動き、怪物がゆっくりとこちらを向きを変えた。水色にぼうっと光る目には、瞳はないように見える。だがエールは確かに視線を感じ、ぞくりとした。剣の柄に手をやり、じりじりと後ずさる。

 突如、怪物の瞳に怒りの火が燃え上がった。エールは殺意と憎しみが自分に向けられるのを感じた。


ゴアアアア!


 怪物が四肢を踏ん張り、喉を震わせて咆哮する。

 生き物が、これほどの敵意を持つなんて。エールは膝が震えるのを感じた。だが、すぐに歯を食いしばり、拳で太ももを殴って自分を奮い立てる。考えるのは後だ。じっとしていたら殺される。戦うんだ!

 剣を抜き放ち、怪物に対峙する。怪物は身を乗り出すと、紫色の舌を伸ばし、エールを捕まえようとしてきた。横っ跳びに躱し、さらにバックステップして距離を取る。鞭のような舌がしなり、粘液を飛び散らせた。

 エールは、倒れている女性をちらりと見やった。幸い、怪物は女性に気付いていないようだ。まずはあの人から離れるように誘導しないと。怪物から目を離さないようにしながら、少しずつ後ずさる。

 と、怪物が背中を丸め、姿勢を低くした。発達した後脚の筋肉が盛り上がる。嫌な予感がする。エールがそう思った直後、怪物は地を蹴ると、驚くべき速度で突進して来た。


「うああっ!」


 エールは飛び込むように地を蹴り、すんでのところで突進を躱した。草むらに両手を突き、前転するようにして、大急ぎで起き上がる。

 向き直ると、怪物はすでに向きを変え、再び突進の姿勢を取っていた。強靭な後ろ足が地面に食い込み、めりっと音を立てる。

 避けきれない!エールは剣を両手に持ち、水平に構えた。怪物が地を蹴る。エールは右側に大股に踏み出し、重心を低くしながら、怪物に対して斜めに剣を構えた。


ぎゃりりりっ!


 エールは怪物の前足にぶつかる形になった。凄まじい衝撃に吹き飛ばされ、傍の木に叩きつけられる。一瞬息が止まり、その手から剣が弾き飛ばされた。

 エールは呻き声を上げ、歯を食いしばって身を起こした。草むらに剣が落ちているのを見つけ、拾いに走る。飛びつくようにして剣を掴んだ途端、足元をすくわれ、後ろ向きに引っ張り上げられた。怪物の舌が、足首を絡めとり持ち上げたのだ。

 エールは恐怖した。しかし、それ以上に強く心に舞い起こった怒りの火が、勇気に変わった。宙ぶらりんのまま、強く剣を握りしめる。


「はあああっ!」


 足を曲げ、その勢いで身を捩り、怪物の舌を叩き斬った。


ゴギャァアアア!


 怪物の叫び声を聞きながら、エールは肩から地に落ちた。足に絡む舌をなんとか外し、立ち上がる。

 怪物は、苦痛に足を踏み鳴らしていた。短くなった舌の断面から、青色の液体がぼたぼたと垂れている。異形の蛙は、より強い憎しみを少女に向け、喉の皮膚をぶるぶると震わせた。とたんに、怪物の身体から立ち上る蒸気が濃くなる。まるで黒い炎のようだ。

 エールは驚きに目を見開いた。怪物の周囲に、魔力が渦を巻くのを感じたからだ。怪物が、喉を膨らませ地響きのような音を立てる。すると、魔力の渦が凝縮され、怪物の周囲にいくつもの水の玉が出現した。

 エールは咄嗟に片膝をつき、右手を目の前に上げると集中した。


グアアア!


 巨体が四肢を踏ん張り、大きく吠えた。怪物の咆哮と共に、大きな水の玉がいつくもエールに降り注ぐ。

 それらはエールが身を守るように放ったサパの魔法にぶつかり、水球は弾けて飛び散った。

 衝撃に耐えながら、エールは、魔力の水の粒の間に、敵の姿を見ていた。

 魔法だ。怪物が、魔法を使って来た。エールと同じ、水の魔法を。

 驚きながらも、エールは覚悟を決めていた。このまま防戦一方では、じきにやられる。攻めなければ!再び集中する。精神が研ぎ澄まされていくのを感じる。大気中の魔力の粒子がエールの意識に答えて動き出す。エールは更に、それらを力として用いる為の言の葉を唱えた。


水の精霊セイレーネの名の下に命ずる…水の魔素よ、かの物を捉え、打ち砕け!


 踏み出される怪物の足元を包むように水球が出現し、弾けた。紫色の巨体がぐらつく。

サパの上位魔法、サプワルだ。決勝戦で、クライブに勝つ為に練習した技。攻撃対象そのものに近接して水球を作り出し、攻撃する魔法だ。

 エールは休まずもう一撃を放った。狙うは先ほどと反対側の後ろ足だ。再び水球が弾け、怪物が転倒した。大きな地響きと共に、巨体が横向きに倒れ込む。

 怪物は怒りの声を上げ、もがきながら立ち上がろうとしている。再びその喉が震え、膨らんだ。魔法を使うつもりなのだ。

 しかしそれを待たず、エールは駆けていた。怪物の喉元に、飛び込むようにして跳躍する。剣がキラリと閃く。リィネ流剣術、飛び込み斬りだ。青い肩布をたなびかせ、エールは、さながら青い矢のように突きを繰り出した。鋼の剣が怪物の膨らんで薄くなった喉を切り裂き、深く突き刺さった。


ガアアアアッ!


 怪物の断末魔が響く。巨体が勢いよく仰け反り、エールは弾き飛ばされた。怪物の喉には、剣が深々と突き刺さっている。


ごぽっ


 口と喉から青い体液が溢れ、怪物の四肢から力が抜ける。


ズズーン…


 怪物が倒れ込むと同時に、その体から黒い炎が立ち昇った。それは急速に薄れ、紫色の煙へと変わり、しゅうしゅうと音を立てて宙にかき消えていく。後に残された怪物の体は、まるで黒焦げた、ボロボロの墨のようになっていった。

 エールは、草むらに尻餅をついて呆然とそれを見ていたが、どうやら危険が去ったらしいとわかると仰向けに倒れた。深く息を吐く。ひどく疲れていた。

 緊張が解けると、色々な疑問が頭の中に溢れ出した。

 あの怪物は何だったのだろう。倒れていた女性は何者だ?黒ずくめの剣士はどこへ行ったのだ?そういえば、ほこらはどうなっているんだろう…

 一度に色々なことが起こり、エールは混乱していた。木に囲まれた空がぐるぐるしている。目が回りそうになって目を閉じると、瞼の裏の暗闇まで回って見えるようだ。

 そうして、様々な気がかりを残しながら、エールはそのまま気を失ってしまったのだった。

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