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布槌奇譚~蟲愛ずる姫君~  作者: くろまりも
伍ノ怪 奇剣『玉虫磨穿』
32/42

「そういえばさぁ、あんたって兄貴に復讐に来たんでしょ?なら、なんであいつを助けたの?惚れたの?吊り橋効果ってやつ?」


 スナック菓子をバリバリ食べながら、風香が雨音に問いかける。食事を買いに行くと言っておきながら、買い物袋の中はスナック菓子ばかりだった。

 初めは体内のショゴスに苦しむ雨音を見ているだけだったが、すぐに飽きてしまったようだ。猿轡を外し、彼女との会話を楽しむ姿勢に入る。これだけのことをしておきながら、相手と楽しい対話ができると考える神経は信じられないが、風香は何とも思っていない様子だ。

 ちなみに、雨音の目前には、本当にドッグフードが盛られていた。当然、雨音は口をつけていない。もっとも、それが普通の食事であったとしても、雨音にはそれを食するほどの体力は残っていなかった。

 人間ならば、とっくの昔に死んでいてもおかしくないほどの重傷。その上、腹の中で異物が蠢くたびに激痛が走り、息も絶え絶えといった状態だ。

 それでも口を利いたのは、雨音本来の精神力の高さか、あるいは風香という少女に対する反発心か。


「まさ、か、あなたの、お兄さんは、大嫌い、でやがります、よ。私の両親を、殺した、男のことなんて、好きになれるわけ、ないでしょう?」


 弱々しくも、きっぱりと言い切る雨音に、風香は意外そうな顔をする。彼女の視点から見ても、雨音がケースケに対して極めて献身的であることは明らかだった。実際、ケースケを助けることを優先させたせいで、こうやって捕縛されているのだ。

 だが、彼女がケースケを気遣う理由が一向にわからない。涼森螢助の分身であるケースケは、雨音からすれば敵同然の存在のはずだ。ケースケがそうであったように、風香にも雨音の献身的行為の理由が判然としなかった。


「そもそも、ケースケ、くんと、あなたのお兄さんを、同一人物と考える、ことが間違ってるんで、やがり、ます。彼はあなたの、お兄さんじゃ、ない。お兄さんと、同じ記憶を、持ち、お兄さんと、同じ姿を、している、けど……ただの同姓同名の、別人で、やがります」

「……はぁ?なにそれ?記憶も姿も一緒なら、同一人物みたいなもんでしょ?」

「いいえ、違います」


 凛とした声で、雨音は風香の瞳を真正面から見据えて答える。


「彼は、涼森螢助の分身じゃ、ない。同じ知識、同じ身体だけど、ケースケくんっていう、一人の人間、でやがります。……私は、そう信じる、ことにしました」


 雨音とて、迷わなかったわけではない。病室では涼森螢助とケースケを同一人物とみなして殺そうとした。だが、今の彼女は一切の迷いなく言い切った。

 食べかけの菓子を無造作に捨て、風香が歩み寄る。雨音の言葉の何かが琴線に触れたのか、やや気分を害したような顔をしている。


「私、あんたのこと嫌いだわ。うん、兄貴を捕まえてから、一緒にいたぶってやろうと思ったけど予定変更。兄貴はメインディッシュで、あんたはオードブルよ。今すぐ料理してあげる」


 風香は脇に置いてあったずだ袋の中から、糸のこやペンチといった工具を取り出し、雨音の目の前で見せつけるように並べて行く。

 何をされるか察した雨音の瞳に恐怖が浮かぶ。気が強く、シャッガイという強靭な肉体を持つとはいえ、雨音の心はただの中学生と変わらない。腹部にショゴスを埋め込まれた事実だけでも気が触れそうなのに、これ以上の拷問など、耐えられる気がしなかった。


「やめ、て……」


 決して折れるまいと思う心に反して、震える声で懇願してしまう雨音。その言葉を聞いただけで、風香は楽しそうな顔になる。


「大丈夫大丈夫。ここ数日でいろいろ試したんだ。どこまでやったら人間は死んで、どこまでなら死にたくても死ねないかって。あなたはシャッガイで人間より頑丈だから、加減は絶対に間違えないわ。死なない程度に、じっくり痛めつけてあげる」


 それは、昆虫の足を一本一本引き抜いて楽しむ子どもと同じ思考だった。

 涼森螢助と風香の最大の違いはそこだろう。涼森螢助の実験は、やっていることこそ残虐そのものではあったが、実験対象となる生物は丁重に扱い、無駄に傷つけたり苦しめたりしない。だが、風香は実験動物を痛めつけることに快感を覚え、それを優先させる。怯える雨音の姿は、風香の嗜虐心に火をつけただけだった。

 現在、雨音の心を唯一支えているのは、風香への反発心だけだ。彼女だけには負けたくない。彼女には涙を見せてやるものかというプライドだけが、雨音を支えていた。

 だが、いくら気丈にふるまっていても、雨音が恐怖で震えていることは明白だった。

 風香は工具の中からペンチを取り出すと、雨音の口元へと持って行く。


「じゃあ、まずは歯からいこっか。歯はねえ、神経が詰まってるから、と~っても痛いんだよ?歯医者では麻酔を使うけど、それでも痛いくらいだから、麻酔なしでやったらどれくらい痛いか想像つく?私は知らないけど、あなたにはそれを経験させてあげる。貴重な体験ができるよ。よかったねぇ?」

「…………う」


 雨音の瞳から、涙があふれてくる。一度流れ出すと、止まらなかった。

 雨音は、自分の心の弱さが恥ずかしかった。たった今、泣かないと決心したばかりなのに、もう泣いてしまっている。死ぬ覚悟をしたのに、今は生きたいと思ってしまっている。

 突如、泣きすすり始めた雨音を見て、風香は機嫌がよくなる。この女は、いったいどんな風に命乞いをするのだろうと思い、雨音の口元に耳を寄せる。


「なん、で……」


 汗と血と涙でぐしゃぐしゃになった顔で、雨音は言葉を発する。そこで初めて、風香は雨音の視線が自分ではなく、背後に向いていることに気がついた。


「なんで、来たの?」


 雨音の視線を追って、風香は振り向く。

 風香の背後、廃工場の入り口に、月光を背にした一人の人間の姿が浮かび上がる。人影は日本刀のようなものを担いだ状態で、肩をすくめて呟いた。


「……うっせ。んなこと知るか、バーカ。俺は頭悪いんだ。細かいこと考えて行動してねえよ。可愛かったから、つい来ちゃったんだよ。……バーカ」


 ケースケが、そこにいた。

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