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布槌奇譚~蟲愛ずる姫君~  作者: くろまりも
肆ノ怪 記憶の闇
25/42

自分にあるもの

「……まぁ、半分正解ってところかしら。そういう気持ちがまったくなかったわけではないだろうし、どのような形であれ、風香ちゃんとは決着をつけなければならなかっただろうしね」


 和葉は否定も肯定もしなかった。ケースケは、虚ろな瞳で、話の続きを促した。


「風香が雨音を狙うもう一つの理由はなんだ?」

「先刻、鈴森家の魔術は、ショゴスを品種改良し、依頼主の要望に合わせた亜種を製作することだって話したでしょう?雨音ちゃんを……正確にはシャッガイをその原料にするつもりらしいわ。雨音ちゃんのご両親を捕らえたのものそのため。ご両親は、新しい魔法生物を作るための実験材料にされ、命を落とすことになったの」

「…………は?」


 あまりにおぞましい内容を、いとも平然と言ってのけることにケースケは呆然となる。本当に今は科学全盛の現代なのだろうか?


「そんなこと、許されるわけがないだろ!?そいつはつまり、人間を材料にして、怪物を作るってるってことだろ!?警察……そうだ、警察だ!警察はどうしてるんだよ!?」

「そうね。病院襲撃なんていう大規模な事件を起こしてしまった以上、警察も動くと思う。普通の事件とは違うから時間はかかるでしょうけど、最終的には犯人を見つけられるかもしれない。魔術師だって警察は怖いから、普通はそういうことには気を使うはずなんだけどね。ただ一つ言えることは、警察が動くとしたら大量殺人事件の犯人を捕らえるためであって、雨音ちゃんを助けるためではないわ」

「はぁ?どうしてだよ?雨音は明らかに被害者じゃねえか。どうして、警察は雨音を助けないなんて言えるんだよ」

「雨音ちゃんは人間じゃないから」


 当然のことのように告げる和葉に、ケースケは絶句した。


「確かに人間じゃないかもしれないが、あいつは……」

「そうね。雨音ちゃんは理由もなく人間を襲ったりしないし、食べたりもしない。だけど、危険生物であることには変わりないわ。ケースケくんは、彼女を人間として見過ぎているのよ。警察は人間社会の守護者であって、怪物の護り手ではないわ」


 人間として見過ぎている。確かに、和葉の言う通りなのかもしれないとケースケは思う。

 冷静に考えるならば、雨音は人間とはかけ離れた昆虫人間であり、その気になれば人間を大量虐殺できる力を持っている点はショゴスと変わらない。ショゴスとの違いと言えば、人間の言葉を話すことと人間に姿が近いということくらいだろうか。


「本人に人間を傷つける意思があるかどうかは重要な問題じゃないの。人間を傷つけないように調教されているからといって、ライオンを離し飼いにはできないでしょう?警察が雨音ちゃんのことを認知した場合、彼女は殺されるか、よくて監禁されることになるわ」

「そん、な、でも、あいつは……」


 思い出すのは、バーガーショップでの雨音との対話。


『私は怪物だと思いますか?それとも、人間だと思いますか?』


 諦観の入り混じった複雑な感情の問い。

 思えば、無責任な答えを返してしまったものだ。ケースケの返答で現実が変わるわけではなく、彼女が周囲から怪物だと認識されているというのが事実であるというのに。

 そこまで考えて、ケースケはふと和葉の言葉に引っかかりを感じた。


「……おい、待て。あんた、先刻から、雨音が生きてる前提で話してないか?俺は雨音が何本もの触手で貫かれるのを見た。あれは確実に致命傷だったはずだ」

「普通の人間なら、ね。シャッガイは人間より身体が強固だし、なにより風香が死なないように手を尽くすと思う。どういう方法でショゴスの材料にするのかは知らないけど、死体を使うより生きた個体を使うほうが用途が広いだろうし」

「なら、雨音を助けられるんだな!?」

「……先走り過ぎよ。助けるなんて簡単に言うけど、どうやって助けるつもり?あなた、風香の操るショゴスに、手も足も出なかったんでしょう?」


 それは事実だったが、雨音を助けられるかもしれないという話に、ケースケは目に炎を取り戻した。彼はかつてないほどに必死に頭を巡らせ、考えを口にする。


「俺は、魔術師ってやつなんだよな?風香と同じで」

「……そうね。そうなるわ」

「なら、記憶さえ取り戻せば、ショゴスの弱点がわかるんじゃねえか?……いや、戦う必要すらないかもしれねえ。記憶を取り戻せば、交渉の材料が手に入るはずだ」


 自分が考えた作戦の割には、悪くない案だとケースケは感じた。少なくとも正面切って戦うよりは遙かに勝機があるはずだ。

 だが、和葉はそう思わなかったのか、黙って首を振る。


「確かに、雨音ちゃんを救うということを第一目標にするなら、それが一番可能性があるでしょうけど、一つ大きな問題があるわね。……あなた、本当に記憶を取り戻してもいいの?」

