追憶/エッジワース
オスカー・エッジワースと初めて出会ったのは七年ほど昔に遡る。
あれは僕が冒険者になって、何度目かの依頼を受けた時のことだ。
人里に降りて来ては農作物を食い荒らす魔物を、住処の洞窟まで出向いて掃討して欲しい――確か、そんな話だった。
何処にでもある、ありふれた仕事だ。だからこそ、駆け出しである僕にはぴったりの難易度だった。
必要な道具を洞窟の近くにある村で買い揃えることにした僕は、リエラという小さな村を訪れた。
ラグナ王国の跡地から南東に二十里ほど進んだところにある寒村だ。
コボルドによる食害で畑の収穫が著しく減ったというその村は、酷く寂れていた。
道具屋で明かりになるものを探していた時の事だ。僕は店の主人に声を掛けられた。
その深刻そうな表情に、僕は思わず松明を選ぶ手を止めて話に聞き入ってしまった。
「あんたがコボルド退治を引き受けてくれたっていう冒険者かい?」
「そうですが」
「だったら丁度いいや。依頼のついでにもう一つ頼まれちゃくれねえか? 傷薬を何本かおまけするからよ。実は――」
目的地である洞窟は、村を出てから半刻ほど歩いた頃に見えてきた。
今回の標的であるコボルドは亜人ではなく魔物に分類される通り、その知能はあまり高いものではない。
彼らは人間の子供より少し大きいくらいの矮躯に獣のような体毛と尻尾を持ち、二足歩行で食料を求めて辺りを徘徊する。
対峙する際、伏兵や罠にあまり気を遣う必要が無いところが駆け出し向けと言われる所以だった。
僕は洞窟の周りに見張りがいないことを確認すると、洞窟の入り口に張り付いて中の様子を覗き込んでみた。
「……随分と静かだな。コボルドはもっと騒がしいものだと思っていたけれど」
全くと言っていいほどに、何の気配もしない。
極めつけに、洞窟はやけに静かだった。
事前に村で集めた情報では、洞窟に巣食う魔物は十五体以上。
村の大人たちが追い払えないほどの数がいた筈なのだ。
警戒しながら僕は洞窟の奥へ侵入する。
すると僕はすぐに異変に気が付いた。血の臭いがする――
それは歩を進めるほどに強くなり、徐々にコボルドたちの姿が見えてきた。
どれもこれも、生きてはいなかったが。
「妙だな。一匹も武器を持っていない」
本来コボルドという魔物はその手に武器を持つものとして知られている。
石斧であったり、石槍であったり、骨を削りだして作ったものであったりと、地域によって扱うものは様々ではあるものの、武器を持たないコボルドだけはいない。
彼らはその手に常に何かを持っていないと安心出来ないからだ、という話をかつて聞いたことがあった。
「盗賊の仕業……というわけでもないよな。襲うなら近くの村の方がよほど効率が良い」
拭えぬ違和感を抱えたまま、いよいよ僕は洞窟の半ばまで来てしまう。
結局、一匹たりとも生きているコボルドはいなかった。
もしや、既にコボルドは全滅しているのではないか。そんな考えが頭を過る。
しかしそれは、もう一つの依頼である尋ね人の生存さえも危ぶむものだった。
「オスカー、と言ったっけ……無事だといいけれど」
僕がリエラを訪れる少し前に洞窟へ向かったという村の少年、オスカー。
まだ十三歳と幼い彼を、見つけ次第保護して欲しいというのが道具屋の店主の頼みだった。
幸いというべきか、僕はまだ少年らしき遺体を見つけてはいない。
このまま最奥に至るまでその姿が無ければ、入れ違いになった可能性もある。
僕はそうであってほしいと願いながら、洞窟の調査を再開した。
大分歩いた頃、急に人の気配を感じた。何かがぶつかり合うような音も。
僕はこれを知っている――戦闘の音だ。
「まさか――」
慌てて駆けだすと、開けた場所に出た。
天井は吹き抜けになっており、差し込む光で目の前の状況がよく分かった。
戦っている。僅か十三歳の少年が、大量のコボルドを相手に。
「ちきしょうッ! 《破壊の紋章》さえ使えれば、お前らみたいな奴に負けたりなんかしないのに!」
少年は腕を怪我している様子だった。骨が折れているであろう、だらりと下がった左腕を庇うようにして片手で短槍を操り、じわじわと狭められるコボルドたちの包囲網に対して隙を見せぬようにしていた。
「くそっ、くそっ!! 嫌だ、こんなところで、俺は……ッ!」
このままでは危ない。そう思った時には、自然と身体が動き出していた。
僕の剣が一閃する。まずは横に並んだコボルドの首が三つほど、宙を舞った。
背後から急に襲われた彼らは、自分の身に何が起きたかさえ気付いていないことだろう。
「こっちだ!」
崩れた包囲の先で声を上げ、少年に合図をする。
そのまま駆け寄って来た彼を背後に匿うようにして、後続のコボルドたちに剣を向けた。
少年は納得いかないといった声音で僕に語り掛ける。
「あんた、もしかして冒険者か」
「ああ、そうだ」
「あんたが来なくたって、俺一人でどうにかなった」
「そうかもしれないね。でも、僕にも少しは手柄を譲ってほしい」
「ちぇっ、勝手にしろい!」
同胞を殺された恨みを晴らすべく、コボルドたちが怒り狂って突っ込んで来た。
――これくらいなら、どうってことはない。
まずは石斧を振り下ろされるよりも先にコボルドの両腕を断ち切り、その胴体を蹴り飛ばして後続へと叩き付けてやった。
