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勇んで猛れ

「残念だったわね、神羅。自分が運命を弄んだ相手に逆襲された気分はどう?」

「貴様、何故ここに……!」

「あなたがこんな時間にうちのアイドルを呼び出したりするからよ。おかげで喜与次さんが〝さやかに悪い虫がついたら困る〟って暴れてね。だから仕方なく様子を見に来たの。それがまさかあなたからのご招待だったなんて、万霊は未だ私を見捨ててはいないようね」

「これ、絢子。適当なことを言うでない。おぬしとて〝青少年の甘酸っぱい青春が生で見られる〟などと言って、ノリノリでタケルを尾行けておったではないか」

「だっててっきり男の子からの告白イベントだと思ったから。それに慌てるタケルを眺めてほくそ笑みたかったし」

「あんたら一体何やってんスか」


 どこまでもどこまでも果てしなくふざけている絢子さんと愉快な仲間たちに、俺は呆れも怒りも通り越した境地で吐き捨てた。

 けれどもそれは、震えるほどの安堵と共に吐き出した言葉でもあって。

 ――ああ、くそ、こんなの反則だろ。

 もう駄目だと諦めた瞬間に、全員揃って助けに来てくれるだなんて。


「まったく……貴様はどこまでも私の邪魔をしてくれるな。これほどしつこく我が前に現れた呪祓師じゅふつしは、この千年の歴史の中で貴様が初めてやもしれん」

「お褒めに与りましてどうも。だけど私がこうしてあなたの前に現れることになったのも、すべてはその〝千年の歴史〟の間にあなたと戦い続けた呪祓師たちの執念の結果よ。〝時渡りの神羅〟――あなたが遥か平安の時代から、果霊質を持つ女性の肉体を求めて繰り返し時を超えてきたことは分かってる。あなたの存在はこの千年、絶えることなく呪祓師たちの間で語り継がれてきたのよ。そして私も恩師から、いずれきたる最凶の呪術師をこの時代で止めるようにと、その使命を託された。呪祓師の誇りと一緒にね」


 千年の歴史。時渡りの神羅。絢子さんの口から次々と飛び出す信じ難い言葉に、俺は見開いた目を何度も瞬かせた。

 人が千年の時を超える。そんなことが本当にできるのか。

 確かに神羅の口調は、この時代を生きる人間のそれにしてはずいぶん芝居がかっていると思っていた。その理由が単なるキャラ作りではなく、生まれた時代の違いによるものだとしたら――。


「できるのよ、残念ながらね。人の可能性が無限であるように、あたしたち霊能師の力に不可能はないと言われている。だけど時を渡るなんて不可能を可能にするためには、何百人という人の魂が必要なのよ。そして何よりも、時を渡るという行為はこの世の〝ことわり〟を歪める。人間ごときが触れることなど許されない、この世の根幹をね」


 ――〝理〟。そのときそんな言葉を口にしたのは、座り込む俺を守るようにぴんと尾を立てたサリーだった。

 理が崩れる。恐るべき未来が来る。そんな話をどこかで聞いた。

 あれは一週間前の今日。

 俺がこの体を手に入れ生き返った、あの日のことだ。


「神羅。あなたも分かっているはずよ。あなたが軽率に繰り返してきた〝時を渡る〟という行為が、世の理を崩壊寸前まで歪めてしまっていることを。次にあなたが別の時代へ旅立てば、今度こそすべてが壊れてしまう。それが一体どんな未来を招くのか、あなただって霊能師の端くれなら知らないはずはないでしょう」

「ああ、もちろん知っているとも。世の理が崩れれば、あの世とこの世の境界が消え、死者と生者が入り乱れる。時の流れは荒れ狂い、過去と未来とが入り混じり、やがて何もかもが形を保てなくなる。――だが、それがどうした?」

「何ですって?」

「こんな世界がどうなろうと、私の知ったことではない。恩師のいない世界など、むしろ滅びてしまえばいいのだ。私には恩師さえいればそれでいい。何一つ欲をかかず、ただ慎ましく生きていた我々さえ〝化け物〟と罵り迫害する世界など消えてなくなれ。そしてすべての人間が我々と同じ絶望を味わい、断末魔と共に知ればいいのだ。己の愚かさ、醜さ、狭量さ、魔のごとく賤しいその性分と、決して許されることなき罪深さをな!」

