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もしも人生やり直せるなら

 呆然と立ち尽くし、俺は無惨に崩れた自宅の塀を眺めていた。

 正確には、その塀を突き破って家に突っ込んできた大型トラックを、と言うべきだろうか。

 家の前の片道二車線の道路には、赤いランプを回したパトカーやら救急車やらが列を成して停まっていた。おまけに近所から集まった野次馬で、あたりは騒然としている。

 八月二十四日土曜日、午後十二時三十二分。穏やかだった日常が一変した。

 何でこんなことになったんだ。自問してみたが、答えなど出てくるはずもない。


「――タケル! しっかりしなさい、タケル!」


 何も考えられず、ただただ突っ立っていた俺の視線の先で、そのとき玄関のドアが開いた。

 途端に聞こえてきたのは、泣き叫ぶ母さんの声。しきりに俺の名を呼んでいる。

 ドアを開けたのは父さんだ。そこから一台のストレッチャーを囲んだ数人の救急隊員が現れ、そのあとを母さんが追いかけてくる。

 俺は家の前の歩道にいて、野次馬と共にその様子を眺めていた。

 まっすぐに救急車へ運ばれていくストレッチャーの上には、頭が血まみれになった高校生くらいの男子がいる。

 ――そう、俺だ。


 どうして自分が二人もいるのか。普通ならその時点で混乱を来しそうなものだが、俺は至って冷静で――と言うよりは思考が停止しており――、何をするでもなく目の前を通り過ぎる自分を見送った。

 ストレッチャーの脚をたたみ、救急車へ乗り込んだ隊員へ両親も続く。ドアが閉められる直前まで、母さんは俺の名前を呼んでいた。

 俺ならここにいるのに。ぼんやりとそんなことを思った俺の耳にサイレンの音が突き刺さる。

 血まみれの俺と両親を乗せた救急車が発進した。それを見送った野次馬は、皆が皆不安げな顔をしている。


「タケル君、大丈夫かしら……」

武海いさみさんには気の毒だけど、あの様子じゃ……」

「まさか人の家にトラックが突っ込むなんて……運転手の方はどうなったの?」

「先に運ばれていったわよ。向こうは意識があったみたいだけど」


 気づけば俺は歩道に人垣を作った野次馬の真ん中にいて、左右から聞こえる囁きを聞くともなしに聞いていた。家の門の前には規制線を張った警察がいるから、集まった野次馬の間にはぽっかりと空いた空間ができている。

 どうしてこんなことになったのだろう。俺はもう一度自問した。

 今日は学校が休みで、この時間、本来なら俺は遊ぶ約束をしていた智樹の家へ出掛けているはずだったのだ。


 けれども俺は今日、その予定をキャンセルした。理由は言うまでもない。三日前にスーパーで会った、あの謎の女の言葉がどうしても気になったからだ。

 ――あなた、三日後に死ぬわね。

 何の根拠もないその予言を信じるのは、あまりに馬鹿馬鹿しいことだと何度も思った。しかし胸中にもやもやと居座る不安は消えず、俺は結局外出しないことに決めたのだ。家から外へ出なければ、突然死ぬようなことなどあるまいと高を括っていた。


 ところがその考えが甘かったことは、目の前の惨状がまざまざと物語っている。

 果たして、あの女の予言は的中した。俺は一階の、庭に面したリビングで一人KODをやっていたのだが、そこへいきなりトラックが突っ込んできたのだ。

 俺はまんまとその下敷きになり、わずか十六年という短い生涯を終えた。

 つまり、死んだのだ。

 だが、死んだはずの自分がこうしてここに突っ立っているというのはどういうことだろう。ひょっとして俺はまだ生きているんだろうか。

 けれども周りの人間には、俺の姿が見えていないようだった。

 俺は確かにここにいるのに、誰一人として名前を呼んでくれる人がいない。両親もすぐ目の前を駆け抜けていったはずなのに、俺には見向きもしなかった。

 ならば俺はこれから一体どうすればいいのか。途方に暮れ、俺はなおも立ち尽くした。

 頭に靄がかかったようで、思考が上手く働かない。

 俺はここにいる。

 ここにいるのに――。


 ――チリン。


 と、そのとき鈴の音がした。

 それはやけに鮮明に俺の意識へと届いてくる。

 鈴の音は足元から聞こえた。思わず目をやると、そこには一匹の猫がいた。

 野良……にしてはやけに毛並みがいい。灰色の毛皮はしなやかかつやわらかそうで、どちらかと言うと金持ちの家で飼われていそうな猫だ。

 尻尾の先にはピンクのリボンで結ばれた小さな鈴がついている。ピンクってことはメスだろうか。そいつは行儀よく前脚を揃えて座り、じっと俺を見上げている。


 そういや猫には幽霊が見えるとかいう噂があったっけ。だとしたらこいつは俺を見ていて、俺は幽霊になったということだろうか。

 何てこった。だとしたら俺、このまま地縛霊とかになっちまうのか?