力の差を最初に見せつけてやれば、最早流れはこっちのものだ。
数分もしないうちに、十体はいたであろうコボルドの群れは全滅していた。
「……今度こそ、全滅させられたかな」
「ああ。他のところにいたコボルドは全部俺がやっつけた。間違いないよ」
道中の亡骸を合わせれば、洞窟には十六体ほどのコボルドがいたことになる。
事前の目撃情報と併せて考えてもこれ以上の脅威は無いと判断した僕は、オスカーを連れて村へ帰ることにした。
「礼は言わないからな」
「ああ。僕が勝手にやったことだ。それよりも、怪我は大丈夫かい」
「こんなの、どうってことないっての」
強がってはいるものの、少年の左腕は赤く腫れあがっていた。
黙って少年の患部に手を触れると、オスカーは痛みに耐えきれずに声を上げる。
「い、痛ってえ!! 何すんだよッ!!」
「念のため、処置をしておこう。僕に診せてくれ」
「嫌だ! そうやって俺を騙して金を毟り取ろうって魂胆だろうがそうはいかないぞ」
「金を取る気はないよ。僕がそうしたいんだ。どうかな」
「……もし楽にならなかったら、《破壊の紋章》を使ってやるからな」
事前に準備しておいた薬の中に、麻酔作用のある薬草があって助かった。
僕は手早く少年の腕に副木を施すと、包帯を巻いてやる。
「本格的な処置は村に帰ってから医者にやってもらおう。歩けるかい」
「馬鹿にするな! 俺は誇り高き騎士なんだぞ」
「なら、騎士殿に村までの道案内を頼んでも良いかな」
「ふん。騎士たるもの、受けた恩は返さなくっちゃいけないんだ。頼みを聞いてやってもいいよ」
「有り難い。それじゃあ、宜しく頼む」
すぐに出立すれば夕暮れには戻ることが出来る筈だ。僕たちは手早く撤収の支度を終えると帰路についた。
村へ向けて歩き始めて少し経った頃、ばつが悪そうな様子でオスカーが口を開く。
「……なあ、あんた。名前はなんて言うんだ?」
「アーセルジュ・フィニスだ」
「アーセルジュ……あんた、強いんだな」
こちらに一瞥もくれることなく、彼はそう言った。
「きみほどじゃないよ」
「やめてくれ。……本当は分かってるんだ。あんたが助けてくれなきゃ、俺はコボルドに殺されてたんだって」
「そうかもね」
「俺の紋章、《破壊の紋章》って言うんだ。名前くらいなら聞いたことあるだろ?」
「ああ。それを宿した腕で振るった武器は、どんなものでも壊せるようになる。凄い紋章じゃないか」
「違うんだ。《破壊の紋章》は確かに強いよ。でも、それは俺の力じゃない」
人が生まれながらに宿す紋章は、その才能の表れと言われる。
そんな考え方が一般的なこの世界で、少年の主張は極めて珍しいものだった。
「……俺……紋章に頼りっきりで。この力さえあれば、なんだって倒せるんだって思ってた。でも、いざコボルドたちと戦って……腕を怪我したら、何にも出来なくなったんだ」
強い紋章を宿して生まれたものほど、その力に頼りがちになってしまうものだ。
事実として、紋章を過信して早くに散った人間は数多く存在する。
それを思えば、少年を責める気にはなれなかった。
「でも、きみは生き残った。だったら学べばいい。そうすれば、もう同じ間違いは繰り返さないだろう」
「……叱ったりしないんだな、あんたは」
「既に反省したんだろう。だったら、僕が叱ることなんてないさ。今日色んなことを学んだきみは、きっとこれから強くなる。そうだろう?」
僕がそう言うと、それきりオスカーは黙りこくってしまった。
暫くして村が見えてきたところで、再び彼は僕に質問を投げかける。
「――なあ、アーセルジュ。あんたはなんで一人で冒険者をやってるんだ?」
「困っている人がいたんだ。そういう人を助けているうちに、気付けば冒険者になってた」
「気付けばって……あんた、変なヤツだな」
「よく言われる」
「……村についたら、また旅立っちゃうのか?」
「そのつもりだよ。冒険者ギルドにでも行けば、きっと新しい依頼も増えている頃だろうし」
「冒険者ギルドに行ったら、俺も冒険者になれるかな」
「きみは騎士じゃなかったのかい」
「ああ、そうだよ。騎士の国ラグナの生き残りだから、俺は誇り高き騎士になるんだ。……でも、アーセルジュを見てたら、冒険者もいいなって……だからさ、俺、決めた! 自由の騎士になる!」
自由の騎士。それは、仕える主人を持たない流浪の騎士を指す言葉だった。
唐突なその宣言に、僕は目を丸くする。
「自由の騎士なら、誰かに仕えなくても平気だろ? で、アーセルジュの仲間にもなれる!」
「仲間って……まさか、ついてくるつもりかい」
「ああ! 村に帰ったら診療所でちゃちゃっと怪我を治してもらって、そしたら皆を説得するからさ。ちょっとだけ待っててよ、兄貴!」
「兄貴?」
「アーセルジュはこれから俺の兄貴分になる男だろ? だから兄貴さ! よろしくな!」
随分な拾い物をしてしまったと、そう思った。
少年の眼は強い決意に満ちていて、最早何を言っても聞きやしないだろうということだけが分かった。
こうして、あれよあれよと言う間に、僕は冒険者になって初めての仲間を得た。
彼の名前はオスカー・エッジワース。若くして天才的な武術の才能を持った、真っ直ぐな少年だった。