「神羅、あなた……」


 言葉を失った絢子さんの視線の先で神羅は大仰に天を仰ぎ、狂ったように高笑した。俺はその姿に、再び背筋を舐める悪寒を感じながら。

 同時に、何故か胸を刺す痛みに戸惑いを覚えている。


「貴様とて本心ではこの世界が憎いのだろう、絢子とやら。我ら霊能師はその力と引き換えに、人間の目も当てられぬ醜さを死ぬまで見つめ続けるよう定められた存在だ。この世に我らの居場所などない。ならばいっそ私と共にすべてを滅ぼしてみぬか? それはそれでまた一興やもしれんぞ」

「いいえ。残念ながらその願いは叶いそうにないわ、神羅。あなたは今夜、私と共にここで死ぬの。その未来からは決して逃れられない。何せそれが――〝厄呼びの魔女〟が見た未来なのだから」

「……何?」


 それまで気が違ったように騒いでいた神羅が、ふと我に返って絢子さんを見つめた。

 俺たちもまた、それぞれに耳を疑いながら絢子さんを振り返る。

 絢子さんは微笑わらっている。

 その中でただ一人、言葉もなく目を伏せたのは、サリーだけだ。


「絢子。おぬし、何を言って……」

「ごめんなさい、喜与次さん。ずっと黙ってたけど、本当は神羅がこの時代に現れたときから、私には結末が分かっていたの。この世界は滅ばない。呪祓師の誇りに懸けて、私が滅ぼさせはしない。それがチエさんとの約束だから」

「絢子」

「サリー。今日まで黙っていてくれてありがとう。あとのことは任せるわ」

「……ええ。万事任されたわ」

「タケル。今すぐ真人さんの魂を彼に戻して、翔たちと一緒に逃げなさい。今後のことは瞬が面倒を見てくれるわ。今日でちょうど一週間、あなたがどんな選択をしようと宛はあるから大丈夫よ。私の他にも、腕のいい霊能師はいくらでもいる」

「何……言ってるんですか、絢子さん。そんなの……そんなの駄目ですよ!」


 ――絢子さんが、死ぬ? 今夜、神羅とここで二人で?

 そんなこと、認められるわけねーじゃねーか。納得できるわけねーじゃねーか。

 だって絢子さんは、おちゃらけてて不真面目で人を食ったような性格だけど、それでも立派な呪祓師で――俺の恩人で。

 なのにもう、未来は変えられない、なんて、


「クッ……ははッ……はははははははは!!」


 そのとき、俄然神羅の高らかな笑い声が再び夜に木霊した。

 その声は紛れもなく智樹のそれであるものの、もはや顔は別人で。

 それこそ〝化け物〟のように歪んだ顔で笑った神羅は、突如腰のベルトポーチに手を突っ込み、そこからあるものを取り出してみせる。

 それは、深い青色の光を内に湛えた第二の小瓶。


「残念だったな、厄呼びの魔女とやら。貴様が霊視したその未来にどれほどの自信を持っているのかは知らんが、呪祓師は人を殺せまい。これはこの体の持ち主、那地智樹の魂だ。貴様がここで私を滅すると言うのなら、私もこの魂を滅するぞ」

「てめえ……!」


 どこまでも卑劣に徹する神羅の言動に、真っ先に怒りを露わにしたのは翔だった。

 翔は四肢を限界まで突っ張って、今にも神羅に飛びかかりそうな形相をしているが、それを横からサリーが制す。


「駄目よ、翔。今はあいつを挑発しないで。それでなくともあの体は、タケルの……」

「んなこた分かってんだよ! 分かってるから、オレは……ッくそ!」

「ククク……飼い犬のしつけはそれなりにできているようだな」


 片頬をいびつに歪め、神羅はわざとらしく智樹の魂が入った小瓶をちらつかせて見せた。

 そう――直前にサリーが言いかけていたが、あの体は、魂は智樹のものだ。俺と智樹がどういった関係にあるのかは既に絢子さんたちにも話してある。ゆえに俺たちはたちまち為す術をなくし、再び劣勢に追い込まれてしまう。


