11.なんかいろいろ説明してほしい
あとで聞いたことであるが、一応貴族であるトリシャは、クレアを大きくなった後に王位につけることを考えて、昔でいう帝王学的なことを教えていたらしい。クレアが必要以上に大人びているのは、彼女の教育のせいである。
だが、サー・リチャードを含む元老院のほとんどはそれをわかっていなかった。今のクレアがあるのはトリシャやニールのおかげであるのに、それを見ようとしなかったのだ。
あくまでも選ぶのはクレア。トリシャは選択肢を広げる手伝いを下にすぎず、いつだって決めるのはクレア自身。残酷なような気もするが、自分のことは自分で決めたほうが良いと言うことだろう。
「正直、私にはよくわからないわ。今この時代、王なんて象徴でしかないわ」
クレアがさらりと言った。象徴でしかない、と語った王であるが、それでも、一国の象徴であると言う責任は重い。
国王は君臨すれども統治せず、という言葉がある。ゾーイは詳しくは知らないのだが、かつて大陸の共和制の国で行われていた政治体制を指すらしい。アルビオン王国の政治体制も、これに近い。アルビオンの場合は慣習法になるか。
今更王権主義を復活させることもできまい。クレアの言うとおり、サー・リチャードの考えはゾーイたちにはいまいち理解できなかった。
「私は成人したら、王位を継ぐ。でも、それまではマーシャル伯の庇護下にいるわ。だって、一番安全だもの」
思わず大きくうなずくゾーイたちである。トリシャとニールの側はこの上なく安全である。おそらく、この地上のどこよりも。
「……しかし殿下。その者たちはいつ死ぬともわからないのですよ」
研究所側の人間がむっとした表情になる。そんな体にしたのは誰だ、と言わんばかりだ。特に遺伝子工学者であり生態学者でもあるトリシャの視線は冷めていた。いや、でも、かなり顔色が悪いが大丈夫だろうか。
「そんなこと関係ないわ。さっきも言ったように、私は確かにブランドン王子の子供なのかもしれない。でも、私の親はマーシャル伯とフォーサイス大佐だけだわ」
いや、だから感動的な言葉であるのに、素直に感動できないのはなぜだろうか。
「サー・リチャード。クレア王女はしっかりしていますが、まだ子供です。住みなれた場所から引き離すのはかわいそうでしょう」
イザベラが説得するように口を開いた。サー・リチャードは顔をこわばらせている。おそらく、クレアは住み慣れた場所から離れても特に気にしないだろうが、イザベラの言葉には説得力があった。
しっかりしていても十二歳。まだ十二歳なのである。親、もしくは保護者の庇護下にいるべき少女。
通常の子供だと、養育権、もしくは親権を主張して裁判所に訴えることもできるらしいが、王女の場合はどうなのだろう。でも、やっぱり未成年だから同じように考えるべきか? でも、裁判所に訴えても結局トリシャが勝つ気がする。法学者の資格も持っているのか聞いてみよう。
「安心なさい、サー・リチャード。私は約束を違えないわ。私も魔導師の端くれ。自分の言葉をひるがえすようなまねはしない」
クレアがきっぱりと言い放った。サー・リチャードが何とも言えない表情になる。魔導師を良く思わない彼だが、彼が擁立しようとしている王女に『自分も魔導師である』と堂々と言われたのだ。無理もない。
さて、ゾーイの予知能力であるが、基本的に一方的に未来の『イメージ』を見るだけだ。
だが時に、それは急な危険を知らせるものとして現れることもある。トリシャなどに言わせると、それは人間の危険を察知する本能が強く表れたせいらしいが、それはひとまず置いておく。
ゾーイは大量の銃弾が自分たちめがけて飛んでくるのを『見て』、叫んだ。
「所長……!」
叫ぶと同時に銃弾が飛んできた。狙撃だ。音がしなかったので、サイレンサーがついていたのだろう。その銃弾は正確にユアンの胸を貫いた。
「少佐!?」
ゾーイの声は悲鳴にも似ていた。地に伏した上官に駆け寄ろうとしたゾーイだが、魔法障壁を招喚したトリシャが叫ぶ。
「大丈夫だ! 放っておけ!」
「でも……!」
ゾーイが眉をひそめた時、ユアンがむくりと起き上がった。ゾーイは目を見開く。
「ええっ!?」
「驚いている場合ではない。集中しろ」
ユアンに命じられ、ゾーイは戸惑いながらも絶え間なく降り注いでくる銃弾が飛んでくる方を見る。そして目に入ったのは、クレアがサー・リチャードを締め上げている光景だった。
「誰!? 誰が攻撃してきてるの!?」
「クレアちゃん、落ち着いて……!」
シャロンがクレアをなだめようとしているが、クレアが十二歳の少女とは思えない迫力でサー・リチャードを締め上げている。
「わかりません……! ですが、陸軍のアーチャー将軍が軍を貸してくれまして……」
イザベラがため息をついた。
「では、将軍ですね。トリシャとニールを始末したいのでしょう」
