世界シミュレーション仮説0
夏が終わり、過ごし易くなってきた秋の始まり。
世の人々が文化的な生活に勤しみだす頃
大学院博士後期課程に在学中の神楽坂圭一は、博士論文執筆のための研究に頭を悩ませていた。
「だめだ……、どうやってもわからん。」
パソコンに映し出されたグラフと、机の上に山積みに散乱している数式を書きなぐったコピー用紙。
すべての結果と自分の解析が不自然なほど整合しない。
「本当にこんなものが存在してるとは、何かのバグなんじゃないかと思うよ」
真っ黒な手のひらサイズの塊、ホロノマイトを手に持ちながら愚痴る。
ホロノマイトは、雑に言えばものすごく固い、上にものすごく軽い鉱石である。
こんな便利な鉱石にも関わらず、固すぎるが故に全く加工ができないため、あまり工業的な価値がない。
ホロノマイトの性質は現代の最先端の物性理論でも説明がつかない、構造解析をしようにも、そもそもノイズだらけで構造も解析できない。光、電磁波すら内部には通さないようである。
「本当にやばいな、結局何もわからないまま、何の進捗もないまま夏が終わってしまった……」
あたりはもう夜。
圭一は博士後期課程五年目。通常ならば三年で卒業であるが、研究成果が出ずに未だに博士論文を提出できずにいた。
うちの大学院は後期課程は五年までと定められているため、もうあと半年も期限はなかった。
圭一は固体物性に関する、新地平を切り開く理論の提唱であった。
理論はほぼ出来上がっており、その理論の検証の一つとしてホロノマイトの物性を考慮していた。
「どうしてもホロノマイトだけは整合性がとれない。他のマテリアルではだいたい整合性が取れるんだけど……、どうしたものか……」
もうホロノマイトは諦めて、この研究は締めようと考え始めていた。これは世界中の誰もが分らない物質。ただの一学生ごときになんとかなる代物ではないのだ。
このホロノマイト以外ではおおむね正しい理論には違いないことは検証済みだ。おそらくこれで博士論文も何とかなるんじゃないか?
そんなことを考えていたところ、もう夜も深夜二時。
研究室には自分ひとり。
とりあえず今日は家に帰るか。また一日無駄にしてしまったと軽く鬱になりながら帰宅の準備をする。
理論の検証用に、銅盤を曲げる物理シミュレーションをさせていたパソコンの画面を確認し、計算が終わったことを確認する。
とりあえず結果を確認しておくかと中身を覗いた。
シミュレーション結果は、曲がっていない、初期状態そのままの銅板が映し出されていた。
「あれれ、おかしいな。」
本当にシミュレーションが実行されていたのかを調べたが、確かに実行されている。
このパラメータで計算が進めば、少なくとも何かしらの形状の変化があるはずだが……
「計算は実行されている、パラメータに問題はない……ならば原因は一つ」
シミュレーションプログラムのバグである。
まあ、おおよそバグの箇所は検討が付く。
おそらく、銅盤の境界条件とか、衝突条件とかの設定ミスだろう。
ただ、もう今日は疲れたから明日やろう。
そう考えて銅板が映し出されたディスプレイを消そうとした時、頭に引っかかるものがあった。
「これはホロノマイトの状況に……似ている……?」