第9話「歩み寄る絶望」
正義と悪。この状況はまさにそれに値する。
普通であればこの先は、正義であるシャルドたちが勝ち、悪であるクルミたちが負けるだろう。
それが世の中の、常識にもなっていた。
正義は必ず勝つ。その言葉が真実であることの証明である。
それでも、死人は少なからず出ることもあるだろう。戦争も、勝者にも敗者と同じくして死者は必ず出るものだ。
だが、最終的に勝者となるのはいつでも正義。
人々は、シャルドたちは正義を象徴した存在として讃え、崇めていた。
それが、シャルドたちにとってはむしろ苦痛であった。どんな危険な任務にも、引き下がろうにも引き下がれなくなってしまったのだ。
彼らがこの事に気付いたのは、勇者と呼ばれた頃から間もない時。その時から、彼らは薄々嫌な予感を覚えていたのだ。そんなことは知る由もなく、人々は彼らに期待をする。
みんな、あの方たちならきっと大丈夫と。引き受け、解決してくれると信じ、願う。
しかしながら、彼らも人間。怒る時は怒り、泣く時は泣き、嬉しいことは喜び、そして、失敗する時は失敗する。誰もが知っているはずの、当たり前のことだ。
彼らの有能さに、人々はその事すら忘れ、感覚が麻痺していった。
元々は、彼らとて勇者になりたくてなったわけではない。国が勝手に、冒険者チームの中から最も優秀な者を勇者として任命しただけのこと。悪く言えば、国の勝手な判断だ。
その結果として、シャルドたちを苦しめていることも知らずに。
冒険者であれば依頼を断ることも簡単にできた。全ての任務を請け負う必要はない、ボランティアにも似たものなのだから。
しかし、勇者として讃えられた時からそれは狂い出す。知らない者などいなくなるぐらい、有名にもなった。それがいけなかった。
人々は異常なほど、彼らに期待を抱き始めたのだ。期待にまみれている一つ一つの言葉が彼らを苦しめ、何より自らの善意がその期待を裏切ることを許さなかった。
正義こそ全て。正義こそ絶対。悪は滅ぶべき。
それが人間たちが心の中で、密かに思っていたことでもあった。
故に今回も信じ続けた。勇者の勝利を。
そんな想いを背負った五人の勇敢な勇者は、今回も悪に立ち向かう。
例えその先に待っているのが勝利ではなく、敗北。
ーー死であったとしても。
「……いくぞ」
シャルドは両手に剣を持ち、身構える。
その気迫に影響されたのか、一面に並んでる木の葉や大木、さらには大地までが震え出す。威圧とも言える迫力にも、クルミたちは動じない。
「あなたが一番強いんだね……。私には分かるよ」
「そうか……」
直後、クルミとシャルド、両者の姿が忽然と消える。
「シャ、シャルド!?」
「これは……〈双方転移〉」
転移にもいろいろと種類があるため、一概には言えないが、いずれにしても転移魔法は人間では熟練者でなければ扱うことが困難とされる魔法だ。
「さて……クルミ様の言い付け通り、私たちもやるとしましょうか」
青年の感情の読めない言葉に、アンナたちもまた構える。やはり、男たちは全くと言っていいほど動じず無防備のままだ。少年に至っては、その頬に微笑さえも零れているように見える。
それほど腕に自信があるということなのだろうか。
アンナは自身の視線をあらゆるところに向け、何者なのかを探ろうと試みる。どこかに、何の種族なのかヒントは得られないのかと。
種族さえ分かれば、弱点を突いて何とかなる場合もあった。
しかし見た感じ、国王陛下の言っていた通り普通の男女。彼らが戦闘能力を持つということ自体、信じがたいものであった。
とは言え、誰が一番危険なのかは予測が付く。あの、眼鏡を掛けた黒尽くめの女だ。
隠しきれていないあの膨大な魔力の量。同じ魔法使いだからこそ感じ取れる力だ。
「みんな、いくわよ!」
アンナは杖を掲げる。紫色のオーラを放ち、ミナトたちの身体が静かな光を放つ。
〈肉体強化〉〈耐久力強化〉〈能力強化〉
そして複数の魔法を一度に発動させられる、〈一挙複得〉だ。
魔法の発動が完了した直後、ミナトが軽やかな足取りで敵前に迫る。その速度は静かな風が激しくなるほどの疾風の如くスピードだ。
これには〈肉体強化〉の影響も出ている。
ミナトが向かった先は、幼い容姿をした少年だ。
何故先に攻撃するのが子供なのかは分からないが、アンナがあの魔女を危険視しているように、ミナトもまた何かを感じ取っているのかもしれない。
空高くジャンプをし、少年に対して容赦なきかかと落としを放つ。
援護の準備は出来ている。少年が醸し出す雰囲気はまるで、勝利を確信しているかのように緩いものだ。見た目に惑わされてはいけない。どんな攻撃を仕掛けてくるのか分からないのだから。
いざという時は転移魔法で退散させる。正直、あの少女がこの場にいないのが不幸中の幸いだろうか。あの青年は勝負を始める際に、“クルミ様”と言った。
様付けをしているということは、彼らよりも強さは上である可能性は高い。
ならば自分たちでは歯が立たないだろうと、アンナは推測する。クルミが言っていた通り、この中で一番の強さを誇るのがシャルドだからだ。
ドカァン!!
