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布槌奇譚~蟲愛ずる姫君~  作者: くろまりも
肆ノ怪 記憶の闇
24/42

復讐

 ケースケが八城博物館に戻ってきたのは、もう陽が沈みかけている頃合だった。

 ここまでどこをどうやって戻ってきたのか、記憶にない。幽鬼のような状態のケースケが博物館にたどり着けたのはある種の奇跡だったろう。頭のなかに浮かぶのは、自分を逃がすために犠牲になった雨音の姿だけ。彼女の最後の姿がケースケの網膜に焼きついていた。


「う、あぁ……」


 雨音を見捨てて、逃げた。その罪の意識から、ケースケはその場に崩れ落ちそうになる。

 実際のところ、あの場でケースケにできたことなど一つもなかっただろう。だが、あの状況を作り出してしまった原因は自分であり、ただ逃げるしかなかった現実は、ケースケの両肩に重くのしかかった。すべてを風香のせいにして自分の言い訳にすることはできたかもしれないが、それをするにはケースケはいささか誠実で、自分に素直すぎた。

 無力感に打ちのめされたケースケは、ゆっくりとした足取りで、博物館の扉を潜る。夕日で赤く染まった門は血に濡れたように不気味。門を見上げたケースケの目にとまった人型の彫刻が、彼を冷たく見下ろしている。感情のこもらぬその瞳が、無力な自分を嘲笑っているようにケースケには思えた。

 和葉は、入ってすぐの受付に座って、例の革装丁の本を読んでいた。館長自身が受付席にいる様子を見ると、本当にアルバイトはいないのかもしれない。相変わらず客の姿が見えないところからすると、そもそも誰かを雇うような金銭的余裕がないのかもしれない。

 扉が開く音で顔を上げた和葉は、本を閉じてケースケの方に体を向ける。


「お帰りなさい。……ひどい顔してるわね」


 言われ、ケースケは顔に手を当ててみるが、あるのは包帯の感触だけだ。きっと、和葉は外見ではなく、精神面を言ったのだろう。心がひどく荒んでいるということは自覚していた。心が弱り切っていることが、包帯の上からでもわかるほどケースケはうなだれていたようだ。

 雨音のこと、記憶のこと、風香のこと。気にかけるべき出来事はあまりに多く、それなのにただの一つも答えを導き出せていない。何かをしなければならないと感じていても、どうすればいいのかがわからないという焦りが心の中を占める。

 ただ一つ、絶対にやらなければいけないことがあるとすれば、それは和葉に話を聞くこと。雨音が最後の最後にケースケに告げたことだ。ぐちゃぐちゃになって何をすればいいのかわからない心情の中、頼れるものはもはやその言葉しかなかった。


「……雨音が、ショゴスに殺された。ショゴス使いの正体は風香で、俺が風香に会いに行ったせいで、雨音はやられちまったんだ」


 あまりうまく説明はできなかったが、その短い言葉で、和葉はすべてを察したようだ。小さくうなずくと、受付の椅子を引き、ケースケを導いた。


「まずは落ち着きなさい。あなたは無理矢理にでも、心を休める必要があるわ」


 和葉は入口まで行き、博物館の立て札を閉館に変える。その後、受付に備え付けていたコーヒーメーカーで二人分のコーヒーを用意してから、ようやく席に座った。

 だが、当事者であるケースケは、いささかも休めた気になれなかった。カップを手にするも口はつけず、話を急かすように和葉を見る。


「知ってたのか?風香がショゴス使いだっていうこと」

「……魔法生物の品種改良と調教に特化した魔術師、涼森家。こっちの業界じゃ、それなりに名の通った一族よ。ショゴスを初めとした魔法生物を養殖し、飼いやすいように調教し、他の魔術師や悪趣味な富豪に売り渡すことを生業としているらしいわ。品種改良を行って、依頼主の要望に合わせた亜種を製作することもできるらしいわね」


 あっさりと告げられた衝撃の事実に、ケースケは目眩を覚え、頭を抱える。その様子を見て、和葉は大きく溜息を吐いた。


「生憎、私はショゴスなんて飼ったことないから、噂で聞いたていどだけどね。使い魔として便利そうではあるけど、調教が施されたショゴスはバカみたいに値段が張るから」

「雨音も知ってたのか?」

「もちろん。あなたが記憶を取り戻すまでは、このことは黙っていようって提案したのはあの子の方だもの。病院を襲ったのが涼森風香であることも……察してはいたでしょうね」

