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ちくしょう

 本日、俺は写真部の品評会というものに初めて参加した。

 品評会に出品される作品は、月ごとにテーマが決まっていたりいなかったりで、八月はテーマフリーで写真を募集していたらしい。


 今日は八月最後の品評会。参加部員は部長の木更津きさらづ先輩と副部長の岬先輩、二年生の相澤先輩、そして一年の依理子えりこ、舞、俺の計六人だった。

 部員数過多のため仮の活動場所として借りている三年二組の教室には、〝品評会に参加する生徒は部室まで集まるように〟という旨の指示を木更津先輩が残してきたのだが、前回のミーティングに参加したメンバー以外の合流はゼロ。どうやら木更津先輩が黒板に付け足した『※氷室先生は来ません』という注意書きが効果覿面だったようだ。


 毎週水曜に開かれる品評会に提出できる作品は、その週の月曜日に現像した写真だけ、というルールが写真部にはあるようだった。

 とは言え提出枚数に制限はない。みんなに見せたい写真があれば何枚でも出していい、というのが基本的な方針らしく、今日の品評会には計七枚の写真が提出されている。

 品評会の主な内容は、その写真に対する感想や意見を皆で交換するというものだった。とは言え実際はそんな堅苦しいものではなく、皆が写真を眺めながらざっくばらんに雑談する、といった感じの方が強い。


「やっぱりさー、食べ物をうまそうに撮るって難しいよな。光の加減とか撮影する角度とかで、結構印象変わって見えるしさ」

「その点、相澤さんの今回の写真はよく撮れてるわね。栗ご飯とサンマの並べ方、角度共にいい感じだし、色使いも『小さい秋、見つけた』ってタイトルにぴったり。紅葉が既に始まってる季節なら、ここにモミジの葉を添えたりすれば赤色がいいアクセントになって、もっと雰囲気が出るでしょうね」

「そうですね……ありがとうございます」


 見てるとお腹が空くような相澤先輩の写真を手に、岬先輩が何やらレベルの高いコメントをつけていた。

 〝写真を撮る〟って、ただ被写体を画面に入れてシャッターを切ればいいんだろうと思ってたけど、色とか角度とか、本当はそんな細かいところまで計算して撮らなきゃいけないんだな。うーむ、奥が深い。


 これはいい勉強になると思いながら先輩方の話を聞いていた俺であったが、しかし一つ、先程から気になっていることがあった。

 それは写真に関することではなくて、俺の向かいの席に座っている相澤先輩のことだ。


 どうも相澤先輩は、昨日に比べて元気がないように見えた。元々大人しい人ではあるのだが、今日は部活に来てからにこりとも笑わないし、品評会の間もむっつりと口を閉ざしてほとんど会話に混ざろうとしない。

 木更津先輩もそんな相澤先輩の異変に気がついたのか、体調を気遣う言葉をかけていたが、相澤先輩は「大丈夫です」と短く答えただけだった。


 一昨日は木更津先輩に声をかけてもらうだけで嬉しそうにしていたのに、やはり昨日の一件が気になっているのだろうか。それとも俺たちの知らないところで第二の事件があったとか?

 だったら俺たちに話してくれればいいのに、と、ちょっと心配な思いで目をやれば、ときに相澤先輩もこちらに視線を向けてきた。

 そういや先輩、今日は部室に入ってきたとき、俺を見て何かひどく驚いたような顔をしてたな。もしかして昼に食べた弁当のケチャップでも顔についているのだろうか、とも思ったが、それなら舞か依理子が指摘してくれるはずだし、髪型も乱れてはいないはず……ていうか先輩、そんなに熱心に見つめないで下さい。なんか恥ずかしいです。


「よし、それじゃあ本日の品評会はここまで。写真は一旦アルバムにしまって、こっからはお待ちかねのカヴァーデルタイムだ」

「待ってました!」


 ときに声を弾ませた依理子がしゅばっと手を挙げながら隣で立ち上がったので、俺は驚いてそちらを向いた。

 こいつ、写真の話となると本当にキャラ変わるよな……いつもはクールな依理子が目を爛々とさせて見やる先には、木更津先輩が足元の鞄から取り出した一冊の写真集がある。

 それがくだんの、シーザー・カヴァーデルなる写真家の写真集らしかった。

 タイトルは『MYSTIC ROAD』。

 表紙には息を飲むほど美しい星空と、その星空の彼方へと続く七色の光を写した写真が使われている。――オーロラだ。


「うわ、すご……きれー……!」

「カヴァーデルね。彼は世界各地を飛び回って、その土地で偶然見つけた美しいものを撮るのが好きなのだそうよ。初めからそれを撮りたいと狙っていくわけではないから、彼の写真はひどく感傷的なの。彼がそのとき、その瞬間、どうしてその被写体にカメラを向けたいと思ったのか、それを想像するだけで胸がいっぱいになる」


