ワールズエンド・アズリエステラ(2)
少女が僕に語って聞かせたのは、どれもこれもが耳を疑うような空想じみた話ばかりだった。
「そもそも魔族というものは、おまえたちが知っている残虐な侵略者ではありません」
「僕の知る歴史では、百年以上前に突如現れた魔族が人々を襲って略奪を繰り返したことになっている」
「正確には百二十八年前。大陸北端のラグナ王国が滅ぼされた一件――《北天の落日》が発端とされていますね」
「やけに詳しいな」
「ずっと、見ていましたから」
続けて彼女が語るには、魔族というのはおよそ丁度時期を同じくしてこの世界へやってきた存在なのだという。
ずっと見ていた。
その言葉の通り、淡々と述べられる事件の概要はある一点を除いて後世に伝えられる史実と何ら変わりがないものだった。
今から百二十八年前、栄華を極めた北方の大国ラグナは、人ならざる力を操る軍団によって襲撃を受けた。
自分たちを魔族と名乗ったその軍団にはどんな武器も通用せず、あらゆる神秘を跳ね除けながらすぐに王家の喉元へと迫り……そして、一月ほどでラグナの貴き血筋に連なる者は全て命を落としたのだ。
以降、大陸北部は草木の一本も生えぬ死の荒野と化し、あらゆる生命がその地を放棄することになった。
唯一歴史と異なる点は、ただ一つ。
その侵略者の正体が魔族ではない、ということだった。
「つまり、きみが言いたいのは、こういうことか?」
「魔族は侵略者などではなく、第三の存在が名を騙って悪逆の限りを尽くしている」
「……そんな陰謀論は聞き飽きた。少なくとも、僕たち人間にとっての魔族とは弱者を虐げ悪を為す存在を指す言葉だ」
「僕が物心ついた頃から数えても、多くの美しい自然が彼らの手によって死の大地へと変えられた。きみたちにとっての魔族の定義なんて関係ないよ」
「いいえ。百二十余年の間おまえたちが戦争を続けていた相手は魔族で間違いありません」
「多くの血が流れました。おまえたちも、私たちも。多くの命を失いました」
「私が伝えたいことは唯一つ。《北天の落日》を皮切りに、今なお世界に死の種を蒔き散らす者――」
「光喰み。人と人との狭間に紛れ、星の命を終わらせる者。その存在です」
突拍子もない話だ。
永い間続いてきた戦争が、人間でも魔族でも無い存在によって引き起こされたなんて話は、物語だけで十分だった。
けれど。
けれど、この花畑は何だ?
多くの土地を滅ぼした魔族が、何故こんな益の無い世界の最果てなんかを復興しようとしている?
その違和感だけが、僕がこの場を立ち去ることを許さなかった。
「……光喰み、か」
少女の言葉が真実だとすれば、根拠が思い当たらない訳でもなかった。
歴史が正しいのならば、《北天の落日》で王国を滅ぼした魔族は到底人の手に負える存在ではない。
今なお精強な軍隊として語り継がれるラグナ王国の騎士を物ともせず、短い期間で滅ぼしてみせたその軍勢が、以降の戦争では何故語られることが無かったのか。
何故、今日に至るまで、人は魔族に抗うことが出来たのか。
「仮に、きみの話が本当だとして……何故、きみたちはそれを知っていながら人間と争う」
「全ての元凶が光喰みとやらであるのなら、戦争なんてしている場合じゃない筈だ」
「かつて、この世界と同じことが起きて、滅びた世界がありました」
「侵略者は、『人間』を名乗り……私たちの故郷を、死の大地へと変えたのです」
「……!」
「荒唐無稽な話だと、笑い飛ばしますか?」
「私たちは、おまえたちこそが全ての元凶だと信じて戦い続けてきました」
「真実に気付いたのは、百年も争った後でしたが」
自嘲気味に笑う少女の表情は、酷く空虚に見えた。
「皮肉なものです。おまえたちに星を滅ぼす力が無いことを知った頃には、既に戦争は引き返せないところまで来ていました」
「あらゆる手段で真実を伝えようとしました。しかし私の言葉が戦争に熱狂する同胞へ届くことはありませんでした」
「だから私は、せめて全ての同胞が滅ぼされたとしても、おまえたちが全て滅びてしまったとしても、星の命だけは繋ぐことが出来るようにと――この花を生み出すことに心血を注いだのです」
死した大地を再び色付ける命。
少女は一面に咲くアズリエステラを確かにそう呼んでいた。
それは魔族に昔から伝わる花でもなんでもなく、彼女が死にゆく星を憂いて作り出したものだったのだ。
「一つだけ……どうしても分からないことがある」
僕の言葉が終わるか終わらないかといったところで、少女はまるで質問を予知していたかのようにその先を口にする。
「私が此処にいる理由、ですか?」
「ああ。死の大地となった場所は、魔族の住まう地域にもあった筈だ。
にも係わらず、きみはこんな辺境の地にいる。それは何故だい」
「……それは、きっと私が」
突如吹き付けた一陣の風に、瑠璃の花々がざわざわと揺れる。
「おまえと同じ選択をしたからですよ」
その時僕は初めて、彼女のことが少しだけ分かったような気がした。