ワールズエンド・アズリエステラ(3)
「おまえはきっと、すべてを棄ててここへ来た」
「背負ったものを貫くことも、自ら幕引きを選ぶことも放棄して」
まるで少女の向こう側に、鏡に映った自分がいるかのようだった。
出会ったばかりの筈の彼女は、まるで心の中を読む魔術師のように平然とそう言ってのける。
「ああ、そうだ。きみの言う通りだ」
「……もう、厭になったんだよ」
「だから逃げた。仲間も、故郷も、背負ったものも、何もかも棄てて」
改めて言葉にしたことで、その事実が僕の背に重く圧し掛かる。
今更振り返ることに何の意味も無いということは分かっていた。
それでも敢えて吐き出してしまった理由は、自分でも分からなかった。
少女は俯く僕へと距離を詰めれば、極めて冷ややかな声で言葉を紡ぐ。
「おまえは愚かです」
「……はは」
「私も一度は為すべきことに背を向けた身。おまえを責める資格は無いのかもしれません」
「ですが言います。おまえは愚かです。酸鼻を極める大馬鹿者です」
「ああ。確かにきみの言う通りだ。何を言われたって仕方無い」
「何もかも棄てたつもりになって、それでも諦め切れてはいない」
「そういうところまで、きっとおまえは私と同じで……」
頭を鈍器で殴られたような気分だった。
諦め切れてはいない? 彼女は一体、何を根拠にそんなことを。
「買い被りだよ。僕ときみは同じじゃない」
「だったら何故、おまえは私に剣を向けなかったのですか?」
「それは――」
咄嗟に答えることの出来なかった自分を嫌悪する。
未練など疾うに失くした筈の世界で、ほんの少しでも、知りたいと思ってしまった可能性を否定出来なかったからだ。
少女の語る、花の名前を。魔族という存在を。戦争の真実を。
それが、僕の棄て切れなかったものだというのか。
「もしも私の勘違いなら、それも良いでしょう」
「おまえが尚も全てを諦めているのだとしたら、吉報があります」
「吉報、だって?」
「……私は、ずっと待っていたのです」
「言葉を尽くすことが出来る、おまえのような人間を。そして――」
「死を塗り替える生命の輝きが、この地に溢れるその刻を」
「それは一つの賭けでした」
一面に咲くアズリエステラ。その花が満開となったのは今回が初めてなのだと、少女は言う。
「そもそも光喰みとは、生命を求め、生命を喰らい、生命を模倣する存在です。彼らは自ら争いの火種を蒔き、危機に瀕することで強くなった命の輝きを好んで刈り取るのです」
より強い命の輝きを好む。その言葉に、僕は《北天の落日》を思い出した。
当時に於いて大陸最強の国家であったラグナ王国は、まさしく彼らの望む命の輝きを放っていたということなのだろう。
「この花が咲き乱れる時、大地は再誕する。それ故に……溢れだす命の輝きは、確実に光喰みを呼び寄せてしまうのです」
草木の一つも生えることのない死の大地に、豊かな緑を取り戻す力。
魔術に明るくない自分にさえ、それがどれほどの禁忌であるかは容易に想像出来た。
何処にいるとも知れぬ光喰みに世界の再生を秘匿するような真似は、どんな大魔術師にだって不可能だろう。
「光喰みを滅ぼす術は、未だ見つけられてはいません。だから私にとって、刻限は今日までだったのです」
そう言って、少女は寂しそうな顔をした。
光喰みを前にすれば、誰もが等しくその命を散らすことになるのだろう。
故に、死を求める者にとっての、吉報――
次の静寂を切り裂いたのは、吹き抜ける風でも誰かの声でも無かった。
羽撃きだ。巨大な翼をはためかせ、遠くから風を切って何かがやってくる。
明らかに野生の鳥獣と異なるその挙動は、今や伝説にのみ語られる幻想の如き生物の頂点――ドラゴン。
それが光喰みなのだということは、直感で分かった。
「よりにもよって、これか」
星の命を蝕むその怪物は、悠然と僕たちの目の前に舞い降りる。
言葉は無かった。ただ、命を値踏みするような視線だけが、じっとりと身体に纏わりついていた。
「……今なら間に合う。きみは花の種を持って逃げるべきだ」
「お断りします」
「諦めてはいないんだろう。だったら、何故」
「負けない賭けを降りるつもりはありません」
「……買い被りだよ。僕はただの人間だ」
「それでも、きっとおまえは――」
痺れを切らした光喰みは、僕へ向かって大きくその口を開いた。
竜の息吹。伝承に拠れば、魔術師の操る炎などは比較にならないほどの超高温の吐息だったか。
やはり、此処で終わるのも悪くはない。なにせ相手は模倣とはいえ世界最強の存在だ。
けれど。
世界最強の存在だからこそ、勝算が生まれてしまった。
僕の背負った宿命は、死の結末を許さない。
「――だったら、僕も。もう一度だけ……逃げずに立ち向かってみよう」
「ああ、そうだ。僕なら出来る。出来てしまえる」
視界が歪む。
気付けば竜の息吹は間近に迫ってきていた。
歪む景色は陽炎か、それとも走馬灯か。
死を間近に感じているというのに、いやに冷静な自分がいた。
「子供の頃からずっと考えていた。僕が生まれ持ったこの力は、何の為にあるのかと」
誰もが生まれながらにして肉体に宿す紋章。
その多くは本人の才能を示すものとして知られている。
《剛力の紋章》を授かった者は類稀なる筋力を、《叡智の紋章》を授かった者は溢れんばかりの知性を見せるといった具合に。
その中で、百年以上昔に絶滅したとされる存在を滅ぼすことだけに特化した特殊能力を秘めた紋章を宿して、僕はこの世に生を受けたのだ。
煉獄の如き炎がどれだけ荒れ狂おうと、花畑を焼き払うことはなく、熱さえも届くことはない。
翳した右手の紋章が、全ての破壊を許さない。
竜の為しうる全てを防ぐ不可視の障壁が、厳然と聳え立っていた。
「――《竜殺しの紋章》。これこそが、お前を滅ぼす唯一の可能性だ」