4.伯爵とか、国王とか
一人で廊下に出る許可が下り、ゾーイは時間を決めて廊下を探索することにした。毎日、少しずつ遠いところに行ってみる。その過程で、職員を含めた様々な人に会う。入院患者も結構どぎついが、やはり研究員の方に変人が多い気がする……。
ゾーイがすでに習慣となったリハビリのための廊下散策にでると、知っている顔に出くわした。まあ、すでにこの研究所のほとんどの研究員と顔見知りなわけだが。
「こんにちは、アリッサさん」
「ええ。こんにちは、ゾーイ」
基本的に丁寧語なアリッサは、年下のゾーイに対してもその態度を崩さない。初めは不思議だったのだが、これがアリッサのスタンスであるらしく、気にしないことにした。
「ご無沙汰しております、少佐。その節はご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」
まだ松葉づえをついているのでうまくできないが、敬礼しながら述べた。彼はアリッサの直属の上官にあたるユアン・チェンバレン少佐だ。褐色の髪にとび色の瞳をした均整のとれた体格の青年である。顔立ちも整っているのだが……とても作り物めいている。トリシャも大概人形めいた美貌であるが、そんなレベルではなく、本当に作ったみたいなのだ。まあ、あえてツッコむようなことはしないが。
「いや、無事でよかった」
無感動かつ無表情にそう述べたユアンである。基本的に彼はこんな感じなので、ゾーイもさすがに慣れていた。
何を隠そう、紛争で重傷を負ったゾーイを医療班の元まで運んでくれたのがユアンであるらしい。機械的な見た目からは想像できないかもしれないが、彼はかなり仲間思いなのである。
「本当に、ありがとうございました。おかげで助かりました」
この際、自分が生きるのを放棄しようと考えていたことは忘れることにする。そして、ついでに尋ねた。
「ところで、少佐はどうして魔法研究所に?」
そう言えば、以前も来ていたようだった。たった数日前の、停電が起こった日だ。トリシャが「ユアン君起こしてきて」とか言っていた気がする。
「所要により、定期的に訪れている」
やはり淡々としていた。ゾーイもあまり感情が出る方ではないのだが、ユアンには負ける。
「それと、今回は護衛も兼ねている」
「護衛、ですか」
ゾーイが首をかしげたが、さすがに教えてくれなかった。アリッサが声をかける。
「少佐。そろそろ行きましょう。ゾーイ、あまり無理はしないように」
「わかっています」
ゾーイがうなずいたのを確認し、アリッサはユアンを伴って歩いて行った。ゾーイは首をかしげながらも来た道を戻っていく。そろそろ決めたリハビリ時間が終わるのだ。
ユアンが護衛してくるような人物だ。それなりの身分のものだろうが、同だろう。他にも護衛がいるのかもしれないけど。
「ゾーイ」
名を呼ばれた。思わず立ち止まってきょろきょろする。聞きなれない声だったが、確かに、自分の名だった。
……まあ、この名を自分のものだと言い切ることはできないのだが……。
「久しぶりだな」
ゾーイの目が捕らえたその人物は、確かに、見覚えがあった。栗毛を整え、礼服を着たその人物は。
「オースティン陛下」
アルビオン王国の国王、オースティンだった。ゾーイも何度かあったことがある。本来なら膝をつかなければならないが、松葉杖をついている彼女にはちょっと無理だった。それがわかっているから、オースティンは「そのままでよい」と言った。
どうやら、ユアンが護衛してきたのは彼らしい。そして、魔法研究所に入った時点で、その役目をトリシャに譲ったようだ。彼女ともう一人、シャロンがオースティンの後ろに控えている。ゾーイの主治医であるシャロンがあわててゾーイに駆け寄ってきた。
「ちょっと無理し過ぎだな。陛下。申し訳ありませんが、彼女の病室でお話ししてもらってもいいですか。邪魔なら私は席を外しますので」
「あ、ああ。ちなみに、マーシャル伯爵は……」
「一緒におりますとも。一応これでも護衛ですので」
「頼もしすぎる護衛だ……」
シャロンの言葉を了承したオースティンであるが、彼はトリシャが怖いのか動揺気味にその笑顔を見つめていた。
ゾーイとしても、誰かいてくれた方が話しやすい。オースティンが悪いわけではないが、王族と話すと言うのはこう……いろいろと緊張する。
結局、シャロンの同席は無理だったが、トリシャが同席することになった。いったい彼女は何者なのだろうか。
トリシャがゾーイを支えて、ゆっくりと病室に戻る。階級が大佐の彼女に支えてもらうのはちょっと申し訳ない。伯爵と呼ばれていたのも気になるが、まあ、彼女は実は爵位もちなのだろう。機会があれば尋ねてみることにする。
病室に戻り、ゾーイはベッドに腰掛けた。初めは体を起こすのがつらかったが、人間の回復力と言うのは結構すごいものだ。一応、背中にクッションを敷いて寄りかかる。国王を前に不敬極まりないが、どうやら国王よりもトリシャの方が強いらしく、彼女の命令でゾーイはクッションに寄りかかっていた。
「や、突然すまんな、ゾーイ。怪我をしたと聞いて、早く見舞いに行かねばと思っていたのだが」
「いえ……お構いなく」
別に来なくてもよかった、などとはさすがに言えないか。
沈黙。何を話せばいいのかわからない。
「えっと、怪我の具合はどうなんだ?」
「順調に回復中です。まあ、リハビリが終わるまで退院はできないと言われておりますが」
ゾーイは淡々と答えた。トリシャはにこにこ笑ってその様子を見ている。彼女は口を挟まないようだ。挟んでくれていいのに。