「さあ、これで分かったろう。今すぐその娘の体から守護印を外し、大人しくこちらへ渡せ。さすれば那地智樹は魂身共に無傷で貴様らに返してやる」

「だけどあなたは、さやかちゃんの肉体を手に入れたらまた時を渡るつもりなんでしょう? そんなことをしたら……!」

「その話はさっきも聞いた。だがあと一回くらいなら、理もまだ持つであろうと私は考えている。この時代はどうにも生きにくいのでな。できることならば恩師と共に、またあの穏やかだった日々に戻りたい」


 つまり神羅はさやかの体を手に入れて、そこに自分の〝恩師〟の魂を定着させるつもりだ……ってことか。

 それが何故さやかでなければならなかったのかは分からないが、果霊質の持ち主であることにこだわっていたらしいところを見ると、それ以外の肉体では何か都合が悪いのかもしれない。

 そこまで理解したところで、俺はようやくゆらりと立ち上がった。

 絢子さんたちの視線が一斉に集まる。俺は服についた土や草を適当に払ってから顔を上げ、笑った。

 その反応に、絢子さんは少し戸惑ったようだ。


「絢子さん。守護印を外して下さい」

「タケル……!」

「喜与次さんには悪いけど、今の俺には肉体だけのさやかより、魂も体も揃って無事な智樹の方が大事だ。もうこの前みたいなのは嫌なんです。助けられたかもしれない人を、助けられずに失うのは……」

「おいオカマ、ざっけんなよ! んなことしたら理がやべえっつってんだろ! 第一、その体を渡すってことはお前が――」


 そのとき、更に何か言い募ろうとした翔を、絢子さんが手だけで制した。

 次いで絢子さんはじっと俺を見つめ、数瞬ののち、「ここへ」と自分の正面を示してくる。

 俺はその指示に従って灌木を越え、絢子さんの目の前に立った。

 そこで絢子さんはもう一度俺の目を見据えてから、すっとその瞼を閉じ、俺の胸に右手を当ててくる。


「解」


 それが、守護印解放の合図だった。絢子さんが短く唱えた刹那、その右腕に蒼白い呪紋が走り、同じ色の光が波紋のように俺の胸元で弾けて消える。

 一瞬の風が吹き、ふわりと舞い上げられた髪が戻った。

 俺は絢子さんの手が離れた胸元を見下ろして、自分もそこに触れてみる。


「ありがとうございます、絢子さん」


 それから、俺は一度だけ礼を言った。こちらを見つめた絢子さんの双眸に、自分の笑った顔が映って見えた。

 絢子さんは何も言わない。

 けれども俺は、絢子さんの答えは受け取ったつもりでいた。

 そのまま静かに身を翻し、神羅へと向き直る。覚悟を決めて、すっと腹に力を込めて、俺は神羅に向かって歩き出す。


「さあ、約束だ。これで智樹のことは解放してもらおうか」


 やがて神羅の目の前で立ち止まると、俺は可能な限り居丈高に言って神羅に右手を差し出した。

 まずは智樹の魂から。そういう意味を込めた右手に、神羅が一瞬視線を落とす。


 ――今だ、と思った。


 神羅に示したのとは逆の左手。

 そこには俺が、先程土を払ったときにさりげなく手にした、最初で最後の切り札がある。


「――ろくの符、〝せん〟!!」


 叫んだ俺の声と同時に、カッと世界が白に染まった。

 神羅の鈍い悲鳴が聞こえる。

 陸の符、〝閃〟。それは俺が今朝絢子さんから譲り受け、ポケットに入れたままにしていた呪符だ。

 使い方を教わっただけの俺に本当に使いこなせるのかどうかは賭けだったが、幸いにも符は俺の願いを聞き届けてくれた。

 今しかない。

 一瞬の閃光が神羅の視界を奪った刹那。

 俺は勢いよく右足を振り上げ、渾身の力で神羅の――男にとって最大の急所である場所を、蹴った。

 蹴り上げた。


「ふぐぅっ!!」


 瞬間、俺の耳にははっきりと神羅の苦悶の声が届く。すまねえ、智樹。だがこれもお前を救うためだ。

 胸裏でそう弁解し、俺は神羅の手の中から即座に智樹の魂を奪う。

 やった。やってやった。

 作戦は成功だ!


