第10話「非情な現実」
背筋からゾワゾワとした感覚に陥る。
それは恐怖。あるいはとてつもなく、嫌な予感を感じたためだ。
とにかく、今は一刻も早くこの場から離れなくてはならない。魔法の発動は、範囲によって詠唱時間が変わる。今回使った〈対象転移〉は、転移させる人数が一人ではない分、時間がかかってしまう。
これほどの、想像もつかない強敵が目の前にいるにも関わらず成功するのかは正直賭けであったが、どうやら魔法の発動には成功したらしい。
景色が変わる。転移先はエッジタウンの入り口だ。
国王陛下にはどう伝えるべきなのか、悩ましいことではある。他の離れた国から応援を呼ぶべきだろうか。そうでもしなければ……。
さまざまな考えを頭に巡らせ、その場からやっとの思いで離れる。
そのはずだった。
「……え?」
思考が停止する。加えて、理解ができなかった。
魔法の発動には成功したはずなのに、何故。
どうして目の前にまだーー
「ふふふ……」
魔女のクスクスとした笑い声に刺激され、我に返る。
「申し訳ありません。この森では、あなたのような脆弱な人間が持つ、低位の転移魔法は使用することができないのです」
「何よ……それ……」
「私たちはまだ何もしてないんだ。さすがに逃げるのが早すぎるだろうが」
明確な殺気を持って一歩ずつ近付いてくる女。
だが、こちらもまだ諦めたわけではない。ここにきてジークが一歩踏み出す。
「このままでは逃げるのは無理だろうな。人間の肉体能力が通じないなら、同じものをぶつけるべきだろう。目には目をと言うように、魔物には魔物をな!!」
普段は無口であまり口を開かないはずのジークが、覇気に満ちた声をあげ、十字型の物体を天目掛け掲げる。
それに差響されたかのように、複数の雷が大地に落ちる。
それから現れるは、複数の異形なモンスター。
スライムやゴブリンのような低レベルのモンスターから、巨大な大男の外見をしたオーガまでもが姿を現す。
さらには、空中より激しい強風が吹き荒れる。
発生源を辿ると、それはオーガよりも遥かに大きい外見をした魔物、龍であった。
それにはさすがの敵も少々驚いている様子がある。
「今の内にさっさと逃げるんだ」
「あなた、まさか……」
ジークが自らの術を発動している時は、その場から遠くまで離れることができない。この魔物たちはジークが召喚した実在しない者たちであり、使用者が離れると自動で消えてしまう。
それを理解していたアンナは、ジークの発言から察する。
犠牲になるつもりだと。
「ちょっと待ってよ。多分あいつらならこの魔物たちも簡単に倒せる。その時間稼ぎ、俺も手伝うよ」
ミナトがジークと並ぶように前に出る。男として、女二人を守るかのように。
「いいのか?」
「決まってんじゃん。ったく、ホント俺たちここまで何しに来たって感じだよなー」
「全くだ。だが、これでようやく報われるかもな」
根性の別れのような会話。
彼らにとって死というものは苦悩に感じていないようだ。今までずっと正義を片手に、国のために貢献しようとしてきた。
彼らにとってこの状況は、ある意味救いであったのだろう。
しかしアンナは、それにも納得していなかった。
「何を言って……!」
「心配するな。俺たちもすぐに逃げる。だがまずは、お前たちから逃がすのが先決だろう」
嘘だ。魔法も使わないでそんなことができるはずがない。
使ったとしても無効化される。果たしてどうやって逃げるというのか。
それにさっきだって、死ぬことが分かっているような会話だった。
この場から引き下がらないのは、この二人の気持ちを踏みにじることになるかもしれない。
だが、それでもーー
「早く逃げろ……。俺たちの覚悟を無駄にするな」
必死さが伝わってくる。
その言葉をかけられ、アンナとキャリーは振り返り、森の中を抜けるべく走り出す。
そのときのキャリーの顔は、どこか涙ぐんでるように見えた。
「人間風情が龍を召喚し、使役するとは……。おこがましいですね」
男が俯きがちに言葉を出す。その顔は、何かを刺激でもされたように、憎しみを向けているものであった。
「余計なものを見せてくれたお礼に、今すぐあなた方を消し去ってあげましょう」
男の人差し指には、小さな炎の玉が浮かび上がっていた。そのサイズは、小指の太さよりも小さいものだ。
それを龍目掛け放つ。
小さな炎。しかし効果は絶大なものであった。
火の玉が龍の身体にめり込むと同時に大爆発を起こし、爆風が辺り一面に広がる。こんな樹木が密集している森の中を炎が覆うとどうなるのか。想像するまでもない。しかし、アンナの炎では燃え上がらなかったはずだ。
まるで関係性を示さず、爆風の影響で生え並んでいる大木や木葉に炎が移り、完全な火事現場と化す。
爆風の威力が治まると、周りは既に炎の海である。
先程撃たれた龍の姿はどこにもなく、ジークが召喚したはずのモンスターも跡形もなく消えていた。
当のジークは地べたに這いつくばり、ミナトもまた倒れこんでいる。その身体は真っ赤に染まっているように見える。これはそれほどまで大きな傷ができているのか、はたまた周りの光景が紅くなっているから反射してそう見えるだけなのか。
否、その両方である。
逃げていたはずのキャリーの傷は二人と比べるとまだ浅い。その前には、庇うようにして倒れたアンナの姿があった。
「アンナ……? アンナ!!」
「まだ生きていたか」
女ーーレイはとどめを刺すべくキャリーの元に近付く。
だがその途中、地べたから何者かに足を掴まれる。
「行か……せるか……!」
ミナトの手が、地べたに転がりながらも、最後の力を振り絞るかのようにきつく、レイの足に絡み付く。
レイは人を人とも思わない憐れな目で眺める。瞬時に振りほどき軽く一蹴する。
吹き飛ばされた後も、懸命に起き上がろうとするがその直後、無慈悲な一撃がその身体を貫く。
「がはっ……!」
マリアの魔法である。
「ミナト……! どうして……!!
