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聖女写真部

「はあ~、やっぱ部室はこっちの方が落ち着くわ。これぞ〝我が家〟って感じ」


 と、その部室へ入るや否や、木更津先輩が気の抜けるような声を上げた。

 なるほど、初めて目にする写真部の部室は小綺麗だがこぢんまりしていて、最大でも十五、六人程度しか入れなさそうだ。


 四つに分けられた机は黒く、それが白亜の空間で異様に際立っていた。入って右手側――教室で言うところの教壇側には小さなホワイトボードがあり、入り口の向かいには窓がある。

 更に左手奥にもドアがあり、その先は倉庫か何かだろうと思われた。一応ドアの上半分がガラス張りになっているものの、磨りガラスな上に向こう側からカーテンがかかっているので、中の様子は窺い知れそうにない。


「へえ。なんか雰囲気のいい部室ですね」

「ほほう、君はお目が高いな、蓮村君。何ならうちの部の歴代アルバムもあるが見たいかね?」

「先輩、それ何キャラですか」

「その前に、まずは文化祭の打ち合わせでしょう、翼。もうあまり日がないんだから、いつまでものんびりしてるわけにはいかなくてよ」

「分かってるって。悪いな蓮村。アルバム鑑賞はあとにして、まずは文化祭の内容を決めちまわないと。ま、とりあえず適当に座りなよ。荷物はそっちの空いてる席にでも置いてさ」


 そう言って木更津先輩が示したのは、椅子が上がりっぱなしになっている奥の二つの机だった。元々部員数が少なかった写真部では前の二つの机以外ろくに使っていないらしく、後ろの二つはただの物置き台と化しているようだ。


 そんな先輩のお言葉に甘え、教室から持ってきていた自分の学生鞄を置いた俺は、舞、依理子と共に入り口側の机に座った。

 隣の机には岬先輩と相澤先輩の二人が着き、木更津先輩はホワイトボードの前に立って早速何か書き出している。


「えーっと、それじゃあまずは、今年の展示会用作品の締切についてっと……」


 キュルキュルと特有の音を立て、黒のホワイトボードマーカーが『文化祭』の文字を記す。その左脇に添えられた十月十九日、二十日というのが文化祭の日程なのだろう。

 天高の文化祭は確か十月五日からだったような気がするけど、聖女の文化祭はそれから半月も遅いんだな。

 これじゃあ進路を気にした三年生の先輩が早めに引退したのも頷ける――と思ったそのとき、突然がらりと部室の入り口が開く。


「あーっ! 氷室先生!」

「……よう」


 驚いたことに、引き戸の向こうから現れたのは来ないと思われていた顧問の氷室だった。

 これには舞がすかさず驚きと喜びの入り混じった声を上げ、ホワイトボードに文字を書いていた木更津先輩も面食らったような顔をしている。


「氷室先生? 確か、今日のミーティングには来ない予定だったんじゃ……」

「ああ。そのつもりだったんだが、小テストの準備が思いの外早く終わってな。せっかくだから様子を見に来た」

「はあ、そーですか……」

「で、今日の参加者はこれだけか?」

「ええ、そーですよ。他の部員は氷室先生が来ないって言ったらさっさと帰りました」

「つ、翼先輩……」


 すべての元凶たる氷室をあまり快く思っていないのか、木更津先輩は露骨に棘を含んだ口調で言った。

 そんな木更津先輩を青い顔をした相澤先輩が諫めていたが、当の氷室はまったくこたえていないといった様子で更に言う。


「そうか。それで、打ち合わせの方はどうなってるんだ?」

「今から始めるところですよ。良かったら先生も聞いていきます?」

「そうだな。とりあえず俺は黙って聞いてるから、話し合いはお前らだけで進めてくれ」


 無表情に腕を組み、木更津先輩の書いた『文化祭』の三文字を見つめて氷室は言った。

 その態度がますます気に食わないのか、木更津先輩は今にも舌打ちしそうな顔をして片頬を歪めている。


「センセ、こっちこっち!」


 と、そこでまったく空気を読まずに黄色い声を上げたのは、言わずもがな舞だった。

 舞は不愉快さを隠そうともしない木更津先輩とは裏腹に、主人を迎えた忠犬のごとくきらきらと目を輝かせている。


 その舞が思いがけない幸運に頬を上気させて示したのは、ちょうど空いていた舞の向かい――即ち俺の隣の席だった。

 それを見た俺はぎょっとして舞を止めようとしたが時既に遅し。氷室はやはり無表情に頷くと、何の迷いもなく俺の隣に腰かけてくる。


(ぐ、ぐおぉ……! 冗談じゃねえ……!)


