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布槌奇譚~蟲愛ずる姫君~  作者: くろまりも
参ノ怪 鈴森螢助
19/42

カワイイコドモ

 どれだけ立ち尽くしていただろうか。そう長い時間ではないはずだ。ケースケは、こつんという硬い物同士がぶつかったような音で我に返った。

 音のした方向を振り返ってみるが、そこには窓があるだけだ。ケースケが首を傾げていると、小石が飛んできて窓ガラスに当たり、再びこつんと音を立てるのを目にした。

 外をのぞいた先には、雑草の伸びきった広い庭があった。ケースケがその中の茂みの一つに目を向けると、黒髪の少女と目があった。

 ケースケは窓を開けると、身を乗り出して、その少女に声をかける。


「おー、雨音じゃん。そんなとこで何やってんだ?」

「しーっ!声が大きいでやがります。あと、それはこっちのセリフでやがります。屋敷には行っちゃダメだって言ったのに、なんでここに居るんでありますか!」


 ぐうの音も出ない正論に、言い訳の言葉もない。

 雨音は周囲をきょろきょろ見回しながら、慎重に窓の下までやってくる。ああやって潜入するのが正解だったかと、ケースケは今さらながら思った。


「わりぃ。どうしても、風香だけには会っておきたくてな。もう帰るところだから、もうちょっとだけ待っててくれ」

「……妹さんにはどこまで話しました?今、そこに居やがりますか?」


 いつになく強張った表情で問いかける雨音。ケースケは首をかしげながらも、別段やましいことがあるでもなし、正直に答える。


「何も話してねぇよ。親父やお袋には、俺が生きてるってことは話さないでくれって頼んだくらいだ。あと、風香はここにはいないよ。詳しい話はそっちに行ってから――」

「今すぐ、そこから飛び降りてください。私が受け止めますから」


 焦るように話を打ち切り、両腕を開いて受け止める姿勢に入る雨音。予想外の反応に、ケースケはきょとんとした顔になる。何か失言したのかと考えるが、思い当たる節もない。


「……いや、普通に階段で下りるよ。5分もかからないから、ちょっと待って――」

「いいから!私がちゃんと受け止めますから、早く飛び降りやがってください!」


 明確な焦燥の声で訴えかける雨音に、ケースケはさらに戸惑う。だが、飛び下りろ言われて、簡単に飛び降りられるわけではない。

 男が飛び降りて、女が受け止めるというのはなにか間違っている気もするが、その点はいい。雨音の身体能力が普通ではないということは、病院の一件で実感している。

 それより問題なのは、やはり高さだ。2階とはいえ、決して低くない。飛び降りたところで死ぬことはないだろうが、着地に失敗すれば骨折する可能性もある。4階から飛び降りて死にかけたという経験から、若干の高所恐怖症になっていることも起因しているのだろう。雨音が受け止めてくれるとわかっていても、やはり躊躇させられた。

 反応の悪いケースケに、雨音が苛立たしげに言葉を重ねる。


「事情は後で説明します。大丈夫でやがりますから、早く――」


 と言いかけたところで、雨音の背後で草葉が揺れる音がする。

 雨音がさっと振り向いたそこには、ボールを手に持った少年がいた。ボールが敷地内に入ってしまったので、中までボールを取りにきたようだ。雨音が突然振り向いたことに驚いたのか、少年は目を見開いている。

 ケースケはその少年に見覚えがあった。街で風香と一緒に歩いていた少年少女のうちの一人だ。おそらく、近所に住んでいる子どもなのだろう。ともあれ、敵ではないということがわかり、ケースケはほっとする。


「ケースケくん」


 だが、ケースケとは逆に、雨音は少年を睨みつけながら、重く鋭い口調で告げる。


「今すぐ飛び降りやがってください!早く!」

「あー?」


 何を言っているのかと尋ねようとしたところ、ケースケの耳に聞き慣れた――できれば、二度と聞きたくなかった鳴き声が響く。


『てけり・り』


 ぞわりと鳥肌立つような感覚を受けながら、ケースケは少年を観察する。

 少年の表情は目が開かれたまま固まっており、その口は半開きで、先ほどから何度も同じ言葉を繰り返し呟き続けている。


『てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!』


 不協和音ともとれる異形の合唱は徐々に高まっていき、少年の目や口から、どろりと玉虫色の液体があふれ出してくる。

 液状だったはずのそれらは、徐々に硬度を増していき、槍のように鋭く堅く変化していく。そうしてできた玉虫色の槍には、いくつもの目や口がついており、そこからも不協和音の合唱が始まっていた。