なんであなたたちはそうやって! 誰かを簡単に殺せるの!?」
「ふふ……私たちのことが恨めしいですか? この世界、弱いというのはそれだけで罪なのですよ」
平然とそう呟くマリア。その心の内には、果てしない闇が潜んでいた。
「……だから嫌だったのに! いつかこうなるんじゃないかって……!! 勇者になんか、なりたくなかったのにぃ……!」
キャリーはその瞳にうっすらと涙を浮かべ、叫ぶ。
その時、消えていくような小さな声が、キャリーの耳にかかる。
「キャリー……!!」
「アンナ!」
身体中、血に染まっているにも関わらず杖を握り、僅かずつ光りだす。
回復魔法を発動させようとしているのだろう。
今まで、アンナが魔法を発動する時は、その杖が紫色に光り出していた。
しかし、今回は紫色ではなく赤色に光る。
そしてそれは、禍々しく輝きだしーー
「!?」
間一髪。危機一髪であった。
キャリーがアンナを抱え、脚力を使い数十歩先まで移動し、離れる。
杖は禍々しく光り、そのまま爆発したのだ。
「せめてもの情けに楽に死なせてあげようと思ったのですが……。〈贈答爆〉受け取ってもらえず残念です」
マリアが一歩ずつキャリーの方向に歩を進める。
「苦しいのは嫌でしょう。そのままじっとしていてください」
「嫌よ! 私はまだ諦めない!!」
アンナと比べたらキャリーの傷は擦り傷のようなもの。まだ余力は十分に残っていると思われた。キャリーは弓矢を持ち、その矛先をマリアたちの方向に向ける。
「やれやれ……人間とはどうしてこうも往生際が悪いのでしょうか。困ったものですね」
「それが私たち、人間だからよ!!」
弓矢の引き金を引き、矢を放つ。
キャリー自身も、この程度の武器を直撃させたところで勝てるとは思っていない。生き残るための最後の足掻き、最後の抵抗だ。
放たれた矢は途中で上空へ方向転換する。
プシュウー。
空気が抜けた音が聞こえる。これは風船などではなく、煙。
即ち煙幕である。
「今の内に……!」
キャリーがアンナを担ぎ、その場から逃げるべく一歩ずつ離れる。
ーーしかし
「ぐはっ……!」
容赦なく、その希望は瞬時に潰える。
アンナは倒れ、その背中には大きな斬り傷ができていた。
「…………」
それを見たキャリーの目は、どこか虚ろで、塞ぎがちであった。取り乱すことも、アンナの名を呼ぶこともなく、キャリーの身体は崩れる。
「あとはお前だけだな」
気が付けば煙幕はとっくに晴れており、レイの右手には青白い妖気が漏れ出ていた。
それがさきほど放った攻撃の正体だ。
自らの手を刀として扱う行為。並大抵の魔物ができることじゃない。
「……最期に一つだけ、教えて。あなたたちは何を目的に、行動してるの……?」
「クルミ様の目的のため、です。あのお方は自分よりも強い相手を探し、死にたがっています。だからいつか私たちはあのお方を殺し、楽にさせてあげるのです」
それだけ言い、他にキャリーに語ることは何もなかった。
燃え上がる炎。散らばってる死体と、血。
そんな地獄絵図のまま、マリアはキャリーに近付き、その肉体を苦しませることもなく命を奪うのだった。




