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布槌奇譚~蟲愛ずる姫君~  作者: くろまりも
参ノ怪 鈴森螢助
23/42

ハヤニエ

「私、自分のことが大嫌いでやがります。私が変異して、自分は普通の人間じゃないって知った。怪物そのものの姿になって、周囲の人にもそれがばれて、それが原因で父さんや母さんが死んで……。私、特別な力なんて、欲しくなかった。こんな姿で生きていたくないと思って、死のうとしてたんでやがります」


 それは、初めての雨音の独白だった。ケースケは、雨音の瞳を見つめ返す。

 左右色違いのオッドアイ。ケースケは初めその瞳を見て、とても綺麗だと思った。雨音が片目を髪で隠すのがもったいないとも。

 だが、こうやって至近距離から見つめ返すと、彼女が片目を隠していた理由がわかった。黄色い瞳の方は昆虫の――シャッガイの瞳だった。シャッガイになってからまだ日の浅い雨音は、完璧に人間に化けることができないのだ。人ではありえないその輝きは、知らない者から見れば美しいかもしれないが、雨音にとってはコンプレックスでしかなかったのだ。


「でも、不思議ですよね。いざ生死の境に立つと、情けないことに、死にたくないって思っちゃったんでやがります。死にたくない。生きたい。誰か助けてって」


『どうして、私を助けやがりましたか?』

 あの病室で、彼女はケースケにそう問うた。

 その問いは、化け物のような存在であり、一度は命を捨てるような選択をした愚か者のような自分であっても、生きていていいのかという、雨音の心の叫びだったのかもしれない。


「そうしたら、来てくれたんです。あなたが」


『うっせえよ!んなこと知るか、バーカ!俺は頭悪いんだよ!そんな細かいこと考えて行動するか!可愛かったから、つい助けちゃったんだよ!』

 当然のことながら、ケースケの答えは、深く考えてのものではなかった。記憶喪失な上、そもそも頭の出来があまりよろしくないケースケに論理的返答を求めることがナンセンスだ。

 だが、その言葉は、雨音にとってなによりも救いだった。自分が嫌っていた容姿を美しいと形容し、ただの女の子として扱い、命をかけて救ってくれた。その行動は理詰めではないからこそ純粋なものであり、より雨音の心に響いた。


「もっとゆっくり教えて、あなたにじっくり考える時間をあげたかった。その時間をあげることが、あなたへの恩返しになると思ったんでやがります。でも、かえって混乱させちゃったみたいで……ごめんなさい」

「いや、そんなこと……」


 雨音はなにも悪くない。むしろ、ケースケ自身は、悪いのはすべて自分だと思っていた。自分はピンチになるたびに雨音に助けられたにもかかわらず、勝手に一人で行動し、現在の最悪な状況を迎えている。ケースケに雨音を責める気持ちなど、欠片もあるはずがなかった。

 だが、雨音はゆっくりと首を振る。


「本当はもっと早く教えてあげることもできたんでやがります。それをやらなかったのは、私が怖かったからなんでやがりますよ。すべてを知ったら、ケースケくんが心変わりをして、私のこと嫌いになっちゃうんじゃないかって思って」

「はぁ!?俺が雨音のことを嫌いになるわけないだろうが!」


 間髪入れず、ケースケが答える。

 元よりあまり深く考える性質ではない。恋愛感情以前の問題で、純粋に、ケースケには雨音のことを嫌うような未来が思い浮かばなかった。おそらく、雨音が男であっても、同じ答えを返しただろう。しかし、一切の迷いのない返答に、雨音は少し顔を赤らめさせられた。


「……ねぇ、そろそろいい?三文芝居を見てるのも、飽きてきた頃合いなんだけど?」


 唐突に割って入る第三者の声。ケースケと雨音が声の主へと顔を向ける。

 無視していたわけではない。常に意識は向けていたが、意外にも、風香はケースケと雨音の会話を邪魔しようとはしてこなかった。

 会話の間中、風香がやっていたことと言えば、指に付着している玉虫色の物体をうねうねと動かしていたくらいだ。それが不気味と言えば不気味だった。


「……一応、わざわざ待っていてくれてありがとうと言っておいたほうがいいでやがりますかね?時間が欲しかったのはお互いさまでしょうが」

「あら、気づいてたの?それを知っていて無駄話をするなんて、バカなのかしら?」


 風香の指が躍る。と、同時に、夕日が差し込んでいた室内が、突如暗くなる。

 壁伝いに階下から這い上がっていたショゴスが、逃げ道を塞ぐように窓を覆い尽くしたのだ。日光を遮られた室内は、ショゴス自体の発光により、薄暗く玉虫色の光に塗られる。さらに、扉を突き破り、玉虫色の液体が流れ込んできた。

