5.この家族ちょっと怖い
ゾーイは困っていた。自身の回復力の高さからか、施設内ならどこでも歩き回れるようになった。まだ段差はつらいし、外に出る許可は出てないけど。
そんなわけで、最近図書館に入り浸るようになったゾーイなのだが、椅子に座って読書をしている彼女の前で、じーっとこちらを見ている女の子がいる。年齢は十歳を超えたくらいか。ふわりとした金髪をハーフアップにしており、くりっとしたアメジストパープルの瞳が印象的な美少女である。
「……私に何か用?」
「うん。その本、私も読んだ」
にこにこにこ。ゾーイが今読んでいるのは魔法医学に関する本だ。多少自分でも自分の体のことを把握しておこうと思い、ゾーイは手を出したのだがさっぱり訳が分からない。
「それ、結構わかりやすいよね」
「……そう?」
これを理解できると言うこの少女。天才少女だろうか。だからこの研究所に出入りを許されているとか?
「お姉ちゃん、ゾーイ・ローウェルさんでしょ」
名前を言い当てられてドキッとした。いや、別にやましいこともないのだが。知らない少女から名前を呼ばれたらドキッともするだろう。
「私、クレアっていうの。クレア・フォーサイス。ゾーイお姉ちゃんの話を聞いた時から、会ってみたかったのよね」
と少女クレアは満面の笑みを浮かべる。クレアの名を聞いたとき、ゾーイはすべてを把握した。
彼女は以前話題になった、この魔法研究所の所長トリシャと魔導師特殊部隊隊長フォーサイス大佐の娘だ。シャロンはフォーサイス夫妻の娘を『クレア』だと言っていたし、彼女は自分で『クレア・フォーサイス』と名乗った。間違いないだろう。
しかし、ここで疑問が残る。クレアは、外見上三十歳前後にしか見えないフォーサイス夫妻の子供にしては、大きいような気がした。確実に十歳は越えているだろう。
その問題は後で考えることにし、ゾーイは尋ねた。
「私に会ってみたかったって、どうして?」
「お姉ちゃん、予知能力者なんでしょ」
笑顔で言われてぎくりとした。この笑顔、と言うかポーカーフェイス、母親のトリシャに似ているかもしれない。
「……まあ……不完全ではあるけど」
その瞬間、ゾーイの目の前に一人の女性が映った。彼女の予知能力、千里眼とも呼べる先見の力は、未来の映像をゾーイに見せる。
金髪を見事に結い上げた、二十歳ばかりの女性。まとうのは深紅のマント。着ているのは豪奢なドレス。頭には……王冠。その美しい顔立ちは、今現実に目の前にいるクレアによく似て見えた。
ゾーイの予知能力は、気まぐれだ。彼女が先ほど述べたとおり、不完全だからである。予知能力と言うのは特殊で、先天性の能力だ。他の魔法のように訓練して何とかなるようなものではない。
彼女の予知能力は『イメージ』だ。その人物が今後歩む未来が、確実であればはっきりと見える。その人が目の前にいて、名もわかるとなおはっきり見える。ある程度自分で操ることもできるが、やはり唐突に見えた時の方が信頼度が高い。
「興味深いなぁって」
クレアが底の見えない笑顔でゾーイを見つめてくる。ゾーイはたった十歳ばかりの少女に気圧される事態となった。
「……そう言えば、クレアはおいくつ?」
話をそらすようにゾーイは尋ねた。話をそらす目的もあるが、気になっていたからである。クレアは「今年で十二歳」と素直に答えた。やっぱり十歳を越えていたか。両親が三十歳前後とすれば、やっぱりちょっと大きすぎる。
「そっか……お母様に会いに来たの?」
「そ。パパに連れてきてもらったんだけど、お仕事の話してたからこっちに来たの」
パパ……あの、フォーサイス大佐が『パパ』。いや、少女が父親を呼ぶ呼称として間違ってはないし、微笑ましいが、その対象があの精悍な男性だと思うと笑いがこみあげてくる。目の前にクレアがおらず、ここが図書室でなければ爆笑していた。
ゾーイが松葉づえをついて立ち上がると、クレアもついてきた。十二歳といっていたが、その割には背が高いかもしれない。
クレアが歩きながらあれこれ質問してくる。歩調をクレアに合わせてくれているので、進みはゆっくりだ。先に行け、とも言えず、ゾーイは質問に答えたり、答えにくくて沈黙したりした。
「クレア」
女性の声が聞こえた。クレアが「あ、ママだ」と言ったのでそちらを見ると、そこに立っていたのはトリシャ……と、先ほどゾーイが笑いそうになったフォーサイス大佐であった。ゾーイは松葉づえをついたまま右手で敬礼した。フォーサイス大佐は手をあげて「構わん」と言った。
「仕事中ではないからな」
と言いながら、フォーサイス大佐は軍服姿だった。長身で引き締まった体にその軍服が良く似合っていた。
「元気そうだな」
「おかげさまで」
奥様に良くしていただきました、と言うと夫妻は微妙な表情になった。ゾーイとしては、それほど変なことを言ったつもりはないのだが。
「ごめんねぇ。クレアが迷惑かけなかった?」
「いえ……しっかりしたお子さんですね」
