あたしの部屋で誇れるか
二
時にそれを指す言葉は、それそのもの本質を如実に表す。
例えば養護教諭がそれだ。英訳するとYogo Teacherとなるそれは、この国にしか存在しない職業だ。そう、分かり易く言えばMiso Soupのようなものだろう。教諭という概念は欧米にもあれど、養護という概念は、この国の女性達が、この国で学校看護婦だった女性達がその運動によって築き上げて来たものだ。訳す言葉が無い。Yogo Teacherは、School Nurseとは違う。成り立ちも役割も違えば、仕事内容も身分も違う。Yogo Teacherは読んで字の如く教員だが、School Nurseは教員ではない。当然、持っている技能も目指している方向も違う。
ただし両者は、子供の健康を願い、その為に働く者であるという点では同じだ。千陽先生によれば、だから近年ではYogo TeacherとSchool Nurseの交流も盛んなのだそう。
今この時代に、現代に於いて、両者の特性を活かし、子供達の為に何が出来るのか。
週末、私もその交流会に混ぜて頂いた。英語が出来るということで通訳のように使われて引っ張りだこだったけれど、色々なお話が聞けるから甲斐があった。皆さんに、特に千陽先生のご友人には可愛がって頂いて、絶対にこの世界で働きたいと思った。
十二月、十二日。
十六歳の誕生日を迎えても、私はまだ、お父様とお母様に、夢を話せていない。
昨日、そのチャンスがあった。
勝って話そう
先に手合割を改めて二度目となるお父様との対局が、それだった。
一体、前回途中まで互角に打ち進めていたのは、何だったのか。
私に訪れたのは、ただの惨敗で、ただの完敗で、ただの大敗だった。
それは圧倒的な印象で、圧倒的な衝撃を伴っていた。布石を終えた段階では互角に、否、先だからコミを払わなくていい分だけリードを保っていると思っていた。前回と同様に。
けれど数手進んだ時、はたと気付いた。既に形勢が悪い。白に大きなミスが出なければ、勝敗を争うような領域にすら踏み込めない。そのことに、その時気付いた。
私がこれで互角だと思っていたものは、全くそうではなかったのだ。
衝撃的な瞬間だった。頭が真っ白になった。一体どこで何を間違えたのかが、全くわからなかった。信じられないというのはこういうことで、これが、受け入れられないということなのだとわかった。
それでも、負ける訳にはいかなかった。もう、負けるだけの碁は私には打てない。先生の想いを、香ちゃんの想いを、志弦さんの想いを受け取った私には、それに背くことなど出来ない。
何より、死ぬほど勝ちたい私の為に。
だから、私は盤上の至る所で斬り掛かって、戦いを仕掛けた。そこがお父様の縄張りであることなど百も承知の上で、闘志を剥き出しにして襲い掛かった。多少の戦果を得ることもあった。手傷を負うことがあっても、怯まずに挑み続けた。けれど、挑んだ幾度もの戦いの一部分でしか、私は戦果を上げられなかった。気付けば、大勢は決していた。
私が爪や歯で切り傷を与えている間に、お父様は私の腕も足をも捥ぎ取っていった。
立つことも出来なくなった私には、負けを認める以外のことは出来なくなっていた。
敗北。完全なる敗北。
お父様は、こんなにも強かったのか
雪環を継ぎ、雪環を牽引するこの男は、こんなにも強かったのか
今までのどんな敗北よりも、圧倒的で、衝撃的な敗北。
今までのお父様との碁で、お父様が力を抜いていたということなど、ないはずなのに。
私は、確実に強くなっているはずなのに。
今までのどんな碁より、私は私の力を出し切れたはずなのに。
その足下にさえ、届かなかった。
勝負。
これが勝負の世界なのか
碁。
碁は、布石から始まる。これからどういう人生を歩みたいかと戦略を、構想を練る。それが布石だ。私はその段階でお父様に、後れを取っていた。養護教諭を目指したことが、養護教諭として一人前になってから雪環を継ぐなどという常識外れの道を進もうとしたことが、碁という道の上で、雪環の長に、否定された瞬間だった。
それでも私は、挑み続けた。そんなことはないはずだと、抗い続けた。けれど、その差は縮まらなかった。私の人生に対する考え方が、碁に対する考え方が、道に対する覚悟が甘かったことを、ひたすらに思い知らされた。
雪環を継ぎ、今も引っ張っている男の其れに、敗北した。
放課後の教室で携帯を弄りプロの棋譜を眺めながら、時折本を開いて詰碁を解きながら、私の思考は悩むことをやめてくれない。
其処に私の魂が在る雪環を、創る為に。
私は其の為に、養護教諭という道を目指そうとしている。其処に向かい、其処で歩むのが私の道だと信じている。其の念いを打ち砕くような敗北の中で、重く強く激しい、敗北の中で。空から降り注ぐ海がひっくり返ったような敗北の中で、無数の銃声を空から浴び続けるような敗北の中で。圧倒的な衝撃と強烈な印象を齎す、真っ直ぐな敗北の中で。
