1.君が見た世界
新連載であります。
基本的に魔法研究所内で話が進みます。
意識を取り戻した彼女が見たのは、見覚えのない天井だった。何度か瞬きを繰り返すが目に映る景色は変わらず、左半分の視界は閉ざされたままだった。
「ああ、目が覚めた?」
近くから声が聞こえて視線をそちらに向ける。それだけのことなのにひどく億劫だった。
目に入ったのは黒髪を肩にたらした美女だ。整いすぎて、きれい系の男性にも見える顔立ち。眼鏡の奥の瞳はヘイゼルで、理知的な光をたたえていた。
アルビオン王国陸軍魔法研究所所長、トリシャ・ハウエル大佐だ。アルビオン王国軍の魔法を使う軍人……つまり、魔導師の中で有名な人だった。
「大丈夫? 意識ははっきりしてる? 自分がだれかわかる?」
トリシャが矢継ぎ早に質問を飛ばしてくる。彼女は少しだけ顎を引いてうなずいた。ようやく彼女は、自分がベッドに寝かされていることに気が付いた。
彼女……ゾーイ・ローウェルは一年前に陸軍魔導師特殊部隊に入隊した軍人である。階級は中尉であるが、軍事学校を卒業した魔導師は入隊時点で尉官待遇なので、昇進が早すぎると言うわけではない。
現在十七歳の彼女は、他国との紛争地帯に派遣され、そこで大けがを負った。幸い、紛争自体はさほど長く続かず、鎮圧されたが、死傷者の数はおびただしかった。特に、最前線に送られた魔導師たちは。
その一人であるゾーイは幸い生き残ったが、他にどれだけの同僚たちが生き残ったのだろうか。
「よし。意識、記憶に混濁はなさそうだね。ああ、今は薬が効いててちょっとボーっとしてるかもしれないけど、検査した限りでは後遺症も残らないから安心していいよ」
ニコリと微笑み、トリシャは言った。魔法研究所の所長という印象が先んじているが、彼女はそう言えば魔法医だったか。魔法研究所は巨大な病院の役割も担っているのである。そこに、ゾーイは入院したと言うことだ。
「一度目が覚めたのなら一安心だ。もう少しお眠り」
そっとトリシャがゾーイの頬を撫でた。あとから考えればそういう魔法を使ったのだろうが、すぐにまぶたが重くなり、ゾーイは再び眠りに落ちた。
次に目覚めた時、ゾーイの意識はかなりはっきりしていた。何度か見えている右目を開閉し、それから現状把握を始めた。
とりあえず、ゾーイは紛争地帯でうまい具合に味方に回収されて魔法研究所に担ぎ込まれたらしい。そして、ここは病院を兼ねる研究所の病室の一つ。当たり前だがベッドに寝かされていて、おそらく一人部屋だ。
何やら計器が体につながれているが、酸素マスクなどはしていない。思ったより自分は丈夫らしい。ただ、左腕に点滴はつながれているし、右手は折れているのか固定されている。左目も包帯でおおわれていて見えていない。足も動かせないようになっている。そのほか、腹の傷や背中の傷など、よく生きてたな自分、と思えるほどの傷がいくらでもあるはずだ。
「ああ、おはよう、ゾーイ中尉」
「……おはようございます、所長」
声のした方に視線を向けると、そこには前に目覚めた時にもいたトリシャ・ハウエル所長がいた。電子カルテのようなものを持っている。美しい顔に白衣を着て、研究員であることを示すICチップの入ったネックレスをかけていた。
「意識もはっきりしているようだし、もう大丈夫だろう。と言っても、しばらくここに入院だけどね」
ニコリと笑ってトリシャは言った。よく笑う人だ。ゾーイは眼福とばかりにその顔を無言で眺めていたが、ふと思い出して尋ねた。
「あの……私と同じ隊の人たちは、どうしましたか」
出動したのは陸軍魔導師特殊部隊の第一、第二小隊だ。部隊長自らが戦地に赴き、魔導師たちを指揮した。
魔導師特殊部隊はあまり大きな部隊ではない。そもそも、寄せ集めのような組織なのだ。行き場をなくした、もしくは問題のある魔導師が集められた部隊。そのため、平気で切り捨てられる。
通常、魔導師は陸海空軍の一隊員として一般軍人に混じって部隊に配属される。それがまるっと全員が魔導師である部隊は、魔導師特殊部隊だけだ。
入隊早々そんな部隊に送られたゾーイも、少々経歴に問題があった。まあ、自分が普通の人間とうまくやっていけるとも思えないので、これでよかったのかもしれないが。
微笑みを浮かべていたトリシャは、ゾーイの問いを聞いてベッドのそばの丸椅子に腰かけた。
「よい報告はできないね」
「覚悟しています」
そもそも、戦場に『死んで来い』と言われて送り込まれるような部隊なのだ。生き残ったゾーイは運が良かったのだろう。
……本人としては、本当に運が良かったのかわからないが。
「ゲイル地方の紛争は解決した。最終的に、陸軍の大隊が投入され、相手国は撤退して行き、停戦条約も結ばれた」
