クライブの旅立ち5
兄妹が南門へ歩いていると、もうすぐ着くという所で、向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。あの金髪は間違えようがない。アスカだ。二人に気付くと、アスカは駆け寄ってきた。
「もう、あんまり遅いから心配して来ちゃった。」
「ごめんごめん、村長の話がまた長くってさ。」
「そんなことだろうと思った。」
そう言って笑うと、二人に並んで歩き出す。知らず知らず、三人は名残を惜しむように足を緩めた。
少しの間そうして黙って歩いていたが、やがてアスカが感慨深そうにぽつりと言った。
「いよいよ旅立ちだね。」
クライブが頷く。そんな彼を横目に見て ながらアスカが問いかける。
「あの話、エールにちゃんと話したの?」
「ああ…、いや。」
クライブが言葉を濁し、アスカは呆れたようにため息をつく。エールは、何の話だろうと目をキョロキョロさせた。
「何、何?二人で隠し事?」
エールとしても二人の仲が良いのは結構だが、除け者にされるのは面白くない。またむくれ面になりそうな妹に、クライブは宥めるように笑いかけた。
「いや、実はさ、少しゆっくり旅をしようと思ってるんだ。レンデまで遠回りになるけど、街道は使わずに、港町から船で行こうと思う。」
「ええ!またどうして?」
初耳だ。エールは目をまん丸にして声を上げた。
通常は巡礼者は、まず島の南東に位置するリィネ村を出て、西のコモル、北西のレンデと旅をし、最後にエスト島の北東の端にある真実の滝を訪れる。それから、元来た道を戻り帰ってくるのだ。魔の山を避けてぐるりと島を右回りに一周し、折り返して戻ってくるようなコースである。
きれいに一周しないのは、リィネ村の北側には険しい岩山が連なり、越えるのが難しい為だ。いずれにしても、数日で終わる道のりではない。多くの者は秋の収穫の後に旅立ち、春頃に戻ってくる。
「出来るだけ、色んな村を見てみたいんだ。俺はリィネ村から出たことがないからさ。きっと、よそでは、暮らしも仕事も違うと思う。知らない場所で、やったことない経験をしてみたい。どこかで少し働いてみるのもいいなと思ってる。」
前々から村の外を見てみたいと言ってはいたが、兄がそんな風に考えていたとは知らなかった。エールは巡礼の旅について、精霊のほこら巡りと真実の滝のことしか考えていなかったのだ。
「そうなんだ…。他の村で働くなんて、考えたこともなかった。」
よその村や町の様子は、大人達や旅の商人から聞いて知ってはいる。今まで、エールはそれを面白い物語のように感じていた。当たり前だが、そこにも働き暮らす人々がいるのだ。勇者一族ではない人達が。
兄の横顔を見つめ、考える。なんだか、急に大人になってしまったような気がした。
「そういう大事なことは、ちゃんと言っておいてよね。帰りが遅いと心配するじゃない。」
しかし、それを口に出すのが気恥ずかしくて、エールは文句を言った。
「ごめんごめん。旅立つ前には言うつもりだったんだよ。」
本当かどうか怪しいものだ。そう思ったが、言及するのはやめておくことにした。南門はもうすぐそこだ。
兄妹のやり取りを笑って見ていたアスカだが、ふと、真面目な顔になってクライブを呼んだ。
「ねえクライブ。」
その少し真剣味のある口調に、クライブはアスカに向き直る。彼女は少しためらうと、決心したように後ろ手に持っていたものを差し出した。
「これ、私が作ったの。良かったら持って行って。」
それはシンプルな作りの、銀の指輪だった。旅人がお守りとしてよく持つもので、剣を持つ妨げにならないよう、内側が少し平らになっている。
「旅のお守りか。ありがとう、アスカ。」
クライブは指輪を受け取ると、手のひらに乗せた。滑らかな金属が、革の手袋を映して優しく輝いている。
「早速付けていこうかな。ちょっと手袋を持っててくれ。」
クライブは指輪を嵌めると、掌を握ったり開いたりして感触を確かめ、嬉しそうにそれを眺めた。アスカが恥ずかしそうに目線を落とす。
「あ…。」
アスカが小さく声を上げた。クライブの腰に下げた剣に気づいたのだ。目線に気付いた彼は剣の柄に軽く握り、笑って言った。
「ああ、エールに持たされたんだ。どうしてもって言われて仕方なくさ。」
「もう!クライブだって、旅に持っていきたいって言ってたじゃない!」
隣にいたエールは、すかさず噛み付く。素直に感謝すればいいのに、なんでいつも余計なことを言うのだろう。小突こうとすると、兄はひらりとその手をかわしてまた笑った。
「ははは、冗談だよ。」
そしてアスカの目を見ると言った。
「聞いたよ。アスカが打ったんだってな。大事にする。剣も、指輪も。」
そう言って、クライブは改めてアスカを見た。アスカも彼を見つめ返す。エールはというと、自分が邪魔になっている気がして、むず痒い気持ちで空を見ていた。