 何でよりにもよってこいつが俺の隣に。ついさっき〝できれば近づきたくない人種〟カテゴリに登録したばかりの男の襲来に、俺は自然体を固くした。


 が、幸いなのは隣の席と言っても、木更津先輩のいる方を向こうとするとその席が後ろになるということか。これなら氷室を視界に入れなくて済む……のは助かるんですが、何だか背中が落ち着きません。ぞわぞわします。


「よし。それじゃあ改めてミーティング始めるよ。まずは文化祭の日程と、うちの部が毎年どんな活動をしてるのか、一年生にも分かるように説明しよう」


 背後に氷室の視線を感じ、俺は終始そわそわとしながらも、何とか先輩方の話を聞こうと集中した。それによれば、二日に渡って開催される聖女の文化祭は通称〝聖花祭〟と呼ばれ、土曜の午後から日曜の午前中にかけて一般公開もされるらしい。

 その中で写真部は毎年部員自作のポストカードを販売したり、一年を通して撮影した写真のアルバムを発行したり、学校行事の写真を展示して焼き増しの受付をしたりするのだという。


 けれどもそれはあくまでサブの企画であって、メインイベントは他にある。それが来訪者に気に入った写真への投票をしてもらい、その得票数によってその年の大賞、優秀賞、佳作を決める展示会だ。

 展示会は毎年違うテーマを設定して開催され、部員はそのテーマに沿った写真を撮影して出品する、ということらしかった。

 もちろん参加は任意だが、見事受賞を果たした作品の撮影者には、ささやかながら景品が贈られるらしい。


「うちの部の伝統としては、毎年大賞を獲った部員には部長から、優秀賞を獲った部員には副部長から景品が贈呈されることになってるんだ。佳作はその年によって出る数が違うから、受賞者以外の参加者が割り勘で景品を準備して贈呈するってのが決まり。どうだ、なかなか面白いだろ?」

「だけどそれじゃあ、部長や副部長が賞を獲ったときはどうなるんですか?」

「そのときは部長は二年生から、副部長は一年生から景品をもらうってのが習わしになってる。ちなみにうちの副部長は、二年連続で歴代の部長から景品をもらってる強者つわものだかんな。頑張って連覇を阻止しないと、たかーい景品を買わされることになるぞ、一年生諸君」

「えっ。ってことは、岬先輩が過去二年の大賞受賞者ですかぁ!?」

「へえ……岬先輩ってそんなにすごい写真を撮るんだ」

「うん。私、去年も一昨年も聖花祭に来て岬先輩の撮った写真を見たけど、どっちも本当にすごかった。プロ顔負けの写真だったもの。その写真、コンクールの全国大会でも受賞してたし、出版社から個人の写真集を出さないかってオファーまで来てるんだから」

「マジですか!? ヤバい! 岬先輩、超かっこいい!」

「だから〝かっこいい〟じゃなくて、お前らが頑張んなきゃまたこいつに大賞掻っ攫われるんだよ。感心してる暇があったら、こいつを超える写真を撮ってこいよな」

「あ、そっか。一応競争だから先輩応援しちゃダメなんだ。でも全然勝てる気しなぁい」

「やる前から諦めんな! 一年ならもっと気合い入れていけ!」


 早くも投げやりになっている舞に木更津先輩が檄を飛ばし、部室には皆の笑いが溢れた。木更津先輩はどうにか岬先輩の三連覇を止めたいと目論んでいるらしく、その期待を俺たち一年生に向けてくれているようだ。

 それにしても意外だったのは、これまでの岬先輩の作品を語る依理子の真剣さだった。毒舌で冷めた女子という印象だったのに、写真について語るときの依理子はどこか熱っぽくて、心なしか岬先輩を見つめる瞳も輝いて見える。

 そこにあるのは紛れもなく尊敬と憧憬の眼差しだった。もしかしたら依理子は岬先輩に憧れてこの部に入ったのかもしれない。


「で、今日決めたいのは展示会のテーマと作品提出の締切なんだけど、締切はあたしと麗奈で話し合って、九月三十日でいいんじゃないかって話になったんだ。三十ならちょうど月曜で現像日だし、十月に入ったら文化祭の準備で忙しくなるしさ」

「ゲンゾウビ?」

「ああ。うちの部、毎週月曜は現像の日で、月曜に現像した写真を水曜に集めて品評会ってのをやるんだ。文化祭のときに出すアルバムは、その品評会に出された作品の中から部員がみんなで選んだやつを載せて作るんだよ」

「えっと……すみません、ゲンゾウって何ですか?」

「へ?」


 人の名前か何かか? と思わず首を拈った俺に、何故か皆の視線が突き刺さった。

 あ、あれ……? 俺、なんかマズいこと言ったかな?