それでも私は、泣き言を言っている場合ではない。私にはやらなければならないことがある。私には進まなければならない道がある。泣き言を言っている場合では、ないのだ。
負けても、負けてはいけない。
雨は上がる。上空の水分を地上に粗方叩き付けたら、雨は止む。
自然に止む。
それが自然だ。
けれど私に降り注ぐ敗北は自然には止まない。私が空を変えなければ、敗北は降り続く。
三年間変わらなかった空を、遂に変えた私には、それを再び変える可能性が、在る筈だ。此の道を進む可能性が、在る筈なのだ。諦めてはいけない。こんなところで、負けてはいけない。
空を変えよう。
私の放つ一手で、空を変えてみせるのだ。
でも、どうすればいいのだ。
どうしたらそんな一手が打てるのだ。どうしたらそんな一歩が踏み出せるというのだ。
手掛かりが、お父様に打ち勝つ手掛かりが、どこにも見当たらない。
教室の窓、その外で、小雨がさんさんと落ちる。
泣き付きたい。先生に泣き付きたい。どうしたらいい。先生ならどうするのだ。私の中に先生が居たら、どうやってこの雨を上げるのだ。
この闘いに、どうやって勝つのだ。
どこに手掛かりを求めるのだ。どこに答えを見出す方法があるのだ。
自らの人生を全否定されそうになった時、先生なら、どうするのだ。
香ちゃんは、私と先生は似ている、と言っていた。
普通の人と、見ているところが、違うと。
いきなり裏山に行ったのが、その証なのだと。
私は私が、一体何を見ているのか……一体、何を見ているのだろう。
私が灯理を俯瞰した時、魂などという、あるかないかも知れない物を求めて、その影を追い掛けているだけのように見える。
魂の影。
それが私の、見ているところなのだろうか。
なんですか? 魂の影って。あるかないかも知れない物に、どうして既に影があるのですか。それではまるで、私がそれはあると信じているかのようではありませんか。
私は、信じている。魂というものが、存在することを。
あの山に行けば、先生の魂の、影が追えると信じて。養護教諭の歴史を知れば、先生の魂の、影が追えると信じて。
魂とは、なんなのだろうか。いつからか私が追い掛け始めたその影の先には、何があるのだろうか。あの山に、裏山に行き、養護教諭の歴史を学び、私が今見ているものは。魂なのだろうか。遠い。まだ遠い気がする。私が追っているのは、まだ影だ。
本当にあるのかどうかも知れない物の、朧気な影。
魂などというものが存在しなければ、私はただ幻覚を見ているだけの哀れな小娘だ。
でも、でも香ちゃんは、私がそれをみているのだと……影をみているのだと、言っていた。言ってくれた。私を励ます為、上辺だけでも取り繕った? いいえ、そんなことで、あんなに言葉を選んだりする人があるものですか。あんな言葉を紡ぎ出してくれる人が、あるものですか。香ちゃんがそんな人でないことくらい、わかっているのに。私はまだ、私の夢に自信が持てないのだ。私を信じ切ることが出来ていないのだ。本当にこの道で歩んでいけるのだろうかという不安や恐怖に、負けそうなままなのだ。その点で、私は何も変わっていないのだ。香ちゃんが志弦さんが、あんなにも私を勇気づけてくれたというのに、私は変われていないのだ。不甲斐ない。情けない。
それでも、香ちゃんが、志弦さんが、先生が信じてくれたのだ。私が信じないでどうする。私が私の道を信じないでどうするのだ。道。私の道。いつからかそれが抗いの道となっていた、お父様に勝つということ。碁で勝つということ。たった一つの道標、勝利。今こそ私は勝利を渇望しなければならないだろう。今でなければ、いつ渇望するというのだ。
なのに、なのに……
どうして私の心は、震えているのだ
どんなに碁の勉強に打ち込んでみても、昨夜の強烈な印象が拭えない。圧倒的な衝撃が跳ね返せない。
怖い。私が否定されるのが怖い。夢を持つ程に、夢を強く抱く程に、恐怖は大きくなった。
じめじめとした大気と青黒い空が振り払えない。私が碁を打ち、もしまた敗れたなら、瞬く間、そこから全てが降り注ぐ。今度は、立ち直れないかも知れない。負ける毎に負けが重くなる。否定が重なる毎に、それを跳ね返せなくなる。私の目指した道が、遠くなる。
盤の上で、私達は孤独だ。盤の前に座った其の時から、私達は誰の助けも得られない。それが私の恐怖を、増長させているようにも思う。
嘗て、孤独の淵に居た学校看護婦達。
独りの其処で負けそうな時、どうやって闘い抜いたのだ。仲間の声が聞こえなかったなら、仲間に声を届けられなかったなら、どうしたのだ。雑誌『養護』が無かったなら、彼女達はどうしていたのだ。一校に一人の配置を真っ先に認めた大阪の地で、其の自らの存在が全否定されそうになった時、どうして立ち上がれたのだ。