「……それは」


 もちろんだ、とは言えなかった。今のケースケには、かつてほど記憶を取り戻したいという気持ちはなくなっていた。むしろ、記憶が戻ることに恐怖すら感じている。

 なぜなら、和葉の言葉を真実と捉えるなら、本来のケースケは、雨音の両親を捕らえ、人体実験に使うような外道だからだ。自分の知らないところで、自分の知らない自分が、どれほどの罪を重ねてきたのかと思うと、思い出すことが怖い。

 思い出したが最後、『記憶喪失のケースケ』という人格が消え、『本来の涼森螢助』に戻ってしまうのではないかと思った。それは、今の自分が殺されるのに等しい行為だ。『記憶喪失のケースケ』が雨音を助けたいという思いは本物だった。だがしかし、記憶を取り戻し、『本来の涼森螢助』に戻った時、変わらず、その思いを持ち続けることができるかどうか彼にはわからなかった。

 人格というものは、記憶に引っ張られるものだという。記憶を取り戻した時、今のケースケと記憶を取り戻したケースケが同じ人格であるという保証はない。場合によっては、風香とともに雨音を犠牲にする選択をするかもしれない。

 だが、それでも、とケースケは思う。


「『今の俺』には、雨音しかいないんだよ」


 記憶を取り戻した時のことは、記憶を取り戻した時に考えればいい。今の自分にとって、最も大切なことは何かを考えたとき、ケースケの心に浮かびあがるのは、ただ一人の女性の顔だけだった。


「記憶喪失の俺に、笑いかけ、助けてくれたのは雨音だ。あいつの笑顔は偽物だったのかもしれない。心内は憎しみにあふれ、俺を嫌悪していたかもしれない。それでも、俺は雨音を助けたい。そのために必要なことなら、どんなことだってやってやるさ」


 そう言って、ケースケは和葉を見つめ返す。不安や恐怖はあったが、迷いはなかった。

 その真剣な瞳に気圧されたのか、和葉は少し顔を赤面させ、自分を視線から庇うように本を持ちあげ、顔を隠す。本の裏で、和葉は大きくため息を吐いた。


「そんな恥ずかしいセリフ、よく言えるわね。聞いてるこっちが赤面しそうになるわ」

「うっせえよ。それに、別にかっこつけてるわけじゃねえ。記憶を取り戻さずに、もっと楽に雨音を助けることができるなら、俺は迷わずそっちを選ぶ」

「賢明ね。より安全な方を選びたいという点については私も同意見。念のため言っておくけど、私は力を貸すつもりはないからね?私がこうしてあなたに真実を話してあげているのは、それが雨音ちゃんからの依頼だからよ」

「雨音からの依頼?なんのことだ?」


 ケースケは二人の関係を、なんとなく友人とか親戚とかそういう関係だと思っていたのだが、今までの会話の内容からして、そのようなものではなさそうだと感じていた。雨音が危機的状況であることを知ってなお、戸惑った様子を見せないところから、もっとずっとドライな関係のように思える。


「ただの雇われ便利屋と雇用主の関係よ。私は魔術師としては三流以下だけど、便利屋としてはそれなりに重宝されているの。雨音ちゃんと知り合ったのはほんの一ヶ月ほど前で、依頼内容はご両親をさらった人物とその拠点の特定よ」

「……あぁ、なるほど」


 そういえば、雨音は元々この町の出身ではなく、復讐のために他の街からやってきたのだったと、ケースケは思い出した。アウェイかつ短期間で情報を集めることになるのだから、当然情報収集のための情報屋が必要になってくる。それが、この和葉だったということだ。


「あなたへの事情説明は……サービスよ。貰った報酬が相場より多かったからね。でも、報酬分を上回るような仕事をする気はないわ」

「……なるほどな。思った以上にドライな関係だったんだな、おまえら。仲がよさそうだったから、もっと個人的な知り合いだと思ってたぜ」

「私はそこまで親しくしてるつもりはなかったわ。雨音ちゃんの方が、初対面の人でも親切に接するお人好しだったというだけよ」

「……そうか。そうだな」


 ケースケは、雨音救出に和葉の力を借りるのは極めて難しそうだと断念した。報酬でも支払えば手を貸してくれるかもしれないが、記憶喪失で所持金もないケースケには、和葉を雇うだけの代償は支払えそうになかった。


「日が落ちたわね」


 悩むケースケの耳に、ぽつりと和葉のつぶやきが届く。

 ケースケが窓に目を向けると、和葉の言う通り、外が暗くなっていた。思ったよりも話しこんでいたようだ。夜の帳が訪れ、人工の光が家々を照らし始めている。

 和葉が席から立ち上がる。持っていた本を小脇に抱えると、そのまま外へと向かった。


「どこに行くんだ?」


 突然のことにワンテンポ遅れ、ケースケは和葉の後を追いかける。


「記憶を取り戻したいと言ったのは、あなたでしょう?これも依頼のうちだから、そこまでは手伝ってあげる。その気があるなら、ついてきて」


 和葉はコートを引っかけ、ケースケの返事も聞かずに外へと向かう。ケースケに迷う時間を与える気はないとでも言うようだ。

 是非もない。悩んだところで、これ以上いい案が出せるほど頭は良くない。悩む余地がなくなって、むしろやりやすくなったというものだ。

 ケースケは和葉の後を追い、夜の街へと足を踏み入れた。

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