 先輩方はともかく依理子や舞まで呆気に取られた顔してるんだけど。氷室は知らん。視線は感じるが目を合わせたくない。


「さ、さやか……あんた、それ本気で言ってるの?」

「え? え? な、何が?」

「信じられない……アホの舞でさえ知ってるのに、さやかが現像も知らないなんて……」

「あれ? 依理子、今さりげなくあたしのことアホって言った?」

「蓮村……お前、〝フィルムカメラ〟って知ってるか?」

「ふぃるむ……?」

「そうか、うん。知らないんだな。分かった分かった。もう何も言わなくていいぞ」

「え!? え!? な、何なんですかそれ!?」


 何やら急に遠い目をした木更津先輩に手を振られ、俺はますます混乱した。

 一体皆が何をそんなに驚いているのか――それを三十分ほどかけて説明され、俺はようやく理解する。


 どうやらフィルムカメラというのは、フィルムと呼ばれる帯状の物体にレンズに映したものを焼きつけるタイプのカメラのことらしかった。

 俺はカメラと言えばスマホのカメラかデジカメしか知らず、ゆえに現像という言葉にも馴染みがなかったのだが、現像とは言うなれば、プリンターを介さずに人が手作業で写真をプリントすることを言うらしい。


 フィルムカメラで撮った写真をプリントするにはどうしてもその作業が必要で、聖女写真部では原則として展示会用の写真はフィルムカメラで撮ること、という決まりがあるようだった。

 どうやら写真にこだわる人間は、今もそのフィルムカメラとかいう旧時代のカメラを非常に神聖視しているようだ。


「――いい? そうやって古い物は新しい物に劣るだ何だと決めつけて、古い物のいいところまで失くしてしまうのが日本人の悪いところなの。利便性を追求することが間違ってるとは言わないけど、それは同時に楽な方へ、楽な方へと逃げてるってことでもあるのよ。そうやって無意識に面倒事から逃げ出す人間が増えたから、今の日本はこんな乱れた社会になったわけ。あんたもそんな骨のない人間になりたいの? そんな人間が本当に幸せになれると思ってるの?」