 そう話してくれたのは岬先輩で、そのときには俺も既にカヴァーデルの写真の虜になっていた。

 木更津先輩がこちらに向けて開いてくれた写真集には、朝の写真から夜の写真まで、人の写真から風景の写真まで、とにかく様々な写真が載っている。

 それはともすれば何の統一性もない、とりとめもない写真の集まりに見えるが、カヴァーデルの写真には一貫して〝儚さ〟や〝透明さ〟があった。

 その一瞬しか世界に存在しないもの、瞬間。

 次の瞬きのあとにはこの世から消え去ってしまっているもの。

 カヴァーデルの写真には、そんな瞬間が詰まっているのだ。


 それらの写真は、未来など次の瞬きのあとにはどうなっているのか分からないのだよと、見る者に語りかけているように思えた。

 なのに、その写真集の最後に載せられた写真は『希望』。空に向かってまっすぐに咲くコスモスの花。まるでそれだけは永遠に、決して消えはしないのだと歌うような。


 その写真を目にしたとき、俺はこの写真集を見て泣きじゃくったという木更津先輩の気持ちがよく分かった。

 このカヴァーデルという写真家は、写真家というより詩人に似ている。この世の美しさを写真という言葉を使って謳歌する詩人。こんな写真家が、この世に二人といるだろうか。


 風の向き。空の色。明日の自分。人の想い。

 そんなものはきっと、みんな一瞬で変わるのだ。

 だから、希望を捨ててはいけない。絶望してはいけない。

 上を向いて、まっすぐに生きろ。

 一瞬後にはどんな世界が待っているか分からない、それが『MYSTIC ROAD』――〝神秘の道〟。

 最後の『希望』という写真で、カヴァーデルはその詩をそう締め括っている。


「……私も、この写真集欲しいかも」

「お、蓮村はすむらも気に入ったか? そりゃあいい。この写真集、日本語版はもう絶版になってるんだけどさ、海外で出回ってるやつならネットで入手できるらしいよ。たぶん、真野まやの叔父さんが持ってたっていうのもそれだな。カヴァーデルは日本じゃまだまだ知名度が低いから、あんまり市場に出回らないんだって」

「こんな綺麗な写真を撮る人なのにもったいないですね。日本でももっと売り出せばいいのに」

「カヴァーデルは気まぐれでしか写真を撮らないから、なかなかコンスタントに写真集を出せないのよ。それがあまり名の広まらない理由でもあるわね」


 そっか……俺は写真集とか買ったこともないからよく分かんねーけど、つまりカヴァーデルは一冊の写真集が出るまでえらい時間がかかるってことだな。

 けど、絢子あやこさん家にはネット環境どころかパソコンすら存在しないし、これじゃあ写真集を手に入れるなんて夢のまた夢だ。真人まさとさんに頼めばまた好きなときに見せてもらえるだろうか。


 それからも俺たちはカヴァーデルの写真集に夢中になり、あれこれと雑談に花を咲かせた。

 そんなことをしているうちに時刻は夕方六時を回り、そろそろ帰るか、という木更津先輩の一言で今日の部活はお開きになる。

 もう写真集を見れないのは名残惜しいが、今夜は絢子さんが一日ぶりに夕食を一緒に食べようと言ってくれたし、大人しく帰らないとな。俺たちはそれぞれに部室や自分の荷物を片づけると、揃って帰路に就くことにする。


「――蓮村さん」


 ところが、先に部室を出た三年生に続いて廊下に出ようとしたところで、俺は相澤先輩に呼び止められた。

 どうしたのかと思って振り向けば、先輩は部室の真ん中に凝然と立ち尽くしたまま、じっと俺に目を向けている。


「どうかしましたか、先輩?」

「ちょっと……二人きりで話したいことがあるの。すぐ終わるから残ってくれる?」

「話? いいですけど……」


 昨日の事件に関することか何かだろうか。それなら俺一人だけが呼び止められるというのも何やら妙だが、さすがに一年と二年が全員残ったら木更津先輩が不思議に思うだろう。

 だから相澤先輩も配慮したのかと思いつつ、俺は廊下から帰ろうと促してくる舞たちに手を挙げる。先輩とちょっと話があるから先に帰ってて、と言えば、二人も納得したようだ。


「で、話って何ですか、相澤先輩?」

「……。その前に、戸を閉めてくれる? 他の人に聞かれたくないから」


 抑揚のない声で先輩は言う。俺はそれに頷きながら、ひとまず部室の戸を閉めた。

 それから先輩を顧みれば、こっちへ来いと言うように無言で手招きをされる。

 どうも怪しい雰囲気だ。暗い目をした先輩が、何だか別人のように見える。一体どうしたって言うんだ……?

