1.先輩からのお願い事
雷光にも似た一閃が俺の頬を掠める。
出会った頃とは比べ物にならない程研ぎ澄まされた彼女の技、僅か3ヶ月前に出会った少女は俺の想像を遥かに超えて成長していく。
「先生、もっと真剣にやって下さい!」
「え?いや、ちゃんとやってるよ」
「嘘です!いつもはそんなだらしない顔してないですもん!」
「あれ、まじ?」
どうやら、知らず知らずの内に頬が緩んでしまっていたらしい。
とはいえ仕方あるまい、可愛い弟子の成長というのは、本当に嬉しい物なのだから。
しかし、目の前の15歳の少女ーー春宮小夜が俺のそんな感情を理解している筈もなく、不満げに唇を尖らせると、刀の鋒を俺に向けた。
「良いですよ!なら、そんな顔出来ないくらい、先生を本気にさせて見せます!」
「それは楽しみだ」
俺も刀を構える。
開始の合図は無い。互いにゆっくりと歩み寄り、俺の間合いに小夜が入った瞬間、彼女の脇腹に刀を叩き込む。
だが、小夜はそれに反応、刀で防ぐとそのまま刃を滑らせて俺の首目掛けて刀を振り抜いた。
ここまでの動きは及第点、だが、俺が上体を少し逸らして刀を躱したのを好機と見たか、体勢を崩して二撃目を放とうとしてしまったのはいけない。
軸足を払ってやると、そのまま身体が宙に投げ出される。
「きゃっ」
「ほい」
それを刀を持たない腕で支えてやる。
肩を抱き込むような形になったのはわざとでは無い。
「中々良い動きだったけど、チャンスこそ最も冷静に見極めないとね」
「・・・はぃぃ」
顔を真っ赤にしたまま小夜が消え入りそうな声と共に頷く。
可愛い・・・いや、流石に先月まで中学生だった子に劣情は抱くのはヤバイ。これはペットに向ける的なあれだと自分に言い聞かせる。
「さて、今朝はこれくらいで終わり。学校間に合わなくなるよ」
「え・・・ちょっと待って下さい!先生、もう一回お願いします!」
「いや、時間がね?」
「お願いします・・・ダメ、ですか?」
上目遣いで彼女が見てくる。
それはズルイ。女の子は本能的に自分を一番可愛く見せる方法でも分かっているのだろうか?
先ほどの自分への言い訳が揺らぎそうになる。
「仕方ない、一回だけね」
「はい!」
再び構え直したお互いの刀がぶつかり合って、魔力が弾ける。
それは俺達の出会いを思い出させる。
初めての邂逅の時も、こんな風に綺麗な青い火花が俺達の間にはあった。
☆
京都、日本魔法協会関西支部、その喫煙室に俺を呼び出したのは奥の窓際に立っている妙齢の女性であった。
「や、久しぶりだね。一本どう?」
女性ーー八坂千里は短くなった煙草を灰皿に押し付けると、俺に煙草を勧めてくる。
「いえ、結構です・・・」
「何だよ、つまんないにゃー」
言いながら、新しく取り出した煙草に火を点けると彼女は深くそれを吸って、雲のような煙を吐き出す。
随分と幸せそうだが、手元の灰皿に積み重なった吸殻を見るに、俺が来る前にも随分と吸っていたようだ。
「何本目ですか?」
「さあ?逆に聞くけど、君は一日で飲む水の量とか考えたことあるの?」
予想以上の答えが返ってきて思わず固まる。何この人、ブランドー家の方なの?
「それより、今日何で私が君の事呼んだのか。聞かなくていいの?」
「聞かなくていいなら、聞かずに帰りますけど?」
「うーん・・・駄目かな」
「ですよね、じゃあはやく教えて下さいよ」
諦めまじりに尋ねる。
どうせ、無視してもそのツケは何処かに回ってくるのだ。なら、時間のある時に処理したい。
しかし、続く彼女の言葉は余りにも唐突なものであった。
「君さ、高校生になりかけの中学生は好きかい?」
は?
「おいおい、何言ってんだこいつみたいな目を向けるのはやめてよね〜。これでも真面目に聞いてんだからさ」
「・・・いえ、遂にアルコールとニコチンで頭がやられたかと思いまして、で、今何と?」
「中学生に興味無い?」
より過激になった。
「何ですか、誘導尋問ですか?俺になんか恨みでもあるんですか?」
「いや、別に無いよ。ついでに、しれっと言ってくれたけど、流石に酒も煙草も、まだ頭がイかれる程はやってないかな」
「あはは、面白い冗談ですね」
頭がイかれていなきゃ、こんな事言えないと思うんだよなぁ。
ところが、千里さんはどうやら真面目にそんな事を言っているらしく、机に乗せられていた鞄からいくつかの用紙を出してきた。
「これは・・・入会志願書?」
「そ、来年こっちの高校に入学する会長のお孫さんのね」
入会志願書というのは、今、俺達のいる魔法協会のだ。原則、魔法協会に所属していない者は魔法の使用を禁じられている。
「本当だ。会長の名前とか書いてあるし、でも、本人の名前が記されていませんが?」
「そう、それなのよ」
彼女が火の消えた煙草をこちらに向ける。
「お孫さん自身が、魔法師としての道を進むべきかどうか迷っているらしいの」
「ああ、成る程」
世界中で、魔法が日常にも用いられるようなものになったのは僅か百年程前の話だ。
第二次世界大戦以前までは戦争の為の軍事魔法ばかりに注力しており、魔法を習うのであれば、軍属となるのが当たり前だったという時代も長かった。
最近では魔法を使ったオリンピック競技なども出始めてはいるが、未だに魔法を使う魔法師は野蛮だというような風潮も残っていたりする。
それに、魔法師にはなってみなくては分からない、苦しみというものも存在している。
「会長の方は?」
「本音では魔法師になって欲しいみたいだけど、お孫さんにはどっちでも良いよって言っているみたい」
「・・・それとさっきの話になんの関連が?」
「もし、その子が魔法師になるようだったら、魔法の師匠が必要でしょ?」
「まあ、それはそうですが・・・まさか俺に師匠になれと?」
「そのまさか。どうせ右手の怪我が治るまで時間とか有り余ってるでしょ?」
「いや、にしてもです。魔法師にとって、師匠は第二の親も同然ですからね。来年ようやく大学生の俺には荷が重すぎると思いますが」
「だからこそ、でしょ。会長も下手な奴を師匠にしてお孫さんの可能性を潰したく無いんだと思うよ?その点、《大魔法師》の貴方なら心配無いだろうし」
「いや、ですけど・・・」
煮え切らない俺の返事に痺れを切らしたのか、千里さんがケータイを取り出して何処かに電話を掛ける。
「あ、どうも。八坂です・・・はい、ご無沙汰しております。例の件なのですが、今、目の前に居るので連れて行きますね・・・はい、はい、では・・・よし、じゃあ行くよ」
電話を切った千里さんが立ち上がる。
「え、行くよって?」
「会長さんとこ」