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恐ろしきかな、女の世界

「おはようございまーす」


 時刻は既に四時を回ろうとしているのに、〝おはよう〟とはどういうことだ。俺がそんな疑問と共に見つめた舞の頭上には、『三年二組』と書かれたプレートが突き出していた。

 そこは管理棟と渡り廊下で繋がれた普通教室棟の一階。ついに辿り着いてしまったか、と生唾を一つ飲み込んだ俺は、さっさと教室に入っていく舞に倣い、恐る恐るといったていでその空間へ踏み込んでいく。


「あれ? 一之瀬さん、その子誰?」


 あああ、入って早々誰何すいかされてしまった!


 舞を呼び止め、俺のことを尋ねたのは、いかにも先輩然とした茶髪の女子生徒だった。

 しかもその女子の周囲には、同じく緑のリボンをした女子が五、六人たむろしている。聖女では学年ごとに制服のリボンの色が違っていて――セーラー服なら本来胸元にあるのはスカーフなのだろうが、聖女の制服はそれがリボンになっているのだ――、今年度は三年が緑、二年が青、一年が薄い黄色になっていた。


 ということは舞に声をかけてきたあの集団は三年生の集まりだ。しかも恐ろしいことに全員がバッチリ化粧を決めて、派手すぎる茶髪を晒している。

 何てことだ。かつて〝お嬢様学校〟と褒めそやされた聖女の威厳はどこへ行ってしまったのか。

 チェック柄の赤いプリーツスカートを、パンツが見えるか見えないかというぎりぎりまで短くした先輩方は、こともあろうに椅子ではなく机の上に腰かけ、これ見よがしに脚まで組んでいる。


「あ、先輩、おはようございますぅ。この子は今日づけで転部してきたあたしのクラスメイトで、中学からの友達でーす。元々同じ手芸部にいたんですけど、あたしが写真部に入ったからこの子も転部することになってぇ、たった今先生に許可もらってきましたぁ」

「フーン。名前は?」

「ほら、さやか、先輩方に自己紹介!」

「わっ」


 と、そこでいきなり舞に背中を押され、俺は半ばタタラを踏みながら前に出た。

 途端に柄の悪い先輩たちの視線が一気に集まり、俺はヒッと内心悲鳴を上げてしまう。


「あ、あの、初めまして……今日から写真部に転部してきました、よろしくお願いします」

「〝よろしく〟はいいんだけど。だから名前は? って訊いてんの」

「はっ、はい! 名前は武海いさみタケルと申します!」

「は? 〝タケル〟?」

「――じゃなくて蓮村さやかですどうぞよろしくお願いします!!」


 勢い込んで訂正し、俺は光の速さで頭を下げた。

 どうやらそんな俺の奇行に、さすがの先輩方も虚を衝かれたようだ。「う、うん、よろしく……」と返してきた声は明らかにドン引きしている。

 危なかった。今のは危なかった。先輩方の威圧感にビビりすぎたがゆえに、うっかり本名を名乗ってしまった。

 一応勢いで乗り切った(つもりだ)けど、今のでほんとに大丈夫か? 冷や汗がだばだばと頬を伝い、とても顔を上げられない。


「――おはよー。みんな集まってっか? ミーティング始めっぞー」


 そのとき、俄然ガラガラと教室の戸が開く音がして、ちょっと脱力したような声が飛び込んできた。それに気づいた俺がようやく顔を上げると、傍にいた舞が俺の制服の裾をつんつんと引っ張り、依理子のいる前の方の席を指し示す。


 そこには依理子が取っておいてくれたのだろう、無人の席が二つ用意されていた。

 一つは依理子の席の後ろ、もう一つは依理子の右隣だ。俺は舞に勧められるがまま、依理子の隣の席へ腰を下ろした。

 依理子の席は最前列だ。ざっと見たところ、教室には確かに四十人かそれ以上の人数が集まっていて、中には席に座れずあぶれている生徒もいる。


 その生徒のうちの数人――みんなリボンは青か緑だ――に睨むような視線を注がれ、俺は慌てて前を向いた。

 当然と言えば当然だ。普通、こういう場合は後輩が先輩に席を譲るのが礼儀であるのに、最も下っ端の一年が堂々と最前列を陣取っているなんて、冷静になって考えればちゃんちゃらおかしい話ではないか。


「あ、あのさ、依理子……後ろの方に座れない先輩たちがいるみたいだから、うちら、移動した方が良くない?」

「は? 何で?」

「な、何でって、先輩たちも座りたがってるみたいだし、うちらまだ一年だし……」

「そんなの関係なくない? 座りたかったら早めに来て席を取っておけばいいじゃない。そもそも部歴で言えば私の方が〝先輩〟だし。後輩が先輩に席を譲るのは当たり前でしょ」


 こ、怖えええええ……! 依理子マジで怖えええええ……!

 何でこいつこんな淡々と毒吐けるの? 先輩たちの恨みがましい視線が怖くねーの?

