開戦
「へぇ、来たんだ。この場所がよくわかったね、お兄ちゃん」
最初は驚いた顔をしていた風香だったが、その表情はすぐに笑みに変わる。
ケースケが自ら姿を現したことは意外であったが、風香からすれば探す手間が省けたというだけのこと。この廃工場は、涼森屋敷や立体駐車場に代わる新たな拠点だ。手持ちのショゴスは全てここに移しているので、迎撃の手駒は十分すぎた。
「馬鹿なこと聞くなよ。この廃工場も、立体駐車場も、涼森螢助が用意した魔術工房だ。人が用意したものを再利用しておいて、理由を求めるなんて間抜けだぜ」
「あぁ、記憶が戻ったんだ。おめでとう、お兄ちゃん!……だけどさ」
風香は視線をケースケに合わせ、魔力を込める。その瞬間、ケースケの身体が、電流を浴びたように跳ねた。
ショゴスを自在に操るためには、対象となるショゴスの肉体を一部切り取り、腕にはりつける必要がある。だが、短い間操る程度ならば、視線を合わせるだけで十分だった。
「はい、終わり。間抜けはあんたのほうでしょうが。ショゴスのあんたが、ショゴス使いである私に勝てるわけがないでしょうが」
身動きの取れなくなったケースケに、風香が歩み寄る。
だが、ケースケとの距離が十メートルほどのところで一度足を止めた。風香は頭に血が上りやすい性格ではあるが、涼森螢助のことは熟知している。彼がこの場に現れたことは予想外だったが、現れた以上、無策でやってきたわけがないと警戒したのだ。
風香はその距離から相手をじっと観察する。やはり気になるのは、ケースケの持つ刀だ。
奇妙な刀だった。刀身が通常の刀より分厚く長いのはともかくとして、その色合いが玉虫色に輝いているのがなんとも不気味だ。柄には何本もの針が飛び出ており、これでは到底まともに握ることなど不可能だろう。実際、近寄るまで気づかなかったが、柄を握るケースケの手のひらを針が貫通していた。ショゴスであるケースケだからこそ血が出ていないが、握ったのが普通の人間ならば、手が血塗れになっていたことだろう。
ケースケの持ち物ではないはずだ。少なくとも、風香にはあのような刀を見た記憶がなかった。となると、ケースケや雨音の協力者である和葉がケースケに与えたものだろうか?だが、無一文のケースケに和葉が無償で武器を与えるようなことをするだろうか?
それはない、と風香は断じる。
ケースケや雨音は和葉と知り合って間もない。共感や同情で力を貸すなどしないだろう。力を貸すならば、同等かそれ以上の対価を要求するはずだ。
疑問の晴れない風香は、その刀をさらに仔細に観察する。
その奇抜な外見から、なんらかの魔術道具かと思ったが、見たところ魔力の波長は感じられない。風香とて魔術師の端くれだ。魔術道具とそれ以外の区別を間違えることはない。となると、あの刀は、本当にただ外見が奇抜なだけの刀であることになる。
虚仮脅し。風香はそう結論づけた。大方、風変りな武器をちらつかせて無駄な警戒をさせ、隙ができるのを期待したのだろう。
だが、念には念を。風香はショゴスを操り、ケースケの四肢を狙うように命令する。ショゴスであるケースケは四肢を切断しても大したダメージにはならないが、再生には時間がかかる。そこを抑え込んでしまえば、こちらの勝ちだ。
放たれた四本の触手が、狙いたがわずケースケの四肢に命中――する刹那、ケースケは身をかがめてそれを回避。豹のようにしなやかな動きで直進し、風香との距離を詰める。
「なっ!?」
風香が驚愕で目を見開く。
ケースケを拘束した魔術は簡単なものだが、それゆえに発動ミスなどありえない。刀への警戒はしていたが、ケースケ自身が魔術を破って突貫してくることは予想外だった。
風香はショゴスを眼前に移動させ、刺突から身を守る肉壁とする。ずぶりと肉壁に潜り込んだ刀身は、風香に到達する直前でぴたりと止まる。とっさに作りだした肉壁だったので薄いものだったが、ぎりぎりのところで身を守るのに成功した。
「やれ!」
風香の号令一下、周囲に潜んでいたショゴスたちが、一斉にケースケへと触腕を伸ばす。ケースケは肉壁に潜り込んだ刀を引き抜くと、迫りくる触腕の波を、紙一重の動きでかわす。
それにあわせて下がった風香は、自分の周囲を分厚いショゴスの肉体で包みこむ。さらにそれを変質させて、強固な砦を自分の周囲に展開した。
「……ちっ」
ケースケはそれを見て、思わず舌打ちする。
最初の奇襲こそが、もっとも勝率の高い賭けだった。風香が、せめてあと一メートル近づいていたら、刃を届かせることができたというのに。
しかし、舌打ちしたい気分だったのはケースケだけでなく、風香の方も同じだった。
ショゴスの攻撃に反応できるだけの反射神経と肉体能力。奇抜な外見からは想像できないほどの鋭い斬れ味を持つ刀。何より解せないのは、魔術拘束をあっさり解かれたことだ。
魔術による拘束は完璧だった。無理やり解かれたような感触もなかった。ということは、最初から効いていなかったのだ。だが、それほどの魔術抵抗力をケースケが持っているとは到底思えない。一応、支配の魔術を無効化する方法は他にもあるが、それは――
そこまで考えて、風香ははっと思いいたる。
「おまえ、まさか……」
風香は、ケースケから漂う魔力の流れを観察し、自分の考えが正しいことを確信する。
「てめえええええ、自分の身体を売りやがったな!?八城和葉の使い魔になりやがったな!?なに勝手なことしてやがんだああああああああああああ!」