 俺が内心不審に思いながら、呼ばれるがまま先輩に近づいた、そのときだ。


 ――ドッ! という衝撃と共に、何かが俺の胸に直撃した。

 見えたのは紫色に光る球体。あとは何一つ確認できないまま俺の体は吹き飛ばされ、部室の床に背中から倒れ込む。

 一瞬息が詰まり、胸を押さえながら大きく口を開けた。

 必死に息を吸おうとして天井を仰ぐ。けれどもそこに見えたのは――相澤先輩。


「抜魂術が効かぬ……やはり守護印か。あの女狐め、手間をかけさせてくれる」

「あ……あい、ざわ、せんぱ……?」


 何だ。何なんだ。一体何が起こってるんだ。引きるように息を吸った俺は先輩の名を呼ぶだけで精一杯で、状況に思考が追いつかない。

 一拍遅れてようやく理解できたのは、俺は今仰向けに倒れていて、その上に相澤先輩が馬乗りになっているということ。

 そしていつの間にか俺の両手が押さえられ、抵抗できない状態にされているということだけだった。

 ときに相澤先輩が、俺の手を押さえているのとは逆の手をスカートのポケットへ入れる。何か取り出した。小瓶だ。中には緑色に輝く光の玉のようなものが浮いている。何だかよく分からないが、綺麗だ。


「貴様、身内か?」

「え……?」

「あの絢子とかいう呪祓師じゅふつしの身内か?」

「じゅ、ふつ……?」

「まあいい。どちらにせよ次の時渡りに備え、魂魄を集めておくに越したことはないからな。――魂ごと一気に引き抜いてやる」


 細く凶悪に笑った相澤先輩が、右手で器用に小瓶の栓を引き抜いた。

 その瞬間、俄然、俺の意識を揺さぶった声がある。


『――ダメ! 蓮村さん、逃げて!』


 頭の中に直接響く声。俺は目を見開いた。

 間違いない。相澤先輩の声だ。

 だけどそれは今、俺の上に乗っている先輩が発したものではない。――まさか。


「お、まえ……誰だ?」

「何?」

「お前は相澤先輩じゃない、先輩の体に入った別人だろ! 相澤先輩を返せ!」

「ふん、貴様のような力なき者に命じられる筋合いはないな。我が名は神羅かむら。霊仙のわざを極めし者なり」


 神羅。こいつが。

 目の前で凶悪に笑んだそいつを見て、俺の全身は凍りついた。

 だとしたら、さっき聞こえた相澤先輩の声は。

 神羅の右手。

 そこに捕らえられた緑色の、


『お願い、お願いやめて! 蓮村さん、逃げて!』

「あ……相澤せんぱ――」


 ――パリン……


 と、薄いガラスが割れるような音がした。

 神羅が翳した右手の上で、光の玉が弾けて消える。それと同時に相澤先輩の声は聞こえなくなり、神羅の右手に真っ白な光が宿る。

 相澤先輩。

 相澤先輩相澤先輩相澤先輩、


(こいつ……相澤先輩の魂を使いやがった……!!)


 体を内側から突き破らんばかりの衝動。それはこれまで俺が覚えたこともないほどの怒りだった。

 呻き声が口から漏れる。それは獣のように言葉にならない。言葉にできない。

 それほどまでに膨大な怒りと憎悪が、俺の肉体を突き破ろうと暴れている。


「どうした、けだもののような顔をして? 案ずるな。貴様のその怒れる魂も――すぐに我が霊術の糧としてくれる!」


 愉悦に満ちた神羅の右手。その右手が、いきなり俺の胸元に突っ込まれた。

 いや、それは本当に俺の胸を貫いていて。目を疑うような光景に俺が驚愕する暇もなく、心臓を直接掴まれたような感触がぬるりと胸の内を這う。


 直後だった。俺の心臓、あるいは魂を掴んだ神羅が、それを引き抜こうと右手に力を込めた。

 瞬間、俺の胸には想像を絶する激痛が走り、俺は背を仰け反らせて絶叫する。

 心臓を繋ぎ止めている血管を、すべて一度に、強引に引き千切ろうとしているかのような激痛。俺はそれに耐えられず絶叫を上げ続けた。


 ああ、駄目だ、死ぬ。俺はたぶんここで死ぬ。

 相澤先輩。

 助けられなかった。

 何もできなかった。

 ちくしょう、ちくしょう……!



 絢子さん……!



「――蓮村、相澤!」


 誰かが、俺の名前を呼んだ気がした。

 けれどもそこで俺の意識は途切れ、すべてが闇に沈んでいく。

 聞き覚えのある声だった。

 分かったのは、それだけだった。

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