 表情一つ変えずに正論を吐く依理子の態度に、俺は血の気が引くのを感じながら震え上がった。

 ああ、やばいよ、今の会話絶対後ろの先輩たちに聞かれてたよ。心なしか背中に刺さる視線が鋭さを増した気がするよ。痛いよ。

 は、早くこの空間から逃げ出してえ……!


「はいはい、ちゅーもーく。それじゃ先週予告したとおり、今日は十月にある文化祭の打ち合わせをすっから。メインは今年の展示会のテーマを何にするかだけど、各自、いくつか案は考えてきてるよな?」


 と、ときにざわつく教室の前に立って発言したのは、何故か胸にリボンのない黒髪の聖女生だった。

 これじゃ何年生か分からないけど、場を仕切ってるってことは三年生かな? ベリーショートの髪はやけにボーイッシュで、サバサバした感じの喋り方も、何となく運動部にいた方が似合いそうな感じの人だ。


「依理子、あの人は?」

「部長の木更津きさらづ先輩。隣にいるのが副部長のみさき先輩」

「二人とも三年生?」

「そう。あの二人、幼馴染みなんだって。幼稚園の頃から一緒だって言ってた」

「へえ。それにしては、なんか雰囲気が……」


 と、俺がつい漏らしてしまったのは、依理子が副部長だと紹介してくれた人物とくだんの部長があまりに対照的に見えたせいだった。

 副部長の岬先輩は教壇に立った木更津先輩から一歩引いた位置にいて、物静かに佇んでいる。その姿はまさしく〝容姿端麗〟。姿勢も良く、表情は穏やかで、それでいてどこか大人びた空気をまとっている。

 長い黒髪は真っ直ぐに腰の辺りまで垂れ、その佇まいは一目で〝お嬢様〟という言葉を連想させた。手には一冊のファイルを持ち、すぐに書き込めるような体勢でいるところを見ると、今回のミーティングの書記役といったところだろうか。


 ところがその二人が前に立って声を上げても、部員たちのざわめきは一向に収まる気配がなかった。

 しかもその喧騒を生み出している主な話題は、もちろん文化祭に向けた部員同士の意見交換、ではない。

 それどころか文化祭の〝ぶ〟の字もない雑談ばかりだった。これにはさすがの部長も苛立ったらしく、それを隠しもせずに声を荒らげる。


「ちゅ・う・も・く! お前ら、ミーティング始めるっつってんだろ! ちったぁ黙って話を聞け!」

「はーい、その前に質問なんだけど、氷室って今日も来ないの?」

「あ、氷室先生なら今日は小テストの準備があるから来ないって言ってましたぁ。さっき本人から聞いてきたんで、たぶん間違いないと思いまーす」


 と、そこでご丁寧に挙手までして、氷室の動向を伝えたのは他ならぬ舞だった。

 途端に教室には落胆が広がり、部員たちの間から無遠慮な舌打ちや悪態が漏れる。


「何だよ、今日も来ねーのかよ。打ち合わせって言うから今日こそ来ると思ったのに」

「同じくー」

「なんかさ、氷室、部活持ったのはいいけど全然顔出さないよね。超白けるんですけど」

「氷室が来ないならいいや。帰ろ帰ろー」


 す、すげえ……こいつら、校内で教師を呼び捨てだよ……。

 と、俺が唖然としている間にも、氷室が来ないと知った部員たちが一斉に教室から引き揚げ始めた。そうして文句を垂れる言葉つきは男顔負けの口汚さで、俺は見てはいけない〝お嬢様学校〟の闇を覗いてしまったような気分になる。

 やがてぞろぞろと部員が出ていった教室は静まり返り、残ったのは部長副部長の他、依理子、舞、俺の三人と、もう一人の部員だけだった。

 三十数人分の席がある教室で、最後尾の席にひっそりと座ったその部員は、リボンの色から察するに唯一の二年生のようだ。


「はあ……ったく、またコレだよ。あいつら部活ナメてんのか?」

「いいじゃない。ああいう連中はいなくなってくれた方がむしろ助かるわ。ね、真野まやさん」


 と、ため息をついた部長を宥め、依理子にそう同意を求めてきたのは、それまで一言も言葉を発さなかった岬先輩だった。

 初めて耳にする岬先輩の声は想像どおり涼やかで、話を振られた依理子はこっくりと大きく頷いている。


「……あれ? ていうかそこにいんの、誰?」

「あ、お、俺……じゃなくて私は、舞と依理子と同じクラスの蓮村です! 舞に誘われて転部して来ました! よろしくお願いします!」

「へえ、転部ね。さっきの連中と一緒に帰んなかったってことは、ちょっとはやる気のある部員だと思っていいのかな」

「少なくとも舞よりは純粋に活動してくれる部員だと思います」

「ちょ、ちょっと依理子、ひどいよ! あ、あたしだって真面目に活動する気あるし!」


 と、慌てて抗議した舞は、慌てすぎているがゆえに思いきり怪しかった。

 が、そんな舞と依理子のやりとりはこの部でも日常茶飯事となってしまっているのか、木更津先輩と岬先輩は愉快そうに笑っている。


「そっか。じゃあ改めて歓迎するよ、二人とも。あたしは部長の木更津つばさ。こっちは副部長の岬麗奈れいなな。で、向こうにいるのが……って、遠いよ、相澤あいざわ。お前もこっちに来いって」