「あ!クライブさん!おーい!エールさん!」
そこに、元気な声が響いた。エッジだ。いつの間にか、南門が見える所まで来ていた。まだずいぶん遠くにいるというのに、エッジ声を張り上げ、飛び跳ねている。元気なことだ。
彼の空気を読まない無邪気さに、エールは救われたような気持ちになった。二人には少し悪いが。
「親方と奥さんに、村長もお待ちかねッスよ!クライブさん、いよいよ旅立ちッスね!寂しくなるッス!」
あっという間に駆け寄ってきたエッジは、頬を紅潮させ、まくしたてる。
「もしレンデでおれの家族に会ったら、よろしく言っといて下さい!」
彼はレンデの町の出身なのだ。なんでも、十人兄弟の末っ子らしい。エッジがニッカリと笑う。煤けた顔に白い歯が眩しい。クライブも頷きながら、相変わらず元気だなと笑った。
南門には大人も若者も大勢が揃っていた。クライブが、仲の良い若者達に近づいて声をかける。
「思ったより勢揃いだなぁ。そんなに大げさにしなくて良かったのに。」
「何言ってんだよ。村一番の剣士の旅立ちだろ。あ、今はエールが一番か。」
誰かが茶々を入れ、彼らはしばし小突きあって笑った。
そこに何やら布包みを持ってきたテルナがクライブを呼び、それを渡す。ずいぶんと大きい。
「もうお昼を過ぎてしまったからねえ。サンドイッチを作ってきたから、歩きながら食べなさい。これは夜食べる分。干し肉と乾パンも入れておいたからね。旅先でも食事はしっかり取るんだよ。」
これが最後とばかりに世話を焼くテルナに、クライブは礼を言った。
「ありがとう、おばさん。大事に食べるよ。」
クライブは包みを荷物の袋に入れようとしたが、入り切らなかった。テルナに手伝って貰い、ベルトの邪魔にならない位置に結びつけたが、少し不恰好になってしまった。
テルナが、クライブの剣を見ておや、という顔をする。
「ああ、さっきエールに貰ったんだ。リィネの剣を手に旅を出来るのは心強いよ。アスカの作なんだってな。」
「そうとも!」
横から割って入ったのはテンガン親方だ。
「打ったのはアスカだが、この俺が監修した剣だからな。斬れ味はばつぐん、岩を断っても折れやしねえ名剣だぜ!大事に使えよ!」
胸を張る父親に、アスカが露骨に嫌そうな顔をして、それを見たクライブが吹き出した。
「あんたったら、こんなときに見栄をはるんじゃないですよ!」
奥方が一喝し、叱られた親方がむっつりと黙ったので一同が笑った。
「勿論、大事にするよ。皆も、見送りありがとう。」
そう言ってクライブは門の外へ一歩踏み出すと、皆に別れを言う為に振り返った。
「お前のことじゃから心配はしておらぬが、道中危険な生き物もおるでなあ。気を付けて行くのじゃぞ。」
村長の言葉に頷き、巡礼者は一同を見渡す。
「じゃあ、行ってきます。」
そう言うと、彼は荷物を肩に担ぎ、歩き出した。
「旅立つリィネの子に精霊達のご加護を…。」
村長がその背中に呟く。村人達も口々に別れの挨拶をした。クライブはというと、歩きながら片手を上げるいつもの挨拶だ。
南門をくぐると、道は垣根沿いにすぐ西に向かって曲がっている。その曲がり角で、クライブは一度振り返り、また片手を上げた。
「いってらっしゃい!」
エールも、皆と一緒に精一杯の声を上げて手を振った。
クライブが見えなくなると、村人達はぞろぞろと歩き出し、それぞれの生活に戻って行く。エールはしばらく兄が姿を消した道の先を見つめていた。
「行っちゃったね。」
エールの呟きに、村長がうんうんと頷いた。
「寂しくなるのぉ。」
「うん。ちょっと寂しいな。」
言いながら、傍にいるアスカを見て、驚いた。幼馴染はうっすらと涙を浮かべていたのだ。アスカがエールの視線に気付き、二人は目が合ってしまった。気まずい。
「でもアスカほどじゃないかな。泣くくらいなら、ついて行けば良かったのに。」
恥ずかしさに耐えきれず、エールが軽口を叩く。
アスカはみるみる怒り顔になったが、顔が真っ赤なのは、怒っている為だけではなさそうだ。
「ちょっと、泣いてないわよっ!」
「嘘。泣いてるじゃないー。」
エールは笑って走り出した。
「泣いてないっ!」
アスカが叫びながら後を追う。笑ったり怒ったりしながら、走り去る少女達の背中を、村長夫人と、テルナが微笑ましそうに見やった。
「あの子達は、いつまでも変わらないねえ。」
「本当、そうですね。」
「おれ、感動したッス!」
エッジは心からそう思っているようで、拳を握りしめて力強く言った。
テンガンだけが複雑そうな顔をしている中、村長が大口を開けて笑った。
「ほっほっ!こりゃ、当分は寂しくはなりそうもないのお。」
西の空は群青色に濃く、薄い雲が斜めに流れている。晩秋の風が色づき始めた木々の葉を揺らし、冷たく吹き抜けていった。