「……そのことがよくわからない。俺と風香は兄妹なのに、なんで風香は俺を襲ったんだ?死にかけたっていうか、雨音や和葉がいなかったら、確実に死んでたぞ」

「ケースケくんを襲ったというより、雨音ちゃんを襲ったんでしょうね。あなたを狙うつもりなら、わざわざ人目につく危険を冒してまで襲う必要はないもの。記憶喪失のあなたは、遅かれ早かれ自分から彼女に会いに行ったでしょうからね。巻き添えを恐れなかったのは……そうそう死なないだろうと思ったか、死んでもいいと思っていたか、でしょうね。そのあたりは推測が入るから、断言はできないわ」


 実際、ケースケは風香のことを信用できる人間と勘違いして会いに行ったのだから、その推測は決して的外れではないだろう。その結果、まんまと騙され、雨音を釣るための餌として使われたのだ。


「……風香は、どうして雨音を狙ったんだ?」

「理由は二つあるわ。一つ目は自衛のため。雨音には涼森兄妹の命を狙う理由があり、事実、あの子は二人を殺すつもりでいた」

「…………は?」


 雨音が自分を殺す気だったと聞かされ、ケースケは間の抜けた声を出してしまう。だが、同時に少しだけ納得がいった。

 思い出すのは、布槌総合病院の病室で、夜中に雨音にのしかかられた時のことだ。

 あの時、雨音がケースケに向けていた殺意は本物だった。喉元に当てられた針は脅しではなく、雨音の気分次第ではケースケの喉を貫いていただろう。動機はさておき、雨音がケースケを殺そうとしていたことは事実なのだろう。


「雨音が俺を殺したがる理由ってなんだ?」

「雨音ちゃんがシャッガイであるように、彼女の両親もシャッガイなの。そして、涼森兄妹は実験材料として、シャッガイの肉体を欲していた。雨音ちゃんの家族は、運悪く目をつけられ、襲われたの。ご両親は雨音ちゃんを逃がすために盾となり、彼女だけが助かった」

「……雨音が俺や風香の命を狙った目的は、両親の救出ってことか?」

「いいえ」


 和葉は、ゆっくりと首を振る。


「目的は救出ではなく、復讐よ。雨音ちゃんが両親の行方を追ってこの街に辿り着いた時にはもう、ご両親は涼森兄妹の手にかかり、すでに死んでいたから」


 ケースケは天を仰ぎたい気分になった。すべて嘘だと……自分が記憶喪失であることにつけこんだ嘘っぱちだと言ってやりたかった。

 だが、和葉が嘘を吐く理由などない。大罪人と罵られてもおかしくない話と自らの罪を思い出すこともできていない罪悪感から、ケースケは心臓が締め付けられるような気持ちだった。


「つまり、雨音が俺を助けたのも、優しく接してくれたのも……だけど、決して目を離そうとしなかったのも、風香を釣るための餌として俺を使うためか」


 ケースケは、ようやく自分の役割を理解した。

 自分が風香の兄であるというのは事実なのだろう。そのことについては、奇妙な確信があった。雨音はケースケが記憶喪失であることを知り、風香を誘き寄せるための餌として使うことに決めたのだろう。兄妹を一カ所に集め、復讐を遂げるために。

 妹の風香は雨音を殺すために、雨音は風香を殺すために、どちらもケースケを獲物を誘き寄せるための餌として使った。

 ケースケは、自分の道化ぶりに苦笑を浮かべる。真実をなかなか教えてもらえないはずだ。自分の記憶が戻れば、雨音にとっては障害にしかなりえないのだから。記憶喪失のままでいてもらわなければいけなかったわけだ。

 雨音は、一体どういう気持ちでケースケに笑顔を向けていたのだろう。

 ケースケの中に、雨音に対する怒りはなかった。雨音の復讐心には同調できる部分が多く、それが自分に向けられるのは自業自得だ。そこにどんな打算があったとしても、彼女が命の恩人であることには変わりはなく、恨むことなどできるはずもなかった。

 ただ、雨音が自分に向けた笑顔が本物でなかったことが、なにより悲しかった。

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