「い、いえ、思ってないです……すんません、なんか生まれてきてすんません……」

「はいはい、今回のところはその辺にしといてやれよ、真野。だんだん話が逸れてきてる上に、蓮村も生まれてきたことを後悔する程度にはダメージ受けてるぞ」

「はっ……すみません。大事な友達の将来について考えたら、つい……」

「現像って言葉一つ知らなかっただけで、ここまで自分の将来を心配されるとは思わなかったよ、俺は」


 反論する隙を一切与えられなかった依理子の辛口マシンガントークに、俺は生まれたての小鹿よろしくぷるぷると震えながら涙を堪えた。

 う、うう……何だよ、このこれまでの人生全否定されたかのような敗北感。そりゃ確かに俺は学力もなければ夢もないつまらない男ですよ。


 だけどそんなつまらない男にも意地があるってことを証明したくて生き返ったのに、何もそこまでボロクソに言うことねーじゃねーか、と、俺は必死に涙を拭った。

 が、ときに斜め向かいの席にいる舞がこちらをじっと見つめていることに気づいた俺は、ちょっとばかし熱を持った瞳を舞へと向ける。


「……? どうかした、舞?」

「いや、さやかさ……なんかさっきから、たまに――」

「――で? 締切は来月末でいいとして、今年の展示会のテーマはどうするんだ?」


 そのとき、何か言いかけた舞の言葉を遮って、抑揚もなく氷室が言った。

 そう言われてみればさっきから打ち合わせがまるで進んでいない。さすがの氷室もそれに痺れを切らしたようだ。そんなに時間が惜しいなら、さっさと職員室に戻ればいいのに。


 内心そんな悪態をつきながら、しかし脱線の原因が自分であることに後ろめたさも覚えつつ、俺は改めて木更津先輩へと向き直った。

 向かいの席にいる舞が、ひどく不可解そうな顔をしていることには気づかずに。


「ああ、そうそう。テーマについては先週の水曜日、一人一題考えてくるようにって話をしてたんですよ。そんで出し合ったテーマの中から良さそうなのを選んで決めようって」

「ふうん。ちなみに去年のテーマは?」

「去年は『人と自然』でした。その前の年が『夢のある景色』。ちなみに私は、今年のテーマは『和』なんてどうかと思うのだけど」


 と、氷室の問いに答えつつ自分の意見を提示したのは、副部長の岬先輩だった。

 その先輩の発言を皮切りに、部員の間からはぽんぽんとテーマ案が飛び出してくる。


「『和』かぁ。面白そうだけど、かなり難易度高そうだな。相澤、お前は?」

「私は……『青』っていうテーマはどうかなと思いました」

「『青』か。それも分かりやすくていいな。一年生は?」

「私は『日常』がいいと思います」

「あ、あたしは、あたしは、えーっと……そう、『聖女』なんてどうかなーと!」

「舞。あんた、それ今考えたでしょ?」

「そ、そんなことないしー! ち、ちなみにさやかは何がいいと思う!?」

「えっ、わ、私? え、えっと……突然言われても難しいな……ちなみに、木更津先輩はどんなテーマを考えてきたんですか?」

「ふっふっふっ……よくぞ訊いてくれました。あたしの考えたテーマは――これだ!」


 それまで皆の意見をホワイトボードに書き込んでいた木更津先輩が、俺の問いにニヤリと答え、自信満々に新たな一字を書き足した。

 そこに堂々たる筆跡で記された文字は、『光』。

 それを見た部員たちの口からは、思わず「おお」と感嘆の声が漏れる。


「『光』、ね。私の考えたテーマを難しそうって言ったけど、あなたのも大概じゃない、翼?」

「へへ、それがそーでもないんだな。あたしはもうこれで撮りたいもんが決まってるから」

「えっ、それズルくないですかぁ? 自分は撮るもの決まってるからこれがいい、なんて!」

「もちろんあたしは他のテーマでもいいぞ? 真野の上げた『日常』ってのもなかなかいいテーマだな。一言で言うとめちゃめちゃ幅が広いけど、その分日常のどこをどう切り取るかってセンスが問われるテーマになる」

「んー、写真初心者のあたしから見たら、どれも超難しそうですけどねぇ。あっ、ちなみに氷室先生はどのテーマがいいと思いますかぁ?」

「……俺か? まあ、個人的に見てみたいと思うのは木更津の『光』だな」


 と、そこで舞に話を振られた氷室が、さして迷った様子もなくそう答えた。

 瞬間、それを聞いた木更津先輩の頬にはっきりと喜色が浮かんだのを、俺は確かに目撃する。


「ですよねぇー! 実はあたしもソレが一番いいと思ってたんですよぉ! あたしたち、実は気が合うのかもしれませんね、先生♪」

「舞。あんたついさっきまで、木更津先輩の案はズルいとか言ってなかった?」

「確かにズルいとは言ったけどぉ、嫌だとは言ってないよ? テーマが何だろうと、結局は実力勝負だしー?」

「お、言うようになったな、一之瀬。俄然やる気が出てきたか?」

「はい! 氷室先生のリクエストなら、あたし超張り切って太陽とか撮っちゃいますし!」

「いや、太陽はやめとけ。下手したら目傷めて取り返しのつかないことになるから」

「え!? そーなんですか!? 太陽こわっ!」

「怖いのはあんたの頭だわ」

「え、えっと、それじゃあ今年のテーマは『光』に決定ですか?」


 冷徹な依理子のツッコミを誤魔化すべく、俺は三人の先輩方に意見を求めた。どうやら岬先輩も相澤先輩もこの案に不満はないらしく、俺の問いかけに大きく頷いてくれる。

 かくして今年の展示会のテーマが決まった。あの岬先輩が難しいと言うのだから、実際かなり難しいテーマなんだろうけど、まあ、なるようになるだろう。

 そもそも俺は文化祭までこの世にいるか定かじゃないし。何より自分のテーマが通った木更津先輩がやけに嬉しそうだったから、これで良かったんだろうなと思う。


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