本当にしっかりしている。しっかりと言うか、頭が良いと言うか。そう言うと、問いかけてきたトリシャが笑った。
「ホントだね。誰に似たんだろうね」
「しいて言えばお前だな」
しれっと突っ込んだフォーサイス大佐に、トリシャが肘鉄を入れた。それで子揺るぎもしないフォーサイス大佐はおかしいと思う。だって、肘鉄は結構痛い。
この二人、お似合いであるが美女と野獣感がある。いや、フォーサイス大佐を野獣と呼ぶには端正な顔をしすぎているが、精悍な印象が強いので長身だが細身で神がかった美貌のトリシャと並ぶと、どこか落差がすごい。いや、お似合いではあるのだが。
「ゾーイ、部屋まで送ろう。クレア、ニールと一緒に待っててね」
「はーい」
クレアが元気よく返事をした。一瞬ニールって誰だ、と思ったが、フォーサイス大佐の名前か。みんな隊長とか大佐と呼ぶから気づかなかった。
トリシャがゾーイと共に歩き出そうとしたとき、やたらと不穏な警告音が鳴った。
「おやまあ」
普通、警告音が鳴るとあわてるものだが、トリシャは動揺も見せずにのんびりとつぶやく。
「誰かが敷地内に入ってきたようだねぇ」
「大丈夫なのか?」
フォーサイス大佐……面倒なのでニールとするが、彼はトリシャを見て尋ねた。彼の妻は不敵に笑った。
「大丈夫だよ。この城は要塞だ。誰も、私の防護魔法を破ることはできない。……内側から破られない限りはね」
トリシャは、この堅牢な城の弱点をわかっていると言うことだろう。通信が入ったのか、トリシャは耳元の通信機に手を当てた。
「私だ」
トリシャは相手の言葉を聞くと、軽く顔をしかめ、命じた。
「防御魔法をすべて作動させろ。念のため、隔壁を閉じておけ。それと、討伐部隊を編成する。それからアリッサに中央管制室をロックさせろ」
テキパキと命じる様は、さすがと言える。一通り命令を出した後、トリシャはニールを振り返った。
「先任はあなただけど、ここは私の城だ。私の好きなようにやらせてもらうからね」
「当然だな。まあ、お前がやるなら悪いようにはならんだろう」
「当たり前だ」
この夫婦のこの信頼は何なのだろうか。クレアも状況がわかっているだろうに、笑顔できゃあきゃあ言っている。
「私の城で、好きなようにはさせないさ」
「……お前の城と言えば、エリン城の北塔が崩落しかけてたぞ」
「なん……っ。くっそ、マーシャル伯爵領って無駄に広いんだよね。エリン島なんてめったに行かないし!」
何故か自分の領地の文句になっている。危機感など皆無である。
「所長! に、大佐も!」
駆け寄ってきたのはシャロンだった。彼女はフォーサイス夫妻を見て敬礼する。医師としての面が目立つが、シャロンも軍人だった。そう言えば。
「良しシャロン。いいところに来た。うちの旦那と娘を中央管制室に隔離。ゾーイも一緒に連れて行け」
「りょ、了解!」
シャロンがとっさに返事をした。医官であっても、根は軍人なのだ。
「っていうか、所長はどうされるので?」
指揮を執るはずのトリシャがどこかに向かおうとしているので、シャロンが尋ねた。白衣を脱いでニールに押し付けたトリシャはニコリと笑った。
「ちょっと侵入者たちに挨拶に行ってくるんでね」
つまり、自ら打って出ると言うことか。ニールが「ほどほどにな」とトリシャに言ったが、止めることはしないらしい。
トリシャが城内を走って行ったので、こちらも中央管制室に向かう。ニールを見てみんなドキッとしたようだが、すぐに作業に戻る。みんな優秀だ。
ゾーイとクレアは完全に部外者である。ニールも部外者と言えなくはないが、少なくとも軍人である。推移を見守り、最高責任者であるトリシャに何かあった場合、すぐに動かなければならない。
というわけで、ゾーイはクレアと遠巻きに眺めていた。ゾーイも軍人であるが病人でもあるし、それに、ニールほど高い地位にいるわけではない。だから、特にすることもなかった。
「ママの領域に足を踏み込むなんて、相手は死んだも同然ね」
可愛い顔して恐ろしいことを言うクレアに、ゾーイは戦慄した。
「……死ぬのね」
「うーん。殺さないかもしれないけど、怒ったらパパよりママの方が怖い」
普段穏やかそうに見えるものほど起こると怖い、と言うのは世の中の摂理であるが、十二歳の子供に何を見せているのだろうか、あの夫婦は。
フォーサイス夫妻の夫婦関係が多少気になるが、とにかく、クレアは素直に育っているようなので悪いことは教えていないのだろう。少なくとも、クレアはあの二人に慈しまれて育っている。そして、このクレアの両親に対する信頼感である。
「まあ、ママならすぐに帰ってくるよ」
そう言ってクレアは、ゾーイに他愛ないことを尋ねはじめた。何となく、子守につれてこられたような気もしなくはない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
名前だけ出てたクレアの登場。トリシャ旦那も初出か?