 年端もいかない少年の目口から玉虫色の触手が生えるという悪夢のような光景に目を取られている場合ではない。槍のように鋭くとがった触手が、弾丸となって雨音へと殺到する。

 雨音の肉体は、すでに昆虫形態となり、臨戦態勢を整えていた。肥大化して針が生えた両腕で、それらを迎え撃つ。病院で見た個体より身体が小さいためか、触手の数も動きもあの時より劣っていた。当然、雨音は難なくそれをいなし、距離を詰めて少年の懐に潜り込む。

 少年の胴体に針を叩きこもうとした瞬間、雨音の動きが一瞬止まったことを、ケースケは見逃さなかった。まだ僅かに残る少年の面影が、雨音の攻撃を躊躇させたのだ。だが、それも本当に一瞬のこと。人間の姿のままであった子供の胴体に、いくつもの風穴が開いた。

 雨音の針が突き刺さった個所からは幾筋もの煙が上がっていた。先ほどとは少し違う悲鳴にも似た鳴き声をあげると、少年と触手は地面に倒れこんで、ばたばたと痙攣し始める。それは殺虫剤を振りかけられたゴキブリのように蠢いていたが、やがて動かなくなる。

 形を保っていたはずの触手も、少年の形を保っていた胴体も、動かなくなったと同時に融解を始めた。どろりとした玉虫色の液体は、ひどい腐臭をあげて地面に沁みこみ始めるが、まるで手品であるかのように急速に蒸発していった。

 後に残ったのは子供服とボールのみ。時間にすれば数秒のことだったが、たったそれだけの時間に、現実離れした消失事件を目にすることになってしまった。


「……くっ」


 文字通りの秒殺を決めた雨音だったが、瞬時に身を引き、バックステップで後退する。

 直後、先刻まで雨音がいた場所に、触手が突き刺さった。


『てけり・り』


 いつのまにか、庭には十数人もの少年少女が集まっていた。

 ある者は玄関の方から、ある者は裏口の方から、また、ある者は塀の上から身を乗り出し、獲物を逃がさないように四方八方を囲む形で現れた。

 少年少女たちの表情は豊かだ。笑顔だったり、怒っていたり、悲しそうだったり、実に様々な感情を顔に表わしている。だが、彼らの表情は貼り付けたように固まっており、表情筋はぴくりとも動かない。

 そして、極めつけとして、顔や、腕や、足や、腹や、実に身体のありとあらゆる場所から、玉虫色の触手が、皮膚を突き破って顔を出している。見た目が子どもであるだけに、それらはなんともグロテスクであり、不気味であった。


『てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!てけり・り!』


 少年少女たちによる、二重三重の合唱。恐怖よりも何よりも先に、生理的悪寒が背筋を走る。雨音も同じだったらしく、頬から血の気がうせ、冷や汗が流れる。

 一体二体を相手にするなら問題はない。ショゴスの肉体は堅固だが、雨音の毒針は、ショゴスにとって天敵ともいえる特性を持っている。二・三発、毒針を叩きこむことさえできれば、相手を無力化し、倒すことができる。

 だが、容易な相手というわけではない。素早さでは雨音の方が上だが、力では圧倒的にショゴスが上回っている。油断すれば、一撃で意識を刈り取られるのは、雨音の方だ。

 雨音が、窓辺に立つケースケに視線を送る。言葉にせずとも、言いたいことは伝わった。この状況では、逃げるが勝ちだ。


「……あ。風香!?」


 そこに至ってようやく、ケースケは自分のうかつさに思い至る。

 屋敷内には、事情を何も知らない風香がいる。この状況にあって、屋敷内に敵が侵入していないと考えるのは、あまりに楽観的すぎる。


「ケースケくん!?」


 雨音の声を背中で受け、ケースケは廊下に飛び出した。

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