「では、私とニールで残る。イザベラたちはサー・リチャードを連れて研究所内に戻って」
トリシャが言ったが、イザベラとクレアがそろって「ダメよ」と言った。トリシャが眉を顰め、「なんでさ」と問うた。彼女は右手を一閃させ、向かってくる軍隊に氷の刃を浴びせた。
「元はと言えば、あたしの存在が招いたことでしょ。黙ってママたちを見送るなんてできないわ」
憤慨しながらクレアが訴えた。素晴らしい根性であるが、ゾーイとしてもクレアには城内に戻ってほしいところである。
「トリシャ、あきらめなさい。私もいるわよ。アーチャー将軍との交渉は誰が行うつもりなの? あなた? あなただと相手を怒らせて終わりよ」
「悔しいけど否定できない!」
トリシャが顔をひきつらせて叫んだ。殺人マシーンの如く軍人を切り裂いているニールが叫んだ。
「お前、いつまでもしゃべってないで、大丈夫なら将軍捕まえに行くぞ」
「わかったよ……」
トリシャがうなずき、一瞬目を閉じた。それから再び指揮官の顔になって命じた。
「ゾーイはクレアの側を離れるな。シャロンとユアンは置いて行くから、イザベラのことも頼む」
「はい」
「それで、やっぱり私とニールで行くから、追ってこないでね。巻き込まれても助けてやれないから」
「……はい」
なにか引っかかるものを感じたが、とりあえずうなずいた。トリシャが腰の剣を引き抜いて駆け出す。それにニールも続いた。というか、どうやって将軍を探す気だろう……。
しかも彼女、さりげなくサー・リチャードのことは抜かしていた。まあ、この期に及んで逃げることはないと思うのだが、ちょっと気になったゾーイである。
夫婦がいなくなると、にわかに周囲が静かになった。どんだけ騒がしかったんだ、あの二人。というか、トリシャか。余裕ができたので、シャロンがユアンに駆け寄る。
「少佐。機能に問題ありませんか?」
「問題ない。あとでアリッサ中尉に調整してもらう」
「それがいいですね。所長も特に見とがめてませんし」
「女伯爵は工学者ではない」
場を和ませようとしたシャロンのセリフに、ユアンがその通りのツッコミを入れた。トリシャ自身も、自分は工学者ではない! と宣言していた気がする。
ゾーイはちらりとユアンを見た。人形じみた顔には、やはり何も感情が浮かんでいない。彼の謎が気になるが、ゾーイにもさすがにそろそろわかるような気もした。
強化人間やデザイナーベビー、クローンも存在するような世界だ。他にもアンドロイドとか人造人間がいても不思議ではない。
まあそれはともかく。この場所は少し開けているのでいつまでもとどまるのは危険だ。少し移動し、木々に隠れるような場所に移る。研究所に戻るのはクレアとイザベラが反対したので、移動だけにとどまった。
「成功すれば、トリシャが信号弾を打ち上げるわ。それまで待ちましょうか」
イザベラが言った。さすがに、追って行けば足手まといどころか邪魔になることをわかっているのだろう。クレアもうなずいた。
「ねえゾーイ」
倒れた木に腰かけたクレアが頬杖をついたままゾーイに声をかけた。銃を片手に警戒していた彼女は振り返って「なあに?」と尋ねた。
「もしゾーイが女王になるなら、あたしはそれでもいいって思うの」
それを聞いてゾーイは笑った。確かに、代われるものなら代わってやればよいのだろう。少なくともゾーイのオリジナルであるカサンドラ王女が生きていれば、アレキサンダー王が亡くなった時、彼女が女王となっただろう。もしもの話にすぎないが。
「私はカサンドラ王女のクローンに過ぎないわ。所詮はまがい物。押し付けるようで心苦しいところはあるめど、クレアが女王になると言うのなら、それが一番いいかなって思う」
「ゾーイならそう言うと思った」
クレアはそう言って笑った。彼女も言っていたように、いまどき王だのなんだのとナンセンスだとは思うが、それで丸く収まるのならその方がよい。
「でも一つだけ。ゾーイはまがい物なんかじゃないわ。一人の意志を持った人間で、ゾーイはゾーイ。カサンドラ王女なんて関係ないわ」
クレアの毅然とした言葉に、ゾーイは目を見開いた。それから微笑んだ。心が温かくなる気がした。
「ありがと」
その時、ユアンが警戒の声をあげた。
「北の方から誰かが高速で近づいてくるぞ」
シャロンとゾーイが剣を引き抜いた。北の方角を見て、飛び出してきた人間と対峙したのはシャロンの方だった。鉄がぶつかり合う音が聞こえる。一般の軍人は銃を使うことが多いので、相手は魔導師か。
対峙しているシャロンは、相手の顔を見て目を見開いた。
「兄貴!?」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ちなみに、トリシャは法学者でもあります。たぶん弁護士資格も持っています。