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ファンタジーでクレイジー

「あー、その、さ。それで結局、あの絢子って人は何者なんだ? 人の未来を予言したり、死んだ人間を生き返らせたり、そのコトワリとかいうやつの崩壊を止めたりできるって、どう考えても普通の人間じゃねーだろ」

「うむ……まあ、やはり常民じょうみんにはそう映るかの。絢子は――」

「〝厄呼びの魔女〟とか〝破滅の予言師〟とか、その筋じゃ色んな名前で呼ばれてるわね」

「! 絢子!」


 不意に聞こえたその声に、ぴんと耳を立てて真っ先に反応したのは翔だった。

 それにつられて俺も目をやった先、そこには部屋の入り口にゆったりと背を預けた絢子さんがいる。

 魔女と自称したその人はいつの間にやら黒いドレス姿ではなく、同色の着物姿に変わっていた。

 着物の裾には白抜きで花の模様が描かれ、今は髪も緩やかに結い上げている。

 服装と髪型が少し違うだけで、絢子さんの印象はずいぶんと変わって見えた。さっきまではそれこそ西洋人形のような出で立ちだったのに、着物をまとうと日本人離れした顔もたちまち大和撫子のそれに見えるから不思議なものだ。

 そのあまりの変貌ぶりに俺がつい呆けていると、ときに尻尾を振った翔が立ち上がり、絢子さんへ駆け寄っていくのが見えた。

 かと思えば、翔は先程までのふてぶてしい態度が嘘のように神妙な顔をして、クーンと鳴きながら気遣わしげな声を上げる。


「おい、絢子、もう動いて大丈夫なのかよ? まだ顔色が良くないぜ」

「私なら大丈夫よ、翔。――それで? 無事に生まれ変わった気分はどう、武海タケル君?」


 含みのある笑みを浮かべ、体ごとこちらを向いた絢子さんが言った。そうしながら絢子さんは足元にいた翔を抱き上げ、俺の傍へと歩み寄ってくる。

 対する俺は、からかい混じりに聞こえた絢子さんの問いかけに図らずもムッとした。

 途端に胸中にはふつふつと怒りが沸き起こり、思いの外背が高い絢子さんを睨み上げる。


「おかげさまで最悪ですよ。ていうかこれのどこが〝無事〟に見えるんスかね」

「あら、だってちゃんと五体満足で、その上体と魂の連結も上手くいってるでしょう? たまにどうしても合わなくて体から弾き出されちゃう魂があることも考えれば、充分〝無事〟の範疇じゃない」

「男がいきなり女にされて無事なわけあるか! どういうことなんスかこれ! 俺は生まれ変わったら別人になるって話には了承したけど、女になってもいいとは言ってねーぞ!」

「そうね、言わなかったわね。だけど同時に〝女は嫌だ〟とも言わなかったわ。そういうことは先に言ってくれなきゃ、いくら私でも分からないわよ」

「なっ……!」

「で、どうだった? 生まれて初めて女の子の胸に触った感想は」


 何の前触れもなく降りかかってきたその問いかけに、俺はハッとして固まった。

 純情な少年おれはそれが話題逸らしを目的とした汚い大人の策略だとは露知らず、わなわなと肩を震わせる。同時に頬が熱を持ち、自分でもたちまち顔が赤くなっていくのが分かる。


「ど……どうしてそれを……!」

「え、図星? そう……それはごめんなさい。冗談で言ったつもりだったんだけど……」


 このアマあああああ……!!

 あからさまな軽蔑と憐れみの視線を投げかけてくる絢子さんに、俺は再び打ち震えた。

 が、今度は廉恥心ゆえではない。まんまとこの人にハメられたという悔しさゆえだ。


「まあ、でもそうよね。今時の高校生は進んでるとは言え、やっぱり異性には触ったこともないっていうのが普通よね。別に恥じることはないのよ。きっと世の男子高生のほとんどがそうなんだから」