 風香が二人の会話を邪魔しなかったのは、情や慢心によるものではない。獲物を逃がさないよう、集められるだけのショゴスを集結させ、出入り口を塞ぐためだった。


「さぁ、互いに遺言は残した?そろそろフィナーレと行きましょうか」

『てけり・り!てけり・り!てけり・り!』


 餌を前にした魔獣の合唱が室内を反響する。その指揮者たる風香の身体は、玉虫色の怪物の中へと沈み込み、見えなくなった。

 出口と窓はショゴスの巨体で完全に防がれた。室内は狭いので雨音の素早さは十分に活かせない。風香を直接攻撃しようにも、分厚いショゴスの肉体に隠れた彼女に攻撃を届けるのは至難を極める。加えて、雨音は満身創痍であり、ケースケという足手まといつきだった。

 ケースケと雨音にとって、考えうる限り最悪の状況だった。

 もっと早く窓から逃げるべきだったのではないかとケースケは考えたが、即座にそれを否定する。雨音だって、そのことには気づいていたはずだ。この窓の様子を見ると、雨音がこの部屋に飛び込んできた段階で、すでに窓の外に待ち構えていたのかもしれない。それならば、窓の外に飛び出した瞬間、触手の餌食となっていただろう。

 だが、希望がないわけではない。先刻の会話の内容からすると、雨音は逃げ道が塞がれつつあるのを承知でケースケと会話していたことになる。彼女に打開の策があるのではないかと思い、ケースケは少女に視線を投げる。


「ケースケくん、あなたがすべてを思い出した時、あなたは選択をしなきゃならない」


 だが、こんな状況に置いても、雨音の口から出たのは、先刻の会話の続きだった。

 先刻とは状況が違う。相手側はもう、時間を稼ぐ必要はない。眼前を覆い尽くすほど巨大なショゴスの表面が泡立ち、無数の槍を構成する。それらは罪人を銃殺処刑するための銃口のように、ケースケと雨音へと向けられる。


「……おい、雨音。さすがに、その話は後にしたほうが――」

「それはきっと、ケースケくんの人生の分岐点。どんな選択をしても間違いじゃないし、正解もない。ケースケくんがどんな選択をしても、私は恨みやがりません。ただ――」


 制止の声も聞かず、雨音は言葉を続ける。

 途中、一瞬だけ言葉を切った雨音は、ケースケに目を向ける。宝石のように美しいとケースケが感じた金の瞳が、夜空に浮かぶ月のように暗闇の中で映えた。


「後悔だけはしないでください」


 どういう意味かを尋ねる時間は、なかった。

 それからの出来事はすべて一瞬。めまぐるしく展開される事態に身体が追い付かず、ただ起こった出来事がケースケの網膜を通して脳に焼きついた。

 最初に動いたのは雨音だった。雨音は窓や扉からの脱出も、一か八かで風香を打ち倒す挑戦もせず、自らの拳を、力任せに背後の壁に叩きつけた。

 人間をあっさり引き潰すショゴスと渡り合える、昆虫人間シャッガイの膂力。コンクリートの壁が発泡スチロールのように飛び散り、壁に人一人分の穴を空けるには十分すぎた。

 力技で逃走経路を確保することを予測していなかったのだろう。ショゴスの行動はワンテンポ遅れた。獲物を逃がすまじと、無数の触手の槍が放たれる。

 だが、雨音は、僅かな時間できた隙を逃さなかった。ケースケの身体を掴むと、シャッガイの腕力をフルに活用して、ケースケを穴から外へと投げ飛ばした。通常の人間ていどの反射神経しかないケースケは、反応することすらできず、気が付いたら宙を舞っていた。

 ケースケの身体は運良く――いや、恐らく、雨音が狙ってその場所に落ちるようにしたのだろう――隣家の庭の植え込みへと落下した。

 植え込みがクッションになったとはいえ、落下の衝撃は完全には殺せないし、枝もいくつかが肉体に刺さる。死ぬほど痛かった。声の限り叫び、痛みを訴えたかった。だが、ケースケはそれらの情動を精神力でねじ伏せ、自分が飛び出した穴の方へと目を向ける。


――――思考が真っ白になった。


 ハヤニエ、というものがある。モズという鳥の習性で、捕らえた獲物を枝などに突き刺す行為のことをいう。その光景は、まさにモズのハヤニエを思い起こさせるものだった。

 ハヤニエとされた動物は、しばらくの間生きて、もがき続けることがある。ショゴスの触手によって、腹部・肩・足の三か所を貫かれた雨音もまた、貫かれた状態でピクピクと身体を痙攣させていた。

 十字架に磔にされたキリストのように、中空に高々と掲げられた雨音は、虚ろな瞳をケースケの方に向ける。もしかすると、もう光が見えていないのかもしれない。死んでいてもおかしくない重症で、雨音は唇を動かし、声にならない言葉を紡いだ。


 ニ ゲ テ


 ケースケが呆然とする中、雨音の肉体が建物の中へと引き戻され、見えなくなる。ぐちゃぐちゃと肉を引き潰すような音が耳に届く中、ケースケはかつてないほどの慟哭を上げた。

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