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「それじゃ、今年の展示会についてはこれで決定な。テーマは『光』、作品の提出は来月末まで。出品できる作品は一人一作までだから、みんな自分の中の最高の一枚を撮ってこいよ。特に一年生は、最後まで麗奈せんぱいにおいしいところ持ってかれないようにな」

「はーい、頑張りまーす!」


 どこまで本気か分からないものの、このときばかりは舞も張り切って手を挙げていた。それから俺は先輩たちに促され、部のカメラの借り方や使い方の説明を受ける。

 カメラは全部で五台あり、一週間ごとに貸出と返却を行っているということだった。

 とは言えまともに活動しようという部員が六人しかいない上に、岬先輩に至ってはまさかのマイカメラを持っていると言うので、毎週きちんと貸出簿にさえ記入していれば、ほぼ一台を自分のカメラのように使えるという寸法のようだ。


 まずは試しに一週間、そのカメラを持って色々なものを撮影してこいと言われ、俺は木更津先輩から一台のカメラを託された。

 渡されたカメラは信じられないほど大きくて、ゴツい上にめちゃくちゃ重い。おまけに重いということは、つまりそれだけ高価ということだと依理子にきつく釘を刺され、俺の手はたちまち汗で濡れた。

 が、今更先輩の勧めを断るわけにもいかず、俺は首から下げたカメラを爆弾でも抱えたような気分で抱き締める。


「詳しい現像のやり方については、来週お前らが撮ってきた写真を使って教えてやるから、今日はひとまず先に帰りな。どんな写真を撮っていいのか分からなきゃ、水曜の品評会にも顔を出すといい。品評会には自分の作品を出してなくても参加できるからな。他人の撮った写真を見てみるってのも、案外いい勉強になると思うよ」


 そう言って新入部員の俺と舞を見送ってくれた木更津先輩は、これから岬先輩、相澤先輩、そして依理子の四人で現像作業をするのだと言っていた。

 そこに今日まで現像の〝げ〟の字も知らなかった俺がいたところでたぶん作業の邪魔になるだけだろうと思い、今日のところは大人しく退出することにする。


「それじゃあ、お疲れ様でしたー」


 和気藹々と写真談義を続ける四人に挨拶をして、俺は舞と部室をあとにした。廊下に出ると、どこからともなく吹奏楽部の合奏が聞こえてくる。


「はあ……それにしても、まさかこんな高そうなもんを持って帰ることになるなんてな。先輩は首から下げときゃ大丈夫、なんて言ってたけど、やっぱ怖いし緊張するよ」

「うん……そうだね」


 と、ときにそう返してきた舞の答えが、どことなく歯切れの悪いことに俺は気づいた。

 ついさっきまで、部室では――というか氷室の前では――あんなに元気にはしゃいでたのに、急にどうしたと言うのだろうか。異変を察した俺がふと目をやると、ややあって舞もまた俺を見返してくる。


「……あのさ、さやか。実はさっきも言いかけたんだけど」

「うん? 何?」

「さやか、なんか今日途中からキャラ変わってない?」


 ザクッと音を立てて突き刺さった舞の問いかけに、俺は声を上げることもできないまま立ち止まった。

 ああ、たぶん今の俺は、舞の前で何とも形容し難い顔をしているのだろう。驚こうとして驚きそびれ、焦ろうとして思考がすっかり停止してしまったような顔を。


「……え? ごめん、何? ちょっと聞こえなかった」

「だから、今日のさやか、なんかおかしくない? って。二ヶ月も学校休んでて、急に出てきたから調子狂ってるのかもしんないけど、それにしてもキャラが違うような気が……」

