予感
答えを求めて、その場にいる二人を見つめるが、一人はにやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべて面白がるだけで、もう一人は辛そうな顔をして視線を逸らすだけだった。
「お兄ちゃん、そんなに真実を知りたいの?」
意地の悪い笑みを浮かべていた方――風香が、ケースケに問いかける。悪魔のささやきめいた声音に、一瞬躊躇しつつも、ケースケは応じずにいられなかった。
「当たり前だろうが!早く答えろよ!」
「そうだね。でも、ただじゃ教えてあ・げ・な・い」
少女の姿をした悪魔は、雨音の方にすっと指を走らせる。
「その女を殺して。本当は生け捕りが一番なんだけど、思った以上に生命力が強いみたいだから、殺す気でいった方がいいみたい。がんばってね」
「はあ!?そんなこと、できるわけ――」
『コ ロ セ』
それは、先ほどケースケが聞いた声だった。
本当に風香が出した声だったのだろうか?風香は小さく口に出した程度だったが、ケースケには脳に直接言葉を叩きこまれるような感覚を受ける。
逆らえなかった。先刻と同じだった。ケースケはその言葉を受けた瞬間、一瞬だけ意識が飛び、床のガラス片を拾い上げる。今度は一切の躊躇がない。傷口に手を当て、息も絶え絶えといった状態の雨音の首筋目掛けてガラスの破片を振り下ろす。
二度目であったため耐性がついたか、あるいは風香のサディスティックな嗜好からか、今回は意識だけははっきりしていた。ただし、意識がはっきりしているだけで、身体が言うことを聞かないというのは拷問のようなものだ。振り下ろした瞬間、ケースケは悲鳴を上げた。
「いってえええええええええええええええええええええええええええ!?」
「痛がるようにやったんだから、当たり前でやがります。それより、眼は覚めやがりましたか?」
問われ、ケースケは自分の意識がはっきりしていることに気付く。
事は単純だった。ガラス片を振り下ろそうとした瞬間、雨音の裏拳が飛んできて、ケースケの顔面を強かに打ちすえたと言うだけのこと。
大怪我をしているとはいえ、雨音の反射神経と身体能力はずば抜けている。不意打ちでこそケースケの攻撃を一太刀浴びる結果となってしまったが、警戒さえしていれば、眠っていても反応できる。再度ケースケに傷つけられる道理など、存在しないのだ。
とはいえ、雨音の負傷は軽いものではなかった。傷口から途切れなく血が滴っており、傷口を抑えている左手は真っ赤に染まっている。顔色は青を通り越して蒼白となっており、今にも倒れてしまいそうなほど足元が覚束なくなっていた。
「あ、雨音!?悪い、俺、また……」
「落ち着きやがってください。ケースケくんは、相手の魔術に操られたんでやがります。心配ないです。私は人間と違って、頑丈なんでやがります。この程度で死ねるなら、とっくの昔に楽になってやがります」
額に脂汗を流しながらも、努めてなんでもないという様子を見せる雨音。だが、彼女が弱り切っていることは誰の目にも明らかなことであり、強がりであることは明白だった。
風香はその様子を見て、上機嫌に指を振るう。
「あ~あ、そんなに簡単にはいかないかぁ。ほんと、シャッガイのしぶとさって、ゴキブリ並みで嫌になっちゃう。さすがは虫人間ってところね」
指揮者のごとく振るわれる指に合わせ、背後のショゴスがその形状を変えていく。
先ほどのような小さなショゴスではない。病院で見たのと同型の大型ショゴスだ。ケースケがスケッチで見た『ショゴスD型』というやつだろう。
そのショゴスは一部から無数の触手を槍衾のように生やすと同時、残りの身体が風香を守るように包み込む。それはまさに槍と盾を構えた重装歩兵。使い古されながらも決して突破できない堅固な型。ショゴス使い風香の戦闘態勢だった。
「この間捕まえた奴らも、両腕両足切り落として、ようやく大人しくなったくらいだし、あなたもダルマにしてあげたら大人しくなるかしら?お願いだから、手足がなくなっても死なないでね?あなたの身体は貴重な実験材料なんだから」
「…………」
雨音の側が劣勢であることは火を見るより明らかだった。雨音は手負いである上に、戦いの場は速さを十全に生かせない狭い室内。おまけにケースケという足手まといが一人いる。
ケースケ自身、自分が雨音の足を引っ張っているという自覚はあった。そもそも窮地に立たされる結果となった原因は自分自身の身勝手な行動のせいであり、その上、何もできない自分はあまりに情けなく、格好悪いと思う。
だが、ここで余計な見栄を張っても仕方ない。どれだけ格好悪くても、この場は雨音に頼る他はない。ケースケは雨音に身を寄せ、雨音にだけ聞こえる声でそっと語りかける。
「雨音、頼ってばかりで情けない話だが、病院の時みたいに空を飛んで逃げられねえか?誰かに目撃されるかもしれないが、そんなこと言ってる場合でもないぞ」
「…………」
ケースケとしては、この場で思いつく最善の策を話したつもりだが、雨音は暗い顔をして黙りこんでしまった。
とうとう愛想を尽かされてしまったのだろうか?彼女に恨まれてもおかしくないようなことをこれまで何度もしてしまった。この場で見捨てられても、それはそれで仕方のないことだとケースケは思ったが、黙りこんだ雨音からはそのような空気は感じられない。
ならば、何をそんなに迷っているのだろうか?疑問でケースケの眉が寄る。
「雨音?」
「……ケースケくん、時間がないから、よく聞きやがってください」
雨音はぱっと顔をあげると、真剣な表情でケースケを見つめる。
ケースケはその瞳にぞっとさせられた。ある種の覚悟を決めた者だけがする、悲壮な決意が宿った瞳。ケースケは雨音の眼差しから、そのような印象を受けた。
「ここを離れたら、すぐに和葉さんのところへ行きやがってください。私に言われたと伝えれば、後はあの人がすべてやってくるはずでやがります」
「は?ちょっと待てよ。何の話だ?そんな、自分は死ぬみたいな言い方……」
「時間がないでやがります!黙って聞きやがりなさい!」
雨音の気迫に押され、ケースケは口をつぐむ。
言いたいこと・聞きたいことはたくさんあった。目の前にいる風香やショゴスの挙動も気になった。だが、今この時、彼女の言葉を聞き逃してはならないという予感があった。




