プロローグ
またその夢を見ていた。
幼い頃の私が暗く汚い水の中から水面を眺めている夢だ。
水面には月の光がゆらゆらと映っている。
体が言うことを聞かない。もがくことを諦めた私の小さい体は水の底へと沈んでいく。
意識が遠のき、瞼が下りていく―――その時だった。
ゆらゆらと不規則に揺れていた水面の光がまとまってたちまち一つの大きな光となり、私を照らした。
突然私の視界にたくさんの泡が現れ、その泡を掻き分けるように何者かが飛び込んでくる。
私はその何者かに抱きかかえられ暗い水の中から外へと運び出された。
さっきまで朦朧としていた意識が水の外へ出た瞬間はっきりとし、急に苦しさを感じた。
「ハァ…、ハァ…」
「大丈夫?」
息を切らしている私に女性の声がそう問いかけた。
「うん…… あなたはだれ?」
私を助けてくれたその女性は変わった格好―――半透明に輝く羽の装飾をあしらったドレスのような服―――をしていて、左手には煌びやかに飾られた弓が握られていた。
「私は魔法少女」
「魔法…少女……?」
彼女の美しい装いや凛々しい表情、そして「魔法少女」という響きが子供心に格好よく感じられて、私はしばらくの間ただただ彼女を見つめていた。
彼女を眺めていて私は、水中の私を照らした大きな光が月明かりではなく、彼女から発せられているものだったと気づいた。と言っても体が光っているのではなく、神秘的な輝きを身にまとっているような…そんな感じだ。
「ご両親があなたを探してるわ、このまま真っ直ぐ町の方へ歩いたら出会える。行きなさい。」
彼女は私ではなく暗い空を見つめながらそう言った。まるで何かを警戒しているかのように。
「ありがとう、お姉さん!」
「・・・」
私は彼女に言われたとおりに町の方へと走り出した。
その途中で私は振り返り、夜空を見上げている彼女に手を振りながらこう言った。
「ありがとう!」
ずっと空を眺めていた彼女がちらりとこちらを見てくれたのを満足に思い、また走り出そうと前を向いたその時。
「…… 魔法少女、そんな良いものじゃないわよ…」
小さな呟きだったが私にははっきりとそう聞こえた。
「え?」
もう一度振り向いたときには彼女の姿は消えていた。
彼女の輝きも無くなってそこはすっかり暗くなり、ただか弱い月の光が水面にきらきらと反射しているだけだった。
そこで目が覚めた。この夢はいつもここで終わる。
「…またこの夢…」
この夢を見ていた日の寝起きは何故かいつも汗グッショリでハッとしたように目が覚める。
少し乱れた呼吸を落ち着かせてから汗を流すために風呂場へ行く。シャワーを浴びながら夢のことを考えていた。
あの夢は子供の頃の記憶、実際の出来事だ。でも覚えているのは夢でいつも見る場面のみ。その後どんな道を歩いて町へ出たか、どうやって両親と出会ったかなどは一切覚えていない。
「魔法少女、か…」
私を助けてくれた謎の女性、そして「魔法少女」。この夢を見た日はずっとそのことばかり考えている。
魔法少女だなんてにわかに信じ難いし他の人が聞いても子供の妄想だと思うだろう。
でも私はその女性の姿も声も魔法少女という言葉も鮮明に覚えている、その女性が本当に魔法少女なのかどうかは別として。
その出来事があった後、私はたまに出かけて行ってはその女性を探していた。私が溺れていたのがどこかすら記憶に残っていなかったからあてもなく近所を徘徊するだけだったが。
そして今に至るまでその女性とも再び出会うことはなく、魔法少女が一体何なのかを知ることもなかった。
「ホント変な夢…」
今日はもうこのことは考えないようにしよう。夢のことを考え出したらキリが無い。
私は濡れた体を拭き、学校に制服をまとい家を後にした。