 確かにこの世に未練は多いが、どうせなら安らかに成仏したい。いつまでもこの世に縛られて苦しむなんて嫌だ。

 けど、成仏って一体どうやって、


「あなた、死んだのね」


 そのとき、すぐ傍で若い女の声が聞こえた。

 突然のことに驚き、俺はとっさにあたりを見渡す。俺から一番近い位置にいるのは警察官だ。

 しかしどう見てもおっさんである。この人の声じゃあない、よな……?


「どこ見てるの。あたしならここよ。あなたの目の前、足元」


 戸惑いきょろきょろとする俺の視線を声が導く。言われるがまま足元を見た。猫しかいない。

 ……まさかこいつが?

 一瞬そう思ってから、いやいやそんなわけがないと俺は慌てて首を振った。

 落ち着けタケル。いくら幽霊になったからって急に猫と会話なんかできるわけがない。突然こんなことになったからお前は混乱してるんだ。もう一度冷静に――


「――猫が喋るなんて有り得ないと思ってるなら、その常識は今日で捨てた方がいいわよ、武海タケル君。まあ、これは正確には喋っているわけじゃなくて、テレパシーみたいなものだけど」

「……!?」

「面白い顔をするのね。写真に撮って見せてあげたいわ。変顔コンテストとかあったら余裕でグランプリ獲れそう」

「な、なな、ななななな……!?」

「何か質問があるなら日本語で話してくれる? あたし、日本語以外喋れないから」

「何で猫が喋ってんだ!?」

「よくできました。でもそこはどうでもいいわ」

「どうでもよくねーよ! 俺が幽霊になったことより遥かにビビったんですけど!」

「幽霊? ああ、まあ、そうとも言うけど……あなたは肉体の死を迎えて、魂だけの存在になったのよ、タケル君。肉体とは魂の容れ物であり、それが死ぬと魂はあの世へ渡って新たな肉体を手に入れるの。今のあなたはその前段階にいるってことね」


 俺の渾身の質問は完全に無視して、灰色の猫は淡々と言った。

 とは言っても、猫は俺を見上げているだけで鳴きもしない。口を開けずに喋っているのだ。だからいまいち現実味がないのだが、猫の言葉は直接頭に響いてくるようで、テレパシーと言われれば確かにそうかもしれないと思う。


「そ……それって輪廻転生ってやつ? ってことはやっぱり俺、死んだんだよな……」

「ええ、残念ながら。まだ若いのに、気の毒ね。お悔やみ申し上げるわ」

「そ、そりゃどうも……で、あんたは?」


 何となく声が大人っぽいので、俺はついつい猫を〝あんた〟と呼んだ。

 状況は一向に呑み込めないし納得もできていないが、その混乱を頭の中の靄が上手く停滞させてくれている。既に肉体を失くしてるのに〝頭の中〟という表現もどうかと思うが。


「あたしはサリー。あの世への導き手」

「……!」

「なんて言うと思った? 今のは冗談。見てのとおり、ただの猫よ」

「いや、日本語喋ってる時点でどう考えてもただの猫じゃねーよ」

「あたしがどうしてここへ現れたのか、知りたい?」

「あんた人の話聞いてる?」

「くだらない質問には答えない主義なの」

「俺的には結構重要だと思うんだけど」

「――あなた、人生をやり直したい?」


 チリン、と、またしても鈴が鳴った。宝石のように輝く緑色の目が、じっと俺を見つめてくる。

 人の話聞けよとか、お前は電波かとか、言ってやりたいことがたくさんあったはずなのに。その瞬間、俺の頭の中は真っ白になった。

 人生をやり直したいかって?


 ――そんなこと、本当にできるのか?


「できるわよ。あなたにその気があるのなら」


 俺の考えを見透かしたように、灰色の猫――サリーは言った。

 そのとき、俺を見つめたサリーのヒゲが微かに揺れる。それが笑ったように見えた。

 俺を誘うような、試すような、妖しい笑みだ。


「もしこのまま現世こちらで生きたいのなら、あたしについていらっしゃい。それが叶う場所へ案内してあげるわ」


 もう一度鈴を鳴らして、サリーが立ち上がった。ピンクのリボンが結ばれた尾をぴんと立て、野次馬の方へ歩いていく。

 やがてその姿は野次馬の足元へ吸い込まれたが、サリーは一度もこちらを振り向かなかった。

 それはまるで、俺が追ってくることを確信しているかのように。

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