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彼女の行方

 虫の歌う声が聞こえた。

 耳を擽るその歌に、俺は意識を呼び戻されて目を開く。

 じっとこちらを見つめている、絢子あやこさんの姿がそこにはあった。

 絢子さんは俺が意識を取り戻したのを確認すると、少しだけ安堵したように微笑みかけてくる。


「おはよう、タケル。気分はどう?」

「絢子さん……俺、生きてる……? ここは……」

「私の家よ。担任の先生に、学校からここまで送っていただいたの」

「けど、俺……確か学校で、神羅かむらに……胸に、手を突っ込まれて……」

「大丈夫よ。あれは霊術の一種で、腕が本当にあなたの体を貫いたわけじゃない。体の一部を霊化させて、物質を擦り抜ける術なの。あなたも一度魂だけの姿になったとき、実体を失って壁を通り抜けられたでしょ? あれと同じよ」

「それじゃあ、神羅は……?」

「残念ながら逃がしたわ。戦う前に逃げられた、と言った方が正しいわね。神羅も新しい体に入ったばかりで、万全じゃなかったんでしょう。こちらには先生もいたし、二対一じゃ分が悪いと踏んだのかも」

「〝先生〟……?」


 一体誰のことを言っているのだろう、と俺が疑問符を浮かべると、絢子さんはくすりと意味深に笑った。

 そうして、くい、と横になった俺の枕の先を顎で示すので、俺は布団に片肘をつき、体を起こして振り返る。


「……!? ひ、氷室先生!?」


 直後、そこに見えた予想外の人物の名を叫び、俺はその場に跳び起きた。

 俺が絢子さんに自室として宛がわれた部屋。そこに氷室がいるという有り得ない状況に、俺は激しく混乱した。

 氷室は今日、世界史の授業で見かけたときとまったく同じ背広姿で、寝起きの俺を見るや「よう」と声をかけてくる。いや「よう」じゃねーだろ、一体何がどうなってんだ!?


「な、何で氷室先生がここに……!? まさか、絢子さんが言ってる〝先生〟って……」

「そう、彼よ。先生は警察の事情聴取のあと、あなたを心配して様子を見に来て下さったの」

「け、警察? 事情聴取?」


 絢子さんがさらりと告げた突拍子もない言葉に、俺はますます混乱した。

 〝警察〟って、あのあと一体何があったんだ?

 まるで状況が呑み込めず、俺が何から尋ねたものかと口をぱくつかせていた、そのときだ。


「――やあ、タケル君。無事に目を覚ましたんだね」


 突然部屋の襖が開き、廊下から愁眉を開いた真人まさとさんが姿を見せた。その足元には喜与次さん、しょう、それにサリーの姿もあり、全員が部屋へ入ってくる。

 ところが俺は真人さんとの再会を喜ぶ前に、いきなり本名を呼ばれたことで慌てた。

 何しろ今は氷室の前だ。この状況で〝タケル〟の名を呼ばれるのはまずい。


「あ、あの、真人さん……!」

「話は聞いたよ。事件のあとすぐに瞬から電話をもらって、私も慌てて駆けつけたんだ。だけど、ひとまず君が無事で良かった。本当に大変だったね」

「え? しゅ、瞬って……?」


 聞き覚えのない名前に、俺は真人さんを止めるのも忘れてつい聞き返した。

 するとそれを聞いた絢子さんが、くすくすと小さな笑いを零す。


「やっぱりタケルには正体を隠してたのね、瞬。この子が写真部に入ったっていうのにさっぱりあなたの話をしないから、そんなことだろうとは思ってたけど」

「別に〝正体〟ってほどのことでもないだろう。学校であまり一人の生徒に近づきすぎると周りが騒ぐ。だから黙っていただけだ。その方がお互いのためだと思ってな」

「うふふ、モテる男はつらいわねぇ」


 わざとらしく口に手を当てて含み笑いをした絢子さんに、ムッとした表情を返したのは言わずもがな氷室だった。

 そんな二人のやりとりを聞いた俺は、絢子さんと氷室とを交互に見比べてから硬直する。

 ええと、これってつまり……


「あ、あの……絢子さん? もしかして、その〝瞬〟って……」

「もちろん、そこにいる氷室瞬のことよ。彼、うちの常連なの。と言っても占い屋の方じゃなくて、副業の方だけど」


 相変わらず含みのある笑みを湛え、にこりと答えた絢子さんを前に、俺はしばし沈黙した。

 それから数秒、あるいは数十秒の時が流れ、ようやく俺は絶叫する。

 何だよ、何なんだよ! それじゃ氷室は初めから〝こっち側〟の人間で、俺の正体も知ってたってことかよ! だったらそれを先に言え!

