女子校へ行こう!
で、何がどうしてこうなったんだっけ?
「――さやかーーー!」
ばいーん、と効果音がつきそうな勢いで、いきなり胸を押しつけられた。あまりの弾力に弾き飛ばされそうになったところをがっしりと抱き止められる。
そのまま頭を胸に押し当てられ、これでもかと言わんばかりにぐりぐりされた。
この状況はヤバい。俺の理性が、とかいう意味ではなくて物理的に。
息ができない。殺される。
「さやかさやかさやかぁー! 久しぶり! 超会いたかったよぉー! もぉー、二ヶ月も会えなかったから心配してたんだからね!」
押しつけられた頭の上から聞こえてくるのは甲高い声。けれども俺の視界は鼻、口と共に眼前の巨乳に塞がれていて、その声の主の姿を確認することはできなかった。
ああ、そろそろ意識が飛びそうだ。俺は乳に殺されるのか。自宅に突っ込んできたトラックに轢かれて死ぬよりは数倍マシだけれども、生き返って早々こんな形で二度目の死を迎えることになるとは思わなかった。それともこれぞ男の本懐と喜ぶべきか。
とりあえず言えることは、苦しい。
「……舞。そろそろさやかが死ぬ」
「え!? 何で!? やっぱりまだどこか悪いのさやか!?」
「悪いのはさやかじゃなくてあんたの胸。というか頭」
「あたしは別に頭打ってないよ? 打ったのはさやかでしょ?」
「何なら私が今から打ってあげようか」
「ちょ、ちょ、依理子、真顔で凶器構えるのやめて! ごめん! なんか分かんないけど謝るから!」
一体視界の外で何が起こったのかはさっぱり分からなかったが、俺はそこでようやく巨乳責めの刑から解放された。本気で死ぬかと思った。
ぷはっと大きく息をしながら顔を上げた先に見えたのは、緩いウェーブを描く茶髪をサイドアップにした巨乳の主と、無表情に椅子を持ち上げた黒髪ボブの女子。どうやら後者が俺をあらゆる意味での拷問から救ってくれた勇者のようだ。
「おはよう、さやか。生きてる?」
「う、うん、何とか……」
「顔、真っ赤。ほんとに死ぬとこだったみたいね」
淡々と語る黒髪ボブ子(仮名)は終始表情を変えぬまま、俺の無事を確かめるとようやく椅子を下ろした。それを見た巨乳女子が胸に手を当ててほっとしたような顔をしている。
「――あ! 蓮村さんじゃん! 超久しぶりー!」
「えっ、さやかちゃん来たの?」
「わ、ホントだ! おはよー! 思ったより元気そうじゃん!」
「確か入院してたんだよね。体、もう大丈夫なの?」
そんな傷害致死事件(未遂)から一息つく暇もなく、俺は新たに教室へ入ってきた見知らぬ生徒たちへの対応に追われた。
やってくるのは一にも女子、二にも女子、女子、女子、とにかく女子。というか全員女子。
それもそのはず、ここは私立聖繍女学院高等学校のど真ん中、一年三組の教室だった。
何でそんなところにいるのかって?
そんなもん、俺が訊きたい。
すべての発端は俺が死んで生き返った、二日前の土曜日のことだった。
あの日あのあと、俺はにっこりと笑った絢子さんにこう言われたのだ、
「それじゃあ来週月曜日から、早速聖女に通ってね」
と。それに対する抗議や意見は一つ残らず封殺され、俺はあの家で一切の発言権を与えられていないことを知った。
絢子さんの命令は絶対で、逆らうことなど許されない。というか逆らう隙がない。
俺が何か文句を言おうものなら、あの人は最高に整った顔立ちに絶対的な微笑を乗せてそれを一蹴する。のらりくらりと躱す。適当に話をはぐらかす。
そんなこんなでまんまとあの人に言いくるめられた俺は、男でありながら――体は紛うことなき女だが――こうして女子校に通う羽目になってしまった。
それも〝蓮村さやか〟として、だ。生まれ変わると決めたときから他人として生きる覚悟は決めていたものの、まさかセーラー服にスカートをはいて女子校に通うことになるとは夢にも思わなかった。――そう、これはとびっきりの悪夢だ。
「でもさー、マジで心配してたんだからね、さやか。階段から落ちて意識不明とか言うから、話聞いたとき超パニクったし。なのに病院行っても面会謝絶とか言われるしさー。このまま二度とさやかに会えなかったらどうしようかと思ってたんだから」
そう話すのはさっきの巨乳女子。隣には黒髪ボブ子の姿もあった。
名前は巨乳の方が一之瀬舞で、黒髪の方が真野依理子。どうやらこの二人が、クラスでも特にさやかと仲が良かった友人のようだ。
そういう情報は土日のうちにみっちりと詰め込まれていて、さやかの学校生活についてはある程度理解しているつもりだった。
ついでに言えば、どうやらさやかはこの二ヶ月間、階段から転落して意識を失い、目覚めずに入院していたということになっているらしい。
その際頭を強く打ったので記憶の一部が混乱している、と何かのときには言い訳できるよう、絢子さんが便宜を図ったのだと言っていた。さも名案だろうと言いたげにそのことを打ち明けてきた絢子さんのドヤ顔を思い出すと、無条件に壁を殴りたくなる。
「ていうかさ、今日から学校来るなら来るってメールくらいくれてもいいじゃん? あたし、さやかのことが心配で心配で夜も眠れなくて、そんで仕方なく授業中に爆睡して色んな先生に怒られたんだよ!」
「舞はさやかが入院する前から授業中に寝てたでしょ」
「で、でもさやかのことが心配で眠れなかったのは本当だしー!」
「ご、ごめんね……階段から落ちたときに、スマホも一緒に落としちゃってさ。そのせいで壊れちゃって、まだ新しいの買ってないんだ」
