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布槌奇譚~蟲愛ずる姫君~  作者: くろまりも
伍ノ怪 奇剣『玉虫磨穿』
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ショゴス

「てめえええええええええ!!なにやってくれてんだぁ!?」


 怒り心頭という言葉がぴったりの顔で、風香はケースケをにらむ。

 容赦の欠片もない一撃だった。ダンプカーに正面衝突したような衝撃で廃工場の壁に突っ込み、あまり頑丈といえない壁に大穴を開けた。

 ケースケは頭がくらくらした。ショゴスであるため、肉体はほぼ無傷だったが、知能を保つための脳は人間とほぼ変わらない。弾き飛ばされた反動で、脳震盪を起こしていた。

 風香の怒りに呼応して、無数の触腕がケースケに殺到する。

 ケースケは玉虫磨穿を使って防御を試みようとしたが、刀が手元にないことに気付く。刀は雨音に突き刺さったままで、弾き飛ばされた際に手放してしまったのだ。

 両手を交差させて盾にするが、ほとんど無意味に終わった。殺到する触腕の雨あられを二本の腕だけで防ぎきれるわけもなく、全身という全身を玉虫色の槍が刺し貫いた。


『てけり・り!てけり・り!』


 ようやく獲物を捕らえることができたことによる歓喜か、ケースケを取り囲むショゴスたちが甲高い声を上げる。

 全身が穴だらけになったところで、ショゴスであるケースケは死なない。だが、全身を貫く触腕は、武器であると同時に口でもある。これだけ全身のありとあらゆる箇所を貫かれては、食いつくされてしまう時は一瞬だろう。そうでなくとも、脳を潰されれば、ケースケは死ぬ。手も足も出ない状態とはまさにこのことだった。


「いい気味ねぇ。ほら、命乞いしなさいよ。惨たらしく殺してやるからぁ」

「…………別にいいよ。好きにしろ」


 もう、抵抗するのも億劫だった。

 触手に貫かれたことによる痛みはない。異物が体内にあることへの不快感はあったが、今のケースケにはそれすらもどうでもよく感じられた。まるで魂が抜かれたようだ。胸にぽっかりと穴が開いて、そこから感情が流れ出ていってしまっているようだ。


「…………なんですって?」


 そんなケースケの反応に、風香はさらに苛立ちを募らせ、眉を寄せる。

 ケースケの瞳に、風香は映っていない。路傍の石でも見つめるように、空虚な瞳だ。そのことが、風香の胸に奇妙な苛立ちを生んだ。


「……食え」


 風香の合図でケースケに突き刺さっていた触手の一部が変形し、捕食を開始する。ものの数秒でケースケの右腕は感触され、歪な断面を作り出した。


「…………いってぇ」


 軽い言葉とは裏腹に、ケースケの額に汗が浮く。

 ショゴスの肉体は変幻自在。脳が損傷しない限り致命傷に至ることはなく、痛覚を遮断することなど容易いが、ケースケはあえてそれをしなかった。

 彼の唇には、まだ雨音の最後の温もりが残っていたから。

 それが感じられるうちは、感覚を閉じるわけにはいかなかった。


「くっそ、てめえ、マゾかよ。虫女に欲情したり、とんでもない変態兄貴だな」


 風香は吐き捨てるように悪態を吐く。実際のところ、攻めあぐねていて、悪態を吐くくらいしかできないのが現状だ。腕を斬り落そうが、首を斬り落そうが死なない生物を相手に拷問など、土台無理な話なのだ。

 だが、そんな悪態にすら、ケースケは反応しなかった。もう風香には、一切合財の興味がなかったのだ。死んでしまえば和葉との約束を反故することになり、それだけが気がかりだったが、あの魔女はきっと気にしないだろう。このまま雨音の温もりを感じながら死ねるのなら、それはそれで幸せな終わり方だと諦観しており、抵抗する気すら起きなかった。