「は、はいっ」


 ときに木更津先輩から〝相澤〟と呼ばれた二年生が、やや緊張した面持ちで立ち上がった。

 依理子よりも髪がやや短いくらいの、大人しそうな印象の先輩だ。


「こいつが二年の相澤由紀ゆき。本当は他にも二年は二人いたんだけどさ、夏合宿を最後に辞めちまったんだ。氷室先生の追っかけで入ってきた連中に嫌気が射したって言って」

「あ、それ、依理子から聞きました。元から写真部にいた部員ってこれで全部なんですか?」

「うん。三年生ももう一人いたんだけど、そいつは進路のことがあるからって学年上がると同時に引退したんだ。で、今年入った一年は真野だけでさ。さすがにこれはヤバいなって思ってたんだけど、理由はどうあれやる気のある一年生が二人も来てくれて嬉しいよ」


 どうやら木更津先輩は舞が転部してきた本当の理由を分かってるみたいだけど、こうしてこの場に留まったことが評価されたのか、屈託のない笑顔で俺たちを歓迎してくれた。

 さっきまで教室を占拠していた先輩方がああだっただけに、残った三人の先輩が俺にはずいぶんと眩しく見える。


「けど、これしか人数がいないんじゃ、わざわざ教室でミーティングやる必要もないな。せっかく新入部員もいることだし、部室に移って仕切り直すか」

「私もそれがいいと思います。やっぱり三年生の教室って落ち着かないし」


 どの口がそれを言うんだ、と思いつつ、俺は隣で分別顔をしている依理子に視線を投げかけた。〝落ち着かない〟と言う割りにはずいぶんこの場に馴染んでいるように見えるし、そもそも余裕のない人間が先輩方に対してあんな毒を吐けるものか。

 ともあれ部員のほとんどが帰ってしまった今、もはやただだだっ広いだけの空間となってしまった教室に用はなく、俺たちは六人で部室棟へと移った。

 写真部の部室は棟の三階にあるらしく、普通教室棟と部室棟は西側にある一本の渡り廊下で繋がっている。


「あのぉ、実は前から気になってたんですけどぉ、相澤先輩って他の二年の先輩が辞めるときに、一緒に辞めようって誘われなかったんですかぁ?」


 と、その部室へ向かう途中、不意にそんな話題を振ったのは舞だった。

 どうやら目上の相手に間延びした口調で話しかけるのは舞特有の癖のようだ。ただしそこには先刻印刷室で聞いたような甘ったるい響きはない。恐らくあれは対イケメン専用の隠し武器なのだろう(ちくしょうイケメン爆発しろ)。


「うん……一応事前に相談はされてたんだけどね。二人とも、純粋に写真が好きでうちの部に入ったメンバーだったし……」

「でも、先輩は辞めなかったんですよね。二人が辞めたら先輩一人になっちゃうのに」

「あははっ、そんな理由で相澤が写真部抜けるわけないよ。何せ相澤はあたしのファンだからな」

「え?」


 と、ときに気持ちのいい笑い声を上げて言ったのは、先頭を歩いていた木更津先輩だった。

 先輩はくるりと体ごとこちらを振り向くと、器用に足は止めぬまま、ニッと不敵な笑みを刻む。


「だよなー、相澤? あいつらが先生の追っかけなら、お前はあたしの追っかけだもんな?」

「つ、翼先輩……」

「あれ? 違うの? だからお前だけは部に残ってくれたんだと思ってたんだけど」

「ち、違……くは、ないですけど……」

「え? 何? 声がちっちゃくて聞こえないなぁ」

「後輩をいじめちゃ駄目よ、翼。相澤さんが困ってるじゃないの」

「あっはは、冗談だっての! お前もそんな真っ赤になるなよなぁ、相澤。なんかあたしまで照れるじゃんかー」

「す、すみません……」


 木更津先輩の言うとおり、からかわれた相澤先輩は耳まで真っ赤になって萎れたようにうつむいた。けれども木更津先輩が笑ってそんな相澤先輩と肩を組めば、相澤先輩もはにかむような笑みを返す。

 その反応から察するに、どうやら相澤先輩が木更津先輩のファンというのは紛れもない真実のようだった。

 木更津先輩の悪ふざけを止めに入った岬先輩も、それを分かっていて更にからかったように見えたし、この三人の先輩は思った以上に仲がいいのかもしれない。


 なんか、こういう雰囲気の部活っていいな。柄にもなくそんな感銘を覚えているうちに、俺たちは部室棟の三階までやってきていた。

 他の校舎と同じように白で塗り潰された部室棟は、一つの階に六~八つくらいの部室があり、全部で四階建てになっている。写真部の部室は三階の真ん中で、この階には他にも書道部、文芸部、新聞部等、文化部の部室が中心に並んでいるようだ。

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