「本当にすまない……気づいたら、君が遠征に行くことになっていて」
「はあ。まあ、気にしておりませんが」
軍人とは本来、そう言うものだ。それに。
「陛下はそうして気遣ってくださいますが、私の存在が邪魔な者も多いでしょう」
「……そう言ってくれるな」
オースティンがため息をついた。正直、トリシャがいる前でどこまで話していいのかわからない。
オースティンは王であるが、先王の子ではない。だが、王族ではある。先の王の弟の息子が彼なのだ。
なんだか遠い、と思うだろうが、これも仕方のない話である。
先王アレキサンダーには二人の子供がいた。第一王子ブランドンと第一王女カサンドラだ。だが、カサンドラは今から十八年前、病没し、ブランドンは十年前の戦争で戦死した。
そのため、二年前先王が崩御したとき、彼の直系の子はいなかったのだ。
なので系図をさかのぼることになる。先王の子供の次の王位継承者はその弟。しかし、王弟もすでに亡くなっていた。そのため、王位は王弟の子であったオースティンに継承されたのである。本人にとってはいい迷惑であるようだ。オースティンは優秀であるが、平凡だ。玉座など重いだけだろう。
問題なくオースティンに王座が引き継がれたように見えるが、いくつか問題があった。
まず、第一王子ブランドンには一人、娘がいた。今は養父母に育てられているらしいが、彼女も立派な王位継承者。当時は子供だったので王位継承は見送られたが、今後どうなるかわからない。
そして、ゾーイだ。彼女もこの王位問題に関わってくるのだ。不本意なことに。
それはともかく。
「陛下、お忙しいのでは? 早く戻られた方が」
「お前、そんなに俺のことが嫌いか」
「うっとおしいと思うことはありますね。というか、所長は何者なんですか?」
「ん?」
話を振られたトリシャが首をかしげた。そして微笑む。
「秘密」
「女伯爵パトリシアだ……」
「陛下。世の中、言っていいことと悪いことがあるのですよ」
パトリシアって、トリシャの正式名だ。女伯爵ってことは、爵位もち。そう言えばさっき、マーシャル伯爵と呼ばれていたか。
とりあえずそれで納得する。トリシャは見た目より奥が深そうなので、つっこみ過ぎると怖い。
「そうか……うっとおしいか……」
「恐れながら陛下。心配していただけるのはうれしいですが、気にしすぎかと」
うなだれているオースティンにとどめを刺すゾーイである。彼は顔を両手で覆った。本当に、この人王に向いていないのではなかろうか。
「マーシャル伯……娘は元気か……」
「ええ。しかし、陛下の方が最近会われたのでは? 私はここ最近、帰宅しておりませんので」
それってどうなの、と言う発言をトリシャは笑顔のまました。子供がいるのか。と言うことは、既婚者か。そう言えば、左手の薬指に指輪をしている。結婚指輪かもしれない。
「旦那が泣くぞ……」
「いえ。大丈夫ですよ。たぶん」
最後。たぶん、と思うなら様子を見に行けばよいと思うのだが。やっぱり怖いのでツッコまない。
ゾーイが言った通り、オースティンは政務の間を縫ってここを訪れたのだろう。見舞いに来てくれたのは素直にうれしいし、一応礼を言っておく。
「ありがとうございました」
立ち去ろうとしていたオースティンはほっとしたような笑みを浮かべて、「元気そうでよかったよ」と言った。本当に人の好い王様だ。
トリシャがオースティンを見送るために共に出ていく。入れ替わるようにシャロンが入ってきた。
「……ゾーイ、陛下と知り合い?」
「……まあ、ちょっとした縁で」
ちょっとしたどころではないのだが、他に答えようがなくてそうごまかした。シャロンも深く追求せず、「そっか」とだけでテキパキと診察を始める。
「そう言えば、所長ってお子さんがいるのね」
「ああ、うん。クレアちゃんだね。時々研究所に来るよ」
そのうち会うかもね、とさらりと言うシャロンだが、子供がこんなところに来ていいのだろうか。自称『アラサー』のトリシャだが、子供はまだ十歳にもなっていないだろう。だぶん。
「ちなみに、旦那さんは?」
「君の上官」
「は?」
「え?」
電子カルテに診療情報を書き込んでいたシャロンが顔をあげて、ゾーイと顔を見合わせて首をかしげる。それから、「ああ」と納得した表情になった。
「魔導師特殊部隊の隊長フォーサイス大佐のこと」
「ああ……ええっ!?」
思わず叫んだゾーイであるが、その途端、治りかけの腹が痛んで「痛っ」と腹を押さえた。シャロンが「ああ、もう」と電子カルテを置いてゾーイを介抱しにかかる。
「いきなり叫ぶからだ。大丈夫か?」
「へ、平気……っていうか、隊長結婚してたのか……」
ゾーイは自分が所属していた部隊の上官を思い出す。整った顔立ちの男性ではあるが、印象としては精悍で、一言で表すなら『すごい筋肉』である。トリシャと同じく前大戦の経験者。年齢は聞いたことはないが、三十歳前後くらいか。なら、トリシャとつり合いは取れているのか……。絶世の美女と言っても差し支えないトリシャの夫が隊長だとか、衝撃的過ぎる。
ゾーイのそんな感情を読み取ったのか、シャロンが微苦笑を浮かべた。
「まあ、うちの所長も大概だからな。案外似た者同士なのかもしれん」
「……そっか」
何となく納得してしまった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本人出てこないのに、名前だけばんばん出てくる。
トリシャは自称アラサーです(笑)