「下手に慰めてくれなくていいですから! なんか余計に傷を抉られてるような気分にしかなれませんから!」

「そうだぜ、絢子。それ以上言ってやるなよ。きっと女には分からねえさ、童貞のまま死ななきゃならなかった男の無念ってやつが……」

「うるせえええええ! い、い、今はそんなことより、この体のことだろうが!」


 絢子さんの腕に抱かれたまま、便乗して憐れみの笑みを浮かべている(ように見える)翔に一喝し、俺は話題をうやむやにした。

 そんな俺たちのやりとりを喜与次さんが呆れたように見つめる中、絢子さんは足元の座布団に腰を下ろし、改めて俺に向き直ってくる。


「そうね。確かに私には男の無念は分からないけれど、その体のことならよく知ってるわ。その娘の名前は蓮村はすむらさやか。今年の春に聖繍せいしゅう女学院高校に入ったばかりの十六歳よ」

「えっ。せ、聖繍女学院……!?」


 その名前には俺も聞き覚えがあった。というか知らないはずがない。

 何故ならそれは、この町に暮らす健全な男子高生なら誰もが一度は夢を馳せるであろう高校の名だからだ。

 私立聖繍女学院高等学校、通称〝聖女〟は、天岡市内唯一の女子校にして市内有数の進学校だった。最近ではずいぶんと開放的な雰囲気になったと聞くが、一昔前までは地元民の間で〝お嬢様学校〟と呼ばれ、何となく格式高い高校として知られていたらしい。

 しかし何もそれだけが天岡市とその周辺に暮らす男子高生の夢を集める理由ではない。一番の理由は、聖女が近隣の高校の中でも特にレベルが高いと囁かれていることにあった。

 ……何のレベルが高いのかって? それはもちろん頭のレベル――ではない。

 そちらの方でもかなり優秀であることには違いないのだけれども、もっぱらこの町の男子の口に上るのは、聖女生の〝顔〟のレベルの高さについてだ。


「そ、そうか……それじゃあこの娘、かなり頭が良かったんだな……」


 言いながら俺はちらりと鏡を見やり、落ち着いて考えれば顔もかなり可愛い方だと思い至った。今は自分の顔なので、〝可愛い〟と断言するのは何となく気が引けるのだが。


「けどさっき喜与次さんから聞いた話じゃ、この娘、体はまだ生きてるのに魂だけが抜けちまったって……」

「ええ、そうよ。だから代わりにその体に入ってくれる魂を探していたの。魂のない肉体を私の力だけで生かし続けるのには、さすがに限界があったから」

「それで俺をハメたんですか。死ぬのが分かってたなら助けてくれりゃ良かったのに」

「ごめんなさいね。だけど私の見た未来は、一度見てしまったら変えられないの。だからこの際利用させてもらうことにしたのよ。あなたはここ最近私が出会った魂の中で、一番若い魂だったから」


 悪びれもせず、むしろ今度は開き直ったような口振りで、絢子さんははっきりと俺を利用したことを認めた。

 ってことはやっぱり、初めから俺を騙す気だったんじゃねーか。それを知った俺はまたしても怒りを覚え声を荒らげそうになったが、ときに絢子さんがすっと手を挙げて、それだけで俺を制止する。


「こんなことに巻き込んでしまったことは謝るわ。だけど今はどうしても協力者が必要だったの。ある男を誘き出すためにね」

「ある男?」

「ええ。他でもない、ここにいる喜与次さんや翔、それにさやかちゃんの魂を抜いた男よ。その男はあなたを狙ってる。いえ、正確には、あなたのその体をね」


 極めて冷静に、かつ抑揚のない声色で絢子さんはさらりと言った。

 ……えっと、体を狙ってる? それってつまりそういうこと?