 ――――その言葉を聞くまでは。


「あぁ、めんどくせぇ。もう虫女ともども、ショゴスに食わせちまうか」


 ギチリ。

 身体を無理に動かしたことで、全身が軋みをあげる。脳を焼け焦がすような激痛が走るが、むしろそれを燃料にするように、ケースケは怒りに燃えた瞳で風香を睨みつける。


「おい、てめえ。雨音に手ぇ出したらぶち殺すぞ」

「な…………」


 その瞳に押され、風香は一歩後ずさる。

 だが、すぐにその行為を恥じ、顔を熱くさせる。武器を失い、全身を触手で貫かれ、文字通り腕一本動かせない相手に、何を恐れるというのか。


「はっ。なに?すでに死んでゴミになった屍骸が大切なわけ?お兄ちゃんって、宗教家かなにかだっけ?科学全盛の時代に魂とか言っちゃうなんてきもーい」


 風香は雨音の遺体に近づくと、頭部を踏みつける。ケースケは獣のような叫びを上げて拘束を外そうとするが、全身に突き刺さったショゴスの触手からは逃れられなかった。


「てめえ、その汚ねえ足を今すぐどけろ!でねぇと、今すぐてめえを殺すぞ!」

「あははははははははははははははははははははは!!」


 ケースケの精一杯の啖呵に、風香は高笑いを上げた。


「お兄ちゃん、すご~い!身動きできないのに、私を殺せるの?見たい見たい!ほら、刀持ってきてあげるから、手にとって私を殺してみてよ!」


 風香が玉虫磨穿を雨音から引き抜き、ケースケの前でちらつかせる。ケースケは必死に身体を動かすが、当然それを掴むことは叶わない。

 ケースケの弱点を悟り、風香は残虐な笑みを浮かべる。ぎりりと血がにじむほどに噛みしめる少年の顔を見ながら、風香はゆっくりと見せつけるように雨音へと近づく。


「あれ~、どうしたの?私を殺すんじゃなかったの?頭を踏んだだけじゃやる気でなかった?じゃあ、もっともっとこのゴミを蹴りつけたら、本気になってくれるかな!」


 雨音のそばに立つと、風香はケースケに見せつけるように足を振り上げる。そして、罪人をギロチンにかけるようにして、自らの足を雨音の頭へと振り下ろし――


 ――――――その勢いのまま、風香はその場に倒れた。


「えっ、あ――」


 何が起こったか理解できない風香は、身体を起こそうとするが、胸につっかえがあってうまく立ち上がることができない。胸元に視線を下ろすと、そこには、先ほどまで自分が持っていた玉虫磨穿が刺さっていた。


「なん、で……」


 信じられないといった面持ちで、風香はケースケの方を見る。ショゴスによる拘束は解かれていない。ケースケはいまだに囚われの身だ。

 では、なぜ?どうやって、この刀を自分に刺した?


「てめえを殺すのに、指一本動かす必要ねえんだよ」


 風香の疑問に答えるように、ケースケが口を開く。


「どう、やって?」

「簡単な話だ。おまえの身体を操って、自分で突き刺したんだよ。屋敷で、おまえが俺の身体を操って、雨音を刺させたのと同じ理屈だ」

「うそ、だっ!」


 ケースケの言葉を嘘と断じ、風香は叫びをあげる。

 涼森螢助の記憶を持つのならば、ケースケがそういった魔術を知っていてもおかしくはない。だが、人間を操る魔術は容易ではない。知能が高い生物ほど操りにくい。風香がケースケを操ることができたのも、それはケースケが魔術抵抗力が弱く、知能が低いショゴスであるからだ。何の準備もなく、いきなり人間を操れるわけがない。


「……あぁ、やっぱり気付いてなかったんだな」


 動揺する風香の様子を見て、ケースケは悟ったように溜息を吐く。


「おまえも、ショゴスなんだよ」

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