「そ……そ、そ、そうかな? へ、〝変〟って、ぐ、ぐぐ具体的にどこが変だった?」

「とりあえず色々。ていうかイサミタケルって誰」

「さあ、分かんない」


 半ば食い気味にすっとぼけながら、しかし俺はその刹那、自分が一瞬にして汗まみれになるのを自覚した。

 額という額からは汗が流れ、セーラー服を着た背中も、カメラを掴んだ両の手も、噴き出した汗で瞬く間に汗だくになる。

 ああ、これはマズいぞ。いくら残暑が厳しいからって、さすがにこの量の汗を誤魔化すのには無理がある。

 だって俺、さっきまで冷房の効いた部室にいたんだもの。実質部員が十人にも満たない部の部室にまで冷暖房が完備されてるなんて、さすが私立は違うよね。


「ねえ、さやか。なんかすごい汗だけど大丈夫?」

「うん、大丈夫……じゃないかもしれない」

「やっぱり今日のさやか、おかしいよ。何か隠し事があるなら言ってごらん? どんなことでも、この舞ちゃんは全部受け止めてあげるから」

「かっ……か、か、隠し事なんて何もないよ? 私は正真正銘の蓮村さやかだよ?」

「うん、なんか胡散臭い」

「き、き、気のせいだって! 確かに私、今日は久々の学校でちょっと疲れちゃったかな? って感じだけど、それ以外は至って普通だから。ほんとに何も隠してないから!」

「そうやって必死になるとこがまた怪しいんだよねぇ」


 喋れば喋るほど墓穴を掘っているような気分になり、俺はついに口を閉ざした。

 が、そんな中舞がこちらを覗き込むように顔を近づけてきて、俺は思わず目を逸らす。

 おい、どうする? どうするよ俺!? まさか蓮村さやかの体にまったく違う人間の魂が入ってます、なんて言えるわけねーし、言ったところで信じてもらえるわけがない。

 そもそも俺が死んだはずの武海タケルだってことを知られるわけにはいかないんだ。

 ああ、神様仏様絢子様、どうか俺に救いの手を差し伸べて下さい――!



〝――聞き届けよう〟



 という声が、したかどうかは分からない。

 しかしそのとき、ガラリと戸の開く音がして、ついさっき俺たちが出てきたばかりの部室から誰かが出てくるのが見えた。――氷室だ。


「あっ、氷室先生ぇ!」


 途端に例の猫撫で声を上げた舞が、コロッと俺への詮索をやめて氷室へと向き直った。

 その目には恋する乙女のきらめきがあり、耳をすませば遠くからシャラララとウィンドチャイムの効果音さえ聞こえてきそうだ。

 氷室を神と崇めるのは癪だが、正直なところ助かった。恋は盲目とはよく言ったもので、舞は直前までの会話など忘れたように氷室へと駆け寄っていく。


「先生、ひょっとして職員室に戻っちゃうんですかぁ?」

「ああ。打ち合わせは済んだからな」

「文化祭楽しみですねぇ。そう言えば氷室先生は趣味で写真撮ったりするんですかぁ?」

「いや……写真は撮らないな。あんまり詳しくもない」

「そうなんですかぁ。でも、それじゃあどうして写真部の顧問になったんです?」

「たまたまだ。学校の先生方の中で、体が空いていたのが俺だけだった」

「へえ~。ってことは先生、うちらと同じ初心者なんですねっ。あ、そーだ! それじゃあ撮影の勉強も兼ねて、今から先生の写真を撮ってあげますよぉ、さやかが!」

「おっ……私が!?」


 とっさに〝俺〟という言葉が出そうになったのを訂正し、しかし俺は予想外の角度から撃ち込まれてきた舞の無茶振りに狼狽した。

 おいおい、何でまだカメラの扱いもよく分かってない俺が、よりにもよって記念すべき一枚目にこんな無愛想な教師を撮影しなきゃならないんだよ。被写体としてまったく食指が動かない上に、ちょっともたついただけで睨まれそうじゃねーか。

 俺はそんな抗議を込めた視線を舞へと送ったものの、それはすべて舞の周囲を飛び交う大量のハートに跳ね返された。

 それどころか舞はすかさず目端を利かせると、壁際へ氷室を誘導するふりをしてさりげなくその腕に自分の腕を絡ませる。


「ね、ね、さやか、いいよね! せっかくだから先生とあたしのツーショット撮ってよぉ!」

(ツーショット? なるほど、そういう魂胆か。なかなかやるな、舞……)

「ね、先生もいいですよね! 先生なら元がいいから、きっと初心者のさやかでもイケメンに撮ってくれますよぉ!」

「……いや。悪いが遠慮する」

「え?」

「遠 慮 す る」


 一度目より棘のある口調で、なおかつ声を大にしはっきりと、氷室は舞の誘いを拒絶した。

 それを聞いた舞が目を丸くして驚いている間にも、氷室はするりと舞のそれから自らの腕を抜き、不機嫌そうに踵を返す。


「せ、先生……」

「気をつけて帰れ。そのカメラ、失くしたり壊したりしないようにな」


 最後に取ってつけたような口振りで言い、それから氷室は振り向きもせず、さっさと階段の方へ消えてしまった。

 どこからかまた、旋律を成さない吹奏楽部の合奏が聞こえる。

 取り残された俺たちはその音を聞きながら、しばらくの間立ち尽くしていることしかできなかった。

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