 いやいやいや、でも相手は(そんなことが現実に可能なのかどうかは別として)人を生かしたまま魂だけを抜き取るような相当ヤバいやつみたいだから、何かもっと別の壮大な理由があって俺を――正確にはこの体を――狙っているのだろう。そうだ、そうに違いない。というかそうであってくれ。


「あ、あの……絢子さん? その男ってのは一体……」

「名前は神羅かむら。本名は不明。顔も年齢も不明。分かっていることはかなりやり手の呪術師だということと、今なおこの町に潜伏している可能性が極めて高いということだけよ。〝常民〟――つまり何の変哲もない町の人に化けることでね」

「じゅ、呪術師って……そんなファンタジーなやつが天岡にいるんですか?」

「あら。それを言うなら今、あなたの目の前にだっているじゃない。とびきり〝ファンタジーなやつ〟が」

「そ、そう言われてみればそうですね……でも、それじゃあそいつは何でこの体を……」

「詳しい理由は私にも分からないわ。だけど神羅がさやかちゃんを追っているということだけは間違いない。だからあなたにはさやかちゃんを演じて暮らすことで、神羅を誘き出してほしいの。あの男がこれ以上、罪もない人々を手にかける前に」


 言った絢子さんの表情は真剣だった。この人はふざけていたかと思えば真面目になり、かと思えばやっぱりふざけていたりするからどこまで本気なのか分からない。

 けれどもひとまず分かったことは、今、この町には人の体から魂を抜く危険なファンタジー野郎がいて、俺はそいつを見つけ出すための囮にされたということだった。

 どうも俺は家にトラックが突っ込んできたあの瞬間から、理不尽なことにばかり巻き込まれているような気がする。いきなりそんな話をされたところで問題は俺の理解を遥かに超えていたし、そもそも理解できたところで納得できるかと言われたら答えは限りなくノーだった。

 何故ならそれが俺でなければならない必然性がどこにもない。おまけにこれまでこの人たちが言うところの〝常民〟として生きてきた俺が、こんなわけの分からない話に巻き込まれたところでついていけるわけがない。


「い、いや、けど俺、絢子さんみたいな特殊能力とか持ってないし、そんなヤバそうなやつが出てきてもやり合ったりできないッスよ? もし襲われても勝てる気しないッスよ?」

「大丈夫よ。あなたとさやかちゃんのことは、私が責任を持って守るから。あなたはただ、さやかちゃんの処女さえ守ってくれればそれでいいの。それ以外はごく普通の高校生として過ごしてくれて構わないわ」


 ……今、この人さらっと大変なこと言ったよな? 聞き捨てならないこと言ったよな?

 〝処女を守れ〟ってどういうことだ? つまりそういうことじゃないのか?

 そもそも男がいきなり女の体にぶち込まれた時点で〝ごく普通の高校生〟として過ごすなんて無理だっての。

 ええい、やっぱこの人らの話にはついていけねえ!


「あの、申し訳ないんですけど、この話下りさせてもらっていいですかね」

「あ? 何言ってんだ、お前」

「犬っころは黙ってろよ。あんたらはどうだか知らねーけど、俺は今まで超平凡な生活しか送ってこなかった一般人なんだ。なのにこんなわけの分からない話にいきなり巻き込まれて、ハイそうですかなんてすんなり納得できるわけねーだろ!」

「おいてめえ、これまでの話聞いてなかったのかよ? その神羅って野郎をほっといたら色々やべえっつってんだろ! だから絢子がこうして」

「そんなの俺には関係ねーよ! だいたい魂だの霊感だの呪術師だの、そんな漫画みたいな話についていけるか! 俺はただ生き返りたかっただけなんだよ! 生き返って、もう一遍人生をやり直せたらって……!」

「――そう。なら、魂を抜きましょうか」

「絢子!? お前、本気かよ!?」


 卓に肘をつき、気怠げに頬杖をついた絢子さんが、無表情に俺を見つめてきた。

 その眼差しに俺を責めるような色はない。けれども俺は何となく気後れがして、逃げるように下を向く。


「本当に人生をやり直したいのなら、このままあの世へ渡って一からすべてやり直せばいいわ。その代わりあなたはこちらの世界での記憶を失うけれど、それがあなたの望みなら私は止めない。今すぐその体から魂を解き放ってあげる。今回の契約は、それでなかったことにしましょう」

「おい絢子、何言ってんだよ! 今さやかの体から魂を抜いたら、もうあとが」

「仕方がないわ。本人が嫌だと言っているのを、無理に引き留めるわけにはいかないもの。そりゃあいきなり他人の都合を押しつけられて協力しろなんて言われたら、誰だって頭に来るわよ。それを分かってて誘った私にも非はあるし、理解されないのには慣れてる」