「うわ、マジ? それって保険とか効かないの?」
「え、えっと……その辺はまだ確認してないんだけど……」
「そっかぁ。でもさやか、高校入るときに機種変えたばっかじゃん。ケースも超可愛かったのに、ほんと災難だったねー」
気の毒そうに言いながら、舞は「よしよし」と慰めるように俺の頭を撫でてきた。
俺はそれが何だか照れ臭くて、思わず目を逸らしてしまう。……女子って好きだよな、こういうスキンシップ。
「あ、あの、一之瀬さんは……」
「は!? 何で苗字呼び!? しかもさん付け!?」
「え? ま、舞ちゃん、だっけ……?」
「普通に呼び捨てでいいし! 何で急に他人行儀? さやかとあたしの仲じゃない!」
「う、うん、ごめんね……なんか頭打ったせいか、色々記憶が飛んでて……」
「え!? それってまさか記憶喪失!? うそ、韓流ドラマみたい!」
「舞、それ偏見だから」
終始テンションが高い舞と、逆にテンションが微動だにしない依理子があまりに対照的すぎて、俺はどうにも会話に入っていきづらかった。
しかしまさか、こんなに早くこの言い訳を使うことになってしまうとは……絢子さんからは、舞と依理子はさやかの中学時代からの友達としか聞いてなかった。
そもそもクラスメイトの顔と名前を覚えるだけでいっぱいいっぱいで、さやかが誰をどう呼んでいたのかなんて気にする余裕もなかったし。
やっぱ他人が他人に成り済ますなんて、いくら何でも無茶なんじゃないのか? 正直さやかの喋り方も、これで合っているのか甚だ不安だ。
「だけどさやか、記憶が飛んでるって、それじゃあ前期の授業の内容も? ただでさえ六月から学校来てなかった上に期末も受けてないのに、それって結構ヤバいんじゃない?」
「う、うん……一応、教科書見て復習はしてきたつもりだけど……」
「まあ、間に夏休み挟んだから、言うほど進んではないけどさ。何か分からないことあったら言いなよ。私に教えられることなら教えるから」
「あ、ありがとう、依理子」
試しに呼び捨てで呼んでみたが、依理子が特に気にした様子もなく頷いてるところを見ると、とりあえずこれで問題ないようだ。それにしても相手の名前一つ呼ぶだけで冷や汗をかかなきゃならないとは、まったくもって心臓に悪い。
しかしそうか、さやかは六月末から学校を休んでることになってるから、期末考査も受けてないのか。ってことはこれから追試みたいな形で受けることになるのか?
俺自身は元いた高校で既にテストを受けているだけに、またテスト勉強をしなきゃならないのかよ、とげんなりした気分になる。
「あ! ていうかさていうかさ、さやか、知ってる!? あたしこないだ転部したの!」
「え?」
「依理子と同じ写真部に入ることにしてさ! ほんとはさやかが戻ってくるまで待とうと思ったんだけど、どーしても我慢できなくて! ごめん! でも氷室先生が写真部の顧問になったって言うから……」
「氷室先生?」
これからのことを考えて慄然としていたところに、いきなり違う話題を振られて俺は内心困惑した。
が、舞はそんな俺の心境などお構いなしに頷くと、やけに興奮した様子で捲し立ててくる。
「ほんとはね、七月から顧問変わったんだよ。前の顧問だった平木先生が産休入ったから。平木先生、そのまま育児休暇も取ってるから、来年まで学校には来ないんだって。その間はずっと氷室先生が写真部の顧問らしいの! 夢みたい! 最高だよね!」
「最低よ」
と、ときに冷たく吐き捨てたのは、言わずもがな依理子だった。その表情は見るからに不機嫌で、大袈裟にため息までついている。
「あいつが顧問になったせいで、本当は写真になんか興味もないミーハー連中が一斉に転部してきて、ほんといい迷惑。そのせいで元からいた先輩が二人も退部しちゃったし……」
「で、でもさ、写真部って今年は一年が依理子だけで、下手したら廃部かもって話になってたんでしょ? だったら良かったじゃん、一気に部員が増えてさ!」
「あんな連中、部員とも呼べないわよ。エサにたかるハエと一緒でしょ」
「え、依理子……それって暗にあたしのこともハエって言ってる?」
「あんたも真面目に活動するならセミくらいには格上げしてあげてもいいけど」
「ひ、ひどい! それが親友に対する扱い!? ていうか何でセミなの!? 昆虫から上のランクには上げてくれないの!?」
「だって毎日氷室氷室って、そればっかり言ってるから。なんかだんだんセミの鳴き声みたいに思えてきて」
「あ、あの……その氷室先生って?」
二人の会話にまったくついていけず、俺は横からそう尋ねてみた。
すると二人が同時にこちらを振り向き――互いに程度の差はあれど――驚きを露わにする。
「え!? さやか、まさか氷室先生のことも忘れちゃったの!?」
「う、うん……? 何か、一年の教科担当してる先生だっけ……?」
「世界史だよ、世界史! 聖女唯一の世界史担当教員にして全生徒憧れの的!」
「一応言っとくけど、私は微塵も憧れてないから一括りにしないでくれる?」
至極不愉快そうに依理子が言ったものの、そんなものは既に舞の耳には届いてないみたいだった。
〝氷室〟というその名前に過剰な反応を示した舞はやけに目をきらきらと輝かせながら、ときにさも名案が浮かんだと言いたげな顔で俺の手をがっしりと掴んでくる。
「そーだ! ね、せっかくだからさやかも写真部に転部しよ!」
「え?」
「氷室先生のこと忘れちゃったんでしょ? なら、あたしが今度こそ先生の魅力に気づかせてあげるから!」