爆発音のような、何かが壊れた音が鳴り響いた。
ミナトのかかと落としが空振りし、地面が抉れたたためだ。ということはつまり、少年は避けたのだ。
アンナは迎え撃ってくることも視野に入れ、魔法を発動する準備もしていた。意外な出来事にアンナは拍子抜けする。警戒しすぎたのだろうか。本当に強かったら、今の攻撃を受け止めてくるかもと予め先を予測しておいたが。
しかし腑に落ちないのが、少年の位置。
かわしたにも関わらず、その位置はミナトのかかと落としが炸裂した大地より、たった数歩先の地点。しかも、空中に浮いている状態だ。ミナトの攻撃を、脅威に感じていた様子は全くなかった。
表情を見れば、一目瞭然だ。
ミナトはさらに踏み込む。自らの肉体を活かして、手加減なしの格闘技を連発する。
右ストレートで放つ連続殴打。
宙に舞いながら放つ連続ハイキック。
間接技を打つべく放つ手刀。
だがそれでも、どれも少年には当たらない。
何の変化も示さない。
ミナトの速度もそれなりに高いはずなのに。
するとミナトの拳が薄く、白く輝く。拳に体内のエネルギーを集中させたのだ。
それから放たれる一撃は、音速とは比べ物にならない圧倒的速度を発揮する。威力も桁違いになるのは、言うまでもない。
ミナトは拳で無慈悲にも少年に殴りかかる。
しかし。
「ーー!」
何がどうなっているのか、一瞬分からなかった。
いや、今も信じたくはない。信じられない光景だ。
アンナたちは唖然とする。
まるで時間が止まったかのように、その不可解とも呼べるあり得ない光景に、釘付けになったのだ。
誰が想像できただろう。
あれを、幼い子供の見た目をした少年が、小さな指一本で止めることなど。
あの威力をよく知り、何度も見たことがあるからこその衝撃だった。
魔法で強化もしてあるというのに。
「あーもう分かんないよ! 手加減でどんな感じ!?」
少年が他の仲間たちに語りかける。だが、ミナトはもちろん、アンナも、他のみんなも、少年の言葉を気にする余裕は残っていなかった。
心の内を占めているのは、驚愕と、徐々に巡ってくる絶望感。
「ほら、教えただろ。お仕置きするみたいにやるんだよ」
「あ、そっか」
何かを思い出したように、少年は右拳を未だ驚いているミナトの額に近付け、中指と親指を使って円を描きーー
ーー弾く。
「ーーっ」
ミナトの額に、デコピンが炸裂する。
呻き声のような掠れた声を一瞬出すが、あまりの衝撃にその後は声を出すことすら敵わなかったのだろう。
ただひたすら吹き飛ばされ、それに巻き込まれた大木も同時に倒れていく。
幸い、それがクッションの役割を果たし、勢いは小さくなっていき途中で止まる。
しかしこれはそのまま森を通り抜け、そこで気絶していた方が良かったのかもしれないが。
「ミナト!!」
キャリーが叫ぶようにミナトを呼ぶ。だがピクリとも動かない。
額には止めどない血が溢れ出す。
「ミナト……。アンナ、お願い!」
「分かってるわ!」
再び杖を掲げ、魔法を発動させる。
〈超回復〉は〈回復〉と呼ばれる魔法よりも回復量は格段に上だが、もしも対象者が死んでいた場合は意味を成さない。
「…………………ぐ」
その手が僅かに動き、ミナトが起き上がるのを確認できた。もしも〈耐久力強化〉を使用していなかったら危なかったかもしれない。
「チッ……そのまま死んでいれば良かったものを。だが、これではっきりしたな」
「ふむ、そうですね。このまま殺して問題ない人材でしょう」
冷めた声だ。興味がなくなったかのように、冷たく。
アンナは杖を握り、次なる魔法を使用する。
〈炎渦〉
炎で作られた竜巻が、彼らの身体をまとめて覆う。
かなりの広範囲に渡って繰り広げた魔法だが、周りの樹木には影響が及ばない。森を燃やす勢いで放ったはずなのに。草木一つ燃えないのは、明らかに不可解すぎる。
攻撃しているのはアンナ。
なのに、動揺が止まらない。
「手伝うわ!」
キャリーが弓を引く。
狙いは敵全体。
炎の渦の中に矢を放っても意味を成さないが、言われるまでもなく、アンナは〈一挙複得〉を用いり、矢の強化を行う。
弓矢の威力を失わず、渦の中に矢を放つ。
一つや二つではない。
何十何百何千もの大量の矢が、敵全体に向けて襲いかかる。
これだけ大量の矢が射たれているのは、キャリーの特殊能力のおかげだ。さすがにこの合わせ技を加えれば、敵だって無傷ではすまない。
そう思っていた。
「え……?」
突如、炎と矢が消滅する。
「茶番はおしまいですか? それでは、次はこちらのターンです」
魔女が一歩、また一歩と歩み寄る。
アンナの恐怖心を刺激でもしているのか、ゆっくりと。
恐らく、勝ち目はない。
これではっきりとした。
あの攻撃で無傷なら、アンナ側でどうにかできる術はない。
ならば残された手段はただ一つ。
「……勝てない。逃げるわよ」
「え?」
キャリーは何かを言いたげな顔だったが、有無を言わさずアンナの杖は光る。
想定よりも早い退散だ。さっきだって、ミナトが死んでいた可能性は十分にあった。この感じでは、あの少年が本気になればミナトを殺せていたのだろう。
死んでからでは遅い。死んだらそれで終わりなのだ。
この世に、復活魔法は存在しないのだから。
〈対象転移〉を発動し、ミナトたちの身体も光だす。シャルドの事は悔やまれるが、死なせはしない。
みんなを逃がせた後でシャルドたちの所に行き、転移魔法で助けに行く。シャルドの覚悟を無駄にする行為かもしれない。
しかし、やはり仲間が死ぬなど耐えられないのだ。
そんなの、一生後悔するに決まっている。
それだけは絶対に嫌だ。
ーーだからお願い。それまで生きていて。
そう願い、その場から離れるーー
アンナの視界に、不敵に笑う魔女の姿が映る。