 そのとき絢子さんが翔を撫でながら言った言葉が、何故か無性に胸に刺さった。

 まるで俺の方が悪者になった気分だ。俺の主張だって決して間違ってはいないはずなのに。


「それで、どうする? あなたが望むなら、この契約は今すぐ破棄するわよ」

「お、俺は……」

「遠慮することないわ。あなたが抜けても私たちのやるべきことは変わらない。世界の理とこの町の人々を守るために全力を尽くす。それが予定よりほんの少し困難になるだけ」

「う……」

「別にあなたを責めてるわけじゃないのよ。物事の当事者と第三者との間には、無関心の壁があって当たり前なんだから。たとえばテレビで殺人事件のニュースが流れてたって、その被害者が自分と何の関係もなければそんなものはどうだっていいでしょ。テレビを消して一時間もすれば、被害者の名前も遺族の涙も忘れてしまう」

「そ、そんなことは……」

「恥じることはないわ。それが人というものよ。自分に関わりのないもの、理解できないものは遠ざける。それはあなた一人がそうだというわけじゃない。誰だってそうなのよ」

「……」

「だけどこれだけは覚えておいて。いくら優れた魔力を以てしても、〝生きたい〟と強く願っていない魂を肉体に宿すことはできないの。あなたにはそれを可能にするだけの思いがあった。その思いと女として生きる苦痛――あなたにはどちらの方が重いのかしら?」


 ――〝生きたい〟。

 その言葉に、胸が軋んだ。

 そうだ。俺は確かに生きたいと願った。空っぽだった人生を変えたいと。

 父さんと母さん。生きて、もう一度二人に会いたかった。謝りたかった。

 その望みを捨てていくのか。女の体は嫌だから。たったそれだけの理由で。


 だとしたら、本当に救いようのない馬鹿だな、俺。


「……。ちょっとだけ……」

「え?」

「ちょっとだけなら、協力してもいいッス……俺もこの世でやり残したことがあるから」


 あれだけ全力で拒否っておきながら、今更発言を翻すのはすさまじく決まりが悪かった。

 けれどもせめて父さんと母さんに会うという望みだけは達したい。会って何ができるというわけでもないけど、最期まで親不孝なまま消えてなくなったりしたら俺の人生ほんとに空っぽだ。

 何一つ成し遂げられないまま、残せないまま死ぬなんてあまりに虚しい。

 それはつまり、俺には生まれた意味なんて何もなかったということになってしまうから。


「ちょっとだけ、ね。それって具体的にどれくらいの期間のことを言っているのかしら」

「そ、それは……とりあえず、一週間くらい?」

「一週間で片がつくなんて、ずいぶんやり残したことが少ないのね。でも、その体じゃ残念ながら童貞は卒業できないわよ?」

「そこじゃねーよ! そんなくだらない妄執のために生き返ったと思われてたの俺!?」

「だって〝男の無念〟なんでしょう?」

「否定はしねーけどさ! だとしても心外極まりない誤解だよ!」

「冗談よ、そこまでムキにならないでちょうだい。だけど、そうね。それならこっちも一週間で片をつけましょうか。その後どうするかは、お互いそのときになったら決めましょう。〝人生再チャレンジプラン〟、一週間のお試し期間ってことで、ね」


 存外軽いノリで言われ、おまけにウインクまでつけられたのが何となくイラッとした。この人、たぶん悪い人ではないんだろうけど、相当に人が悪い。

 果たしてこれから一週間、俺は無事に生き延びられるのか。呪術師がどうとか関係なしに、俺は早くもそんな不安に駆られていた。

 それでもまずは、この一週間を悔いのないように生きる。生き切ってみせる。

 そんなこと、これまで考えてみたこともなかったけど、今はそれがとても尊いことのように感じられた。

 まずは一分一秒、どんな瞬間も無駄にしないで生きてみよう。

 空っぽだった俺の人生に、何か一つでも残せるように。

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