変容
「いろいろと助かった。ありがとう」
お礼を言って立ち去る。
黒猫は不幸を運ぶというが、端から不幸すぎる状況ならば、逆に幸運を呼び寄せるような気がした。
離れようと歩いたのだが、後ろからトテトテとついてくる気配がした。
「……なぜ来ているのですか?」
さっき別れたはずの黒猫が、後ろをついて歩いている。まさか情報を貰った代償に何か取られるのだろうか、魂とか。
「アタシね、暇なのよ」
と、よくわからないことを言った。
「はい?」
「だ~から、暇なのよ。こんな面白そうなことに首を突っ込まないわけにはいかニャいじゃない。ほら、さっさとしないと貴方、変容するわよ」
オレのような異界の異物は確かに面白いのだろう。まあ教えてもらった礼だ。同行してもらうぶんには構わないか。
それよりも大事なことを言っていた。
「ちょっと待ってくれ。ヘンヨウって何だ?」
「変容。文字通りよ、夜までにここを出ないと、貴方の身体は妖魔のモノへと変わるわ」
タイムリミット……!!
この黒猫の言葉を鵜呑みにするのが正しいかわからない。しかしオレはここを知らなすぎる。それに、自分の考えていた行動に変更はない。さっさと出るべきなのは言われずともだ。
チッ、
と舌を打って、歩調を速める。
理由はなんだっていい。一刻も早くここを出なければ。
最悪のシナリオは、ここから出られずに自分が異形になり果てることだ。
「ところで」
一つ、この黒猫と付き合う上での不都合を思い出した。
「なによ?」
「オレは貴女を何と呼べばいい? 名前は?」
「無いわ。名前なんて必要なかったもの。そうねぇ……せっかくだし何かつけて頂戴?」
いきなり名前をつけろと言われても簡単じゃない。
しかし、その真っ黒な毛並みを見ていて不意に浮かんだ言葉があった。それを口にする。
「黒蜜。黒蜜で構わないか?」
「……あなたって甘党?」
甘いモノは好きだ。しかし人並みだ。それほどじゃない。
「納得したのならそう呼ばせてもらう」
「ええ気に入ったわ」
すました顔で平然と言うが、歩く足が少しだけ跳ねているのを見ると、本当に喜んでいるようだ。
黒蜜と出会えたのは僥倖だったかもしれない。ただ一人で紫色の空を見ていたら気が狂ってしまいそうだった。
◇
あても無く歩き続ける、歩き続ける、歩き続ける……
そのまま時間だけが過ぎていく。
途方に暮れてしまったオレは、路傍の岩石の上に座った。
「そう簡単には見つからないか」
「ほらね、言った通りじゃない?」
まるで出口など存在しないかのような物言いだ。もしかしたら黒蜜も出口を探したことがあったのかもしれない。
退屈は死よりもツラい。
猫又とは普通の猫よりもはるかに長生きをした猫が霊力を得た姿だという。九つの魂を持ち、死に難くなる。
与えられた生から逸脱した生。永すぎる命は拷問と変わらないだろう。
「……黒蜜、お前は出口を知らないんだよな」
「知ってたらもうとっくにここにはいないわ」
「そうか」
「……貴方、私に同情でもしているの?」
いや、
と短く切った。きっと聞かれるのは嫌だろう。
このまま時間が過ぎれば、オレは人間じゃなくなる。それは、困る。異形になり果てて二度と人の助けになれなくなることだけはゴメンだ。
今はその受けた依頼すらマトモにこなせるかわからない。
少女を追ってここに来た。その少女はとっくに変容し、妖の類になっているのだろう。
……追って、来た。
頭の中で繋がる。
少女は、現実と境界を行き来していたはずだ。それが出来た理由は一つだけだ。
「黒蜜。わかったよ」
「何、いい加減あきらめたかしら?」
「――――いや?」
無理だとわかったわけじゃない、可能だとわかったんだ。
気でも狂ったのかと、黒蜜が目を覗き込んできた。
「ふぅん、正気ではあるようね」
「当たり前だ。この程度で狂うものか。行くぞ」
まあ、やることに変化はない。当てもなく彷徨っていたのが、当てを求めて彷徨うようになっただけの話だ。
やることは、出口を知っている少女――松村七海を探すこと。
「ねぇ」
黒蜜が声をかけてきた。
「何か聞こえない?」
「……何?」
耳をすませてみれば、荒々しくベキベキと木々が折れるような音が聞こえてきた。
「何か起きたようね?」
どうするの、と問うような黒蜜の声。
よい予感はしない。が、答えは決まっている。
「急ぐぞ!」
想定する最悪のシナリオは、松村七海が死んでしまうこと。何かが争っていると踏んだ。もしもそれが彼女なら、助けなくてはいけない。
さっそく、コイツの出番か。
とっさの事態に対応できるよう、金色の短剣を取りだして握りしめる。
森の中に、白いワンピースが浮かんで見えた。