 と、俺の頭には一息に怒鳴り散らしてやりたい言葉が次々と浮かんだ。が、俺がそれを口にするよりも早く、直前の絶叫を聞いた翔が耳を伏せながら、唐突にがなり立ててくる。


「おい、うるせえぞこのオカマ野郎! てめえの声は頭に響くんだから、いちいち大声出すなっつってんだろ!」

「うるさいのはお前も同じだ、伊狩いがり。怒鳴りながらキャンキャン吠えるな」

「しょ、しょーがねーだろ、この体は喋ると勝手に吠えちまう仕様になってんだから!」

「だったら喋らなきゃいいんじゃないか。お前はその姿になる前から口数の多いやつだったからな。少し黙ることを覚えた方がいい」

「う、うっせ! ちょっと人よりモテるからってイイ気になってんじゃねーよ、この陰険ひねくれ無愛想教師が!」

「別に好きでモテてるわけじゃない。むしろこの体質には昔から迷惑してるんだ。〝イイ気〟になるどころか辟易してる。僻まれるいわれはないな」

「んだとォ!?」

「も……もしかして、先生にも翔たちの声が聞こえるのか?」


 至極くだらない口論ではあるが、向き合った一人と一匹の間にはしっかりと会話が成立している。そのやりとりを目の当たりにした俺は、思わずぽかんとして尋ねていた。

 確か前に喜与次さんが、動物の器に入った人間の念話を聞けるのは霊感のある人間だけと言っていたはずだ。

 ということは氷室も、と思ったところで、絢子さんの隣に腰を下ろした真人さんが言う。


「ああ、この中で翔君たちの声が聞こえないのは私だけだよ。喜与次さんや小夜子さよこさんとは昔からの付き合いだから、声が聞けないのはとても残念でね――って、いたたた! な、何するんだ、小夜子さん!」

「今は〝サリー〟よ、真人さん。その名前で呼ぶとサリーが怒るって言ったじゃない」

「あ、ああ、そうか……すまなかったよ、さよ……サリー」


 いきなりサリーに噛まれた右手を擦りながら、真人さんは苦笑気味に謝罪した。しかしサリーはぷいっと横を向き、露骨に機嫌を損ねている。

 どうやらサリーの中の人は、本名を小夜子と言うらしかった。

 だけどそれじゃあ何故〝サリー〟なのかと尋ねたら、絢子さんが得意気に「魔法使いと言ったらサリーでしょ?」と答えてきたのでそれ以上は聞かないことにする。


「瞬はね、こう見えて極度の霊媒体質なのよ。生まれつき人の魂を惹きつける果霊質を持っていて、そのせいで女の子だけじゃなく幽霊にも大人気なの。おかげでよく憑かれちゃってね、だから私が定期的に除霊してあげてるのよ」

「果霊質、って、確かさやかもそうだったって、喜与次さんが……」

「うむ。さやかは生前、瞬に近づくと妙に落ち着かなくなると言っていた。おぬしもそうだったのではないか? 果霊質を持つ人間は同類が近くにいると心が騒ぐと言うからのう」

「そ、それじゃあ、先生が写真を撮られるのを嫌がったのって、まさか……」

「ああ、〝写る〟からだ。果霊質は種霊質と違って、自分の力では制御できない代物らしいからな。こればかりはどうしようもない」


 やや不機嫌そうにそう言って、氷室は気怠げなため息をついた。一方の俺はわずかに口元を引きらせながら、ああ、これですべてが繋がったと納得する。

 舞が言っていた〝ぞわぞわ〟の原因も、氷室の写真嫌いの理由も、ついでにこいつがやたらと女子にモテるのも、すべてが果霊質のせいというわけか。

 まったく世の中には常人には想像もつかない事象があるものだ。そのせいでとにかくモテまくるという氷室の体質に若干の羨ましさを覚えつつ、かと言って幽霊にまでモテるのは御免被りたいと思う。


「だけど私たちが神羅の襲来を知ることができたのも、結果としては瞬のおかげなのよ。彼の魂を惹きつける体質が神羅に肉体を奪われた翔を引き寄せ、そこからあの男の出没が発覚した。だから私もぎりぎりのところで、さやかちゃんの肉体と喜与次さんの魂を保護することができたの。もっともあと一歩早ければ、二人を魂身共に救えたはずなのだけど……」


 そう目を伏せて言った絢子さんを、隣に座った喜与次さんが悲しそうに見上げた。そうして、たし、と前脚を絢子さんの膝に乗せ、慰めるような仕草で鼻を鳴らす。

 そうだ――神羅と言えば、あの後相澤先輩はどうなったのだろう。

 先輩の魂は本当に消えてしまったのだろうか。神羅に奪われた肉体はどうなったのか。


「あの、絢子さん……」


 一気に噴出してきたそれらの疑問を、俺はやや控え目に、けれどもはっきりと絢子さんにぶつけた。

 すると事情を知っているらしい大人三人は、一様に暗い顔をする。

 どうしてそんな顔するんですか。そう茶化せればどんなに気が楽だったことだろう。

 しかし俺にはそれができず、ただ身を竦ませて三人の顔色を窺った。

 ときに目を伏せたままの絢子さんが、おもむろに言う。


「タケル。あなたの先輩の相澤さんは――」

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