其の魂は、何処から来たのだ。
其の魂は、何処に在ったのだ。
無から始まったその働きが、地域にすら認められ、顕彰碑が建てられるまでになった彼女の魂は。自らの存在を全否定されようという時、闘い抜けた彼女達の魂は。それでも存続が危ぶまれた時、学校医に届いていた、其の魂は。プロ的婦人が、やがて養護教諭となった魂は。私に響いた、先生の魂は。
人を救う為に働き、人を救う途中で倒れ、人を救う事で亡くなった、先生のご両親は。
それを追うよう、人を救う夢に向かっていた、先生のお姉様は。
ご両親の死で、その夢を失った先生のお姉様を、傍で見ていた先生は。
それでも人を思い遣る場所に立った先生は。
自然界に真理が無ければ、この世には絶望しかない
清流のような儚げな横顔で、そう言った先生は。
私が、魂などというものを信じているように。
自然界に真理があって、この世には絶望などないのだということを、信じている先生は。
突如としてチャイムが鳴る。否、何度目かのチャイムが鳴った。これは何のチャイムだ。はっとなって時計を見遣る。
まずい、最終下校時刻すら過ぎてしまった。近くの喫茶店で時間を潰しているらしい城野さんを随分と待たせてしまっただろう。携帯に連絡が来ていないのが逆に痛ましい。碁に没頭する私の邪魔はしたくないのだと、そんな城野さんの声が聞こえてくるようだ。慌てて本を鞄に詰めて、鞄を引っ掴んでマフラーを巻き直して、足早に階下へと下りる。階段を駆け下りる私の足音の他には、何も聞こえてこない。もうほぼ全ての生徒が下校してしまった後だろう。誕生日だというのに叱られるのは御免だ、巡回の先生に見付かってしまう前に下校してしまわなければ――一階まで来て、昇降口に向かう途中だった。
「授業に復帰させられないで何が養護教諭だ。数字を打ち込めば正解に導いてくれるこの計算機の方が、よっぽど優秀だな」
男性教諭の声で、私の脚は止まった。
「専門職とは名ばかり、怪我の手当てはするのに医療行為も許可されない。一体どんな専門性を持ってるのが養護教諭だってんだ?」
皮肉などではない、直接的で、直接的な非難だ。中傷だ。
「そもそも、あいつが言っていた頭痛ってのは、本当にあったのか? 仮病だったのに休ませてたんじゃないのか? もしそうなら、職務怠慢だな」
言うまでも無い、相手は、先生だ。
廊下の曲がり角から顔だけを覗かせて、保健室の前を注視する。いや、注視などしなくとも、白衣に流された淡い金色で、それはもう絶対にそうだったのだけれど。
三十代くらいに見える男性教諭の前で、千陽先生の背中が、私の目を掴んで離さなかった。
一体何があったのだ。あの男性教諭の授業に、或る生徒が出席しなかった。その原因が、千陽先生の対処にあった。そういう話だろうか。
他人事ではない、私だってそうだったのだ。授業を受けられたかも知れない私を、先生が早退させた。もしかしたらあの時にも、こんな衝突が起こっていたのかも知れない。私のせいで、先生が非難されていたのかもしれない。
「何を言ったかじゃねぇ……どうしてそう言ったかだ」
しばらく続いていた男性教諭からの非難に、漸く口を開いた先生は、憤っていた。
「そいつはなぁ、人の心でしか嗅ぎ取れねぇんだよ。人の心でしか聴き取れねぇんだよ。嘘か本当か判別出来りゃいーんだったらなぁ! 機械がやりゃあいいんだよ! 全てが計算通り行くんならなぁ! ロボットがやりゃあいいんだよ!」
先生の憤りを、私は初めて耳にしていた。
「お前の計算機は、問題を見間違えた使用者に惑わされないか」
「お前の計算機は、使用者がどんな問題に答えようとしているか想像出来るのか」
「お前の計算機は、どうして使用者の手に取られたか感じ取れるのか」
捲し立てるよう、先生の語気は強弱を繰り返しながらも熱く熱い。
「一体どんな専門性を持っているのが養護教諭なのか……お前はそう訊いたな。あたしはこう答えよう。『そういうことが計算出来る奴だ』」
男性教諭が立ち尽くす前で、先生は続ける。
「ある生徒はこう言った……私は、人になりたいのかもしれないと……それでもお前は誇れるか、計算の出来る機械を」
先生は、保健室の戸に、そっと手を添えた。
「あたしの部屋で誇れるか」
「千年経とうが二千年経とうが、人が人で在ろうとする限り、保健室には養護教諭が居る」
「あたしは、その一歩なんだよ」
騒いでいた。
滾って止まなかった。
熱く躙る胸が、燃えて止まなかった。
やらなければならない。
私が。
私がやるのだ。
私が一歩を、踏み出さなければならない。
今、私が。
やらなければならないのだ。
「お父様、お母様。お話がございます」
十二月十二日、午後九時二十分。
十六歳になった私は、これまで生み育てて下さったことへの感謝を、誕生日を祝うため、食卓に集まってくださった全ての雪環家の方々に伝えた後、
両親に、夢を伝えた。