停戦、と言うことは、本当の意味で問題は解決していないのだろう。ゾーイは黙って話の続きを待った。
「だが、それまでの間に先遣部隊として投入された魔導師特殊部隊はほぼ壊滅。損害率五割だ。とくに、君が属する第一小隊の方は損害率七割だそうだ」
損害率。軍人の命は、そんな言葉で表されてしまうのだ。ゾーイは見えている右目を閉じた。
「君と同じように、ここに運び込まれた者も何人かいるよ。まだ、ほとんどが目を覚ましていないけど」
柔らかい表現をしたが、おそらく、すでに回復の見込みの少ない魔導師たちが運び込まれたのだろう。ここに入れられるのは、重傷者ばかりだ。そこまで重い怪我でなければもっと陸軍本部、もしくは首都周辺の大型病院に入れられるはずだ。
回復の見込みの少ないものだけ、ここに送られてくる。そのため、魔法研究所は人の死を見ることが多い場所でもある。ゾーイもこの場所に送られたと言うことは回復の見込みが少ないと思われたのだろう。
……それとも、別の理由だろうか。あまり考えたくないが、思い当たることはある。
なんにせよ、ここでは最高の治療を受けられると言ってもいい。魔法研究所を謳っている以上、この場所は実験も行っている。回復の見込みが少ない患者に対し、治験として新しい魔法医術を試すこともあるのだ。だから、『最高』の治療なのである。『最新』ともいう。
トリシャが手を伸ばし、ゾーイの額のあたりを撫でた。トリシャの顔を見ると、柔らかい笑みを浮かべていて、お母さんみたいだと思った。
「回復するまで、ゆっくりお休み。歩けるようになったら、研究所の中を歩き回ってみるといい。人をつけてなら、外に出てもいい。と言っても、何もないけど。ただ、近くに湖があるから景観はいいよ」
陸軍魔法研究所は人里離れた場所にある。古い遺跡だか城だかを改装して作っているらしく、中は『迷宮』だと噂されている。確かに、ゾーイがいるこの部屋も、中世のデザインのようにも見えるが。
確かに、『迷宮』といわれる研究所内を探検するのは楽しそうだ。景観がよいという湖を見に行くのもいいだろう。だけど……。
きっと、トリシャはこうして楽しみを見つけさせることで、多くの仲間を亡くし、生と死の境にいる者を現世にとどめようとしているのだろう。どんなに医師の腕が良くても、最終的に生きるか死ぬかを決めるのは、当人の意志の問題なのだ。そう、ゾーイの上官は良く言っていた。
その上官は、ゾーイの目の前で死んだ。ゾーイをかばったわけではない。上官なら後ろに下がっていればいいのに、上が動かなければ下はついてこない、と笑って一番危険な場所に真っ先に跳びこんでいくような人だった。その結果がこれだ。
多くの仲間を亡くした。自分は重傷だ。そして、彼女が魔導師特殊部隊に贈られることになった、彼女のややこしい経歴。
その負の感情は、迷宮に対する興味や湖の景観への楽しみに勝るものだった。つまり、ゾーイは生きる気力がなかった。だが。
ぐう、とこの状況で腹の虫が鳴った。まあ、意識がなかったのだから当たり前であるが、ずっと食事をとらず点滴を打っていたせいでおなかがすいた。
腹の音を聞いたトリシャが電子カルテを持ったまま笑った。カルテの中身を確認し、「うん」とうなずく。
「内臓もやられているから、しばらくご飯は食べられないね。申し訳ないけど」
回復しても、まずは療養食からだ、とトリシャは言った。消化によいもの、と言うことだろうか。病人食は総じて歯ごたえがなく、味が薄い、と言う印象があるけど。
こういうことを考えられる、と言うことは、実はゾーイはもう少し生きていたいと思っているのだろうか。死んでもいいなんて、嘘なのだろうか。
「さて。私は次の仕事があるから、もう行くね。何かあったらコールしてくれ。私は来られないかもしれないけど、別の研究員が来るはずだから」
この魔法研究所にいる者はすべからく研究員。だが、全てが医療従事者であるわけではないと思ったのだが……まあ、深くはツッコまない。
ゾーイがうなずいたのを見て、トリシャが微笑んだ。点滴を調節し、ゾーイの体の調子ももう一度確認すると、今度こそ出て行った。一人になると、急にさみしいような気がしてくる。
昔は、ひとりが普通だった。周りに人はたくさんいたが、ゾーイはいつも一人だった。
だが、魔導師特殊部隊に入隊して、同僚や上官たちがあまりにも優しいから、自分は一人ではないといつの間にか勘違いしていたのだろうか。
最初に目覚めた時より意識ははっきりしているとはいえ、やはりゾーイは十分重症患者らしい。すぐに眠くなり、まぶたを閉じた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
主人公が寝たきりなので話があまり進みませんでしたが、さくさくっと行こうと思います。