「絢子さん!」


 間髪入れず、俺は手にした智樹の魂を絢子さんに向けて放った。これは俺が持っているより絢子さんに守ってもらった方がいい。そう判断してのことだ。

 ところが、刹那。

 背後からの鋭い衝撃に俺は息が詰まり、束の間視界が暗転した。

 次に気がついたとき、俺は空中にいる。眼下には地に倒れ伏した俺――いや、さやか。ああ、とそのとき俺は瞬時に理解する。蒼白く透けた両手。神羅に魂を抜かれたのだ。

 そのまま宙へ放り出された俺を神羅が睨む。憎悪に燃えた瞳。その手に滅却の霊炎ほのお。神羅はそれを振りかざし、息もつかせず俺へと放ってくる。

 眼前に滅びの光が、


「サリー!」


 呼ばれたサリーが、投げ出され、地に落ちて砕ける寸前だった智樹の魂入りの小瓶をすんでのところでキャッチした。

 その瞬間、鳴った鈴の音とほぼ同時に、絢子さんの両手から青色の炎が放たれる。

 その炎と、神羅が放った黄濁色の炎とが激突した。

 二つの炎は激しく噛み合い、拮抗し、あたりにはすさまじい烈風が噴き上げる。


霊力ちからで私に勝てると思うな、小娘ェ!!」


 狂気に満ちた神羅の絶叫が響いた。

 途端に二色の力の均衡が崩れ、青い炎が押され始める。怒りに狂った神羅の力はすさまじく、あまりの霊圧に押された絢子さんの体が後退する。


「くっ……本当に、何て馬鹿力なの……!」


 ずずずず、と絢子さんの両足が後ろへ押しやられる度に、青い炎は勢いを失った。

 霊術とは自らの魂の力を以て行使される。しかしこのままいけば絢子さんの方が先に力尽き、押し切られて神羅の放った劫火に焼かれてしまうだろうことは明らかだ。

 ならば、俺は。

 絢子さんの援護によって辛くも難を逃れた俺は、そのとき、戦う絢子さんの傍らに寄り添った。

 戦況は劣勢。

 それでも絢子さんが見た未来が本当なら、絢子さんはここから巻き返し、神羅を打ち破って自らも死ぬ。

 けれども俺は、そんな未来は了承できない。しかし神羅は、あいつだけは倒さねばならない。

 だから、


「――絢子さん、俺の魂を使って下さい」

「……っ!? 馬鹿っ、あなた、自分が何言ってるか分かってるの!?」

「もちろん分かってますよ。だけどこのままじゃ絢子さんにいいとこ取られっぱなしで、俺の男としての立場がないですから」

「残念だけど、今はそんな冗談言ってる場合じゃないのよ! いいから早く逃げなさ――」


 渦を巻く暴風がうるさいせいもあるのだろうが、珍しく声を張り上げる絢子さんを見て、俺は笑った。

 そして蒼白く透けた手を、絢子さんのそれに添える。霊感なんてからっきしだった俺の魂が、どこまで絢子さんの力になれるか分かんねーけど。


「タケル……!」

「絢子さんはこの一週間、俺の願いを叶えてくれた。それなら今度は、俺が絢子さんの願いを叶える番ですよ。――守るんでしょ? 真人さんのお祖母さんとの約束」


 そう言って俺が笑いかければ、絢子さんは少しだけ、本当に少しだけ泣きそうな顔をした。

 ああ、何だ。絢子さんにもこういう顔できるんじゃんか。

 最期にいいもんが見れた、と思いながら、俺は触れられるはずのない絢子さんの手に触れる。ありのままの、〝武海いさみタケル〟の姿で触れる。

 そうだ。俺は武海タケルだ。

 だったらその名に恥じずに進め。


 力強く、勇んで猛れ!


「おおおおおおおおおおっ!!」


 あるはずもない腹の底から、俺は力の限り叫んだ。

 刹那、視界に閃光が走り、世界が鮮やかな白に染まる。

 夏の夜。八月最後の日。

 天岡第三児童公園には烈風と砂塵と、ちょっとした奇跡が巻き起こった。

 一面真っ白な光の世界。

 そこで俺が見たものは、あの青い青い空へ向けて咲く、一輪の白い花だった。







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