境界
感想くれたら泣いてよろこびます。一文だけでも死ぬほどうれしいです。
踵を返して足を速める。
絶対に逃がすものか!
そして本殿の左側面を回り込み、裏へ着いた。しかし、そこには人影はない。
まだ子供の影がこちらにたどり着いていないのかと思い、さらに右側面に移動してみたが、やはりいなかった。
「見間違い、か? いやそんなはずは……」
確かに子供の影だった。性別まで判別できないにしろ、それが子供の影であることは明白だった。逃げられた可能性も低い。
――であるなら、
「どこへ消えた?」
突然、人が姿かたちも無く消えるはずがない。それではまるで幽霊だ。幽霊に化かされたとでもいうのか。
あり得ない。
ここで手掛かりを失うわけにはいかない。もう少し探そう。
「何か仕掛けがあるのか」
本殿の壁をぺたぺたと手で触れながら一周してみる。どこにも異状は見当たらない。押したら壁が動くとか、そういう仕掛けがあるわけでもないらしい。
「本殿には異状なしか。本殿そのものには何もないとすると、」
影は時計回りに本殿を一周した、しようとした。
その手順に何か鍵があるのではないだろうか。呪術によくみられる工程だ。イザナギとイザナミの伝承でも柱を一回りして告白する話がある。
「……よし」
今度は時計回りに、本殿を一周してみることにした。
正面、右側面……裏手。
――チリン。
響く澄んだ鈴の音。
反瞬、音に意識を取られた。
そして一歩踏み出した瞬間に、視界が変わった。踏み出した足は、踏み出したはずなのに地面に当たった感覚がなかった。
「ッ!? 何だ!?」
危うく転倒しかけて、地面に足がついた。どうやら坂の上に立っているらしい。地面はゆるやかな傾斜があるように思えた。だが何かが妙だった。
まるで空間そのものが傾いているかのようだ。
坂島神社の本殿はない。
周囲には木々が生い茂るばかりだ。しかし様相が明らかに違う。さきほどいた森ではないことを自身の全感覚が訴えている。木々を飾る葉は、毒々しい紫色をしていた。
いつもの癖でオレは、空を見た。
青――ではなく朱色の空。夕暮れのオレンジではなく、鮮血のアカに染まる空。
朱の中を、グニャリグニャリ、紺色のスジが空を泳ぐ。それは意思を持って角度を変えたり速度を上げていた。
飛行機ではない。翼も羽も持たず飛翔するソレは、オレの知っている"生物"のいずれにも該当しない。風に煽られたゴミでもなさそうだ。
それがオレの真上を通りすぎていったときに、視えた。
泳ぎ進む方向の、先端には鋭い眼光と大きな口がついていた。
「………………竜」
伝説上の生物。現実にはあり得ない。
「現実にはあり得ない。だが夢を見ているわけでもなさそうだ。虚構・架空ではないとすればここは現実。現世には存在しない存在か」
ため息をついた。
アチラ側からコチラ側に来た例は知っていたが、これはその逆と見て良いだろう。
知らずのうちに異形のひしめく異界に入り込んでしまったようだ。
胃液が食道をつたい口内を満たそうとする。常識では考えられない光景に脳が処理を拒んでいた。
吐き気をこらえながら、ズボンのポケットを探る。
外部に助けを求めることは出来ないかと、携帯を取り出した。しかし電波の表示を見れば、圏外と表示されていた。舌打ちをして携帯をポケットに仕舞う。
「こんなとき、小夜に助けを求められたらなぁ」
泣き言を言っている場合ではないか。
引き受けた案件は、どうやらオレの手には負えないモノだったらしい。それでも引き受けてしまったからには解決しなくてはならない。自身の安全すら危ういのだ。
まずは自分の命を助ける必要があるだろう。
ここに長居してはいけない気がする。
「クトゥルフで言うなら、夢の国ってやつだな」
しかしあれはラヴクラフトの創作。ここは……現実だ。
現実ではあるが、現世ではない。非常事態、異常事態。
冷汗が滝のように出る。少女を探す前に、まずはここから出る手段を探さなくては。
「アラ、こんなところにニンゲンがいるなんて」
貴婦人のような上品な声がどこからか聞こえてきた。
それが敵か味方か、そんなことはどうでもよかった。
こういうときの鉄則がある。情報収集に徹せよ、だ。
「あの、ご婦人。でいいのか? ここがどこか教えていただきたいのですが」
姿が見えないのでキョロキョロと見回しながら質問をした。
「こっちよ。あなたの足元を見なさい」
目線を下げた。そこにいたのは一匹の黒猫。
猫……なのだが、尻尾が三本生えている。
「猫又ですか」
「ええそうよ。ちなみに名前はないわ、だって、ここでは必要ないものね」
猫が話す、それだけで頭がどうにかなりそうだ。
「ここがどこなのか、ご存じなのですか?」
「そうねぇ……、『境界』とでも言えばいいのかしら。人の世ではないし、妖魔の領域からも外れている。ちょうど境なのよ、ここは」
どちらの世界でもない。中途半端であれば、戻れる可能性だってありそうだ。
「今、戻れると思ったわね? 希望を抱いているのなら捨てなさい。ここの出口を探すのは砂漠で米粒を拾うことと同義よ」
「は?」
「どうやって来たのか知らないけど、人は異界から妖魔が溢れてこないように結界を張ったのよ。だから、道はほとんど閉ざされている」
もう片方の道だけれど、妖魔の住む異界に行けば貴方は死ぬでしょう? と付け加えた。
予想以上に危機的状況らしい。これが、神隠しの真相か。
境界に迷い込んだ人間は、そのほとんどが現世に戻れず、おそらくはここで死んでいく。
でも少しだけ、オレは安心していた。
「ほとんどってことは、僅かでも可能性はあるってことだ。違うか?」
「ええ、そうね。絶対なんてないものね」
クスッと可笑しそうに笑った。
それがわかっただけでも十分だった。生き残れる。戻れる可能性がある。
――なら絶望するにはまだ早すぎる。