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布槌奇譚~蟲愛ずる姫君~  作者: くろまりも
参ノ怪 鈴森螢助
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Who am I?

「あー、実は俺にも事情がよくわかってないんだ。うまく話せないんだけど、ひと段落つくまで家には留まれない。でも、絶対帰ってくるから、言う通りにしてくれないかな?」

「……そういう言い方はやめてよ。かえって不安になるよ」


 言外に含まれた不安を読み取り、風香は心配そうな瞳で訴えかける。ケースケは困った顔でそれを受け流すしかなかった。


「……お兄ちゃんがそうまで言うなら、何も聞かないけどさ。でも、なにか変なことに巻き込まれたんなら、ちゃんと相談してね?記憶が戻ってなくても、私たちは兄妹なんだから」

「あぁ、ありがとう、風香。父さんや母さんはうまく言いくるめておいてくれ。二人とも心配するだろうから、それとなくフォローも頼む」

「妹使いの荒いお兄ちゃんだなぁ」


 苦笑しながらも断らない妹を見て、ここに来てよかったとケースケは思った。

記憶がなくとも、自分を受け入れてくれる家族がいる。自分は一人ではなく、帰るべき家がある。それがわかっただけでも、大きな収穫だった。


「じゃあ、着替えるけど……せっかくだから、俺の部屋に案内してくれないか?室内を見れば、何か思い出すかも」

「ん、いいよ。ついてきて」


 風香は大して金持ちではないと言ったが、涼森家は外観通りとても広かった。大金持ちとまではいかないまでも、かなりの資産を持っていることは明らかだ。部屋数も多く、風香の案内がなければ、どの部屋が自分のものか分からなかっただろう。

 案内されたのは2階の一室だ。着替えのため、風香はすぐに出て行った。ケースケは新しい衣服に袖を通しながら、自身の部屋を見渡す。

 学習机といくつもの本棚。趣味と呼べるものは一つもなく、写真立てが一つあるくらいだ。本棚に並ぶ本も漫画の類は一冊もなく、外国語で書かれた分厚い書物もたくさんあった。ベッドやクローゼットなどがなければ、書斎かと思えるほどだ。

 記憶を失う前は勉強熱心な人間だったのだろうか?それとも、ここは勉強と就寝のためだけの部屋で、趣味の道具は別の部屋に保管されているのだろうか?自分の頭の回転の悪さを考えると、後者が正しいのだろうとケースケは判断する。厳格かつ金持ちの父親だったのなら、勉強部屋と趣味の部屋を分けるようなことだってするだろう。


 ケースケは机の表面を軽く撫でた。上質なオーク材の机で、古いがかなり使いこまれているようだ。埃はほとんどなく、バインダーがいくつも並ぶほか、覚え書きと思われるルーズリーフが何十枚も積み重なっている。書類の横には、使い込まれてグリップ部分がへこたれているシャープペンシルが転がっていた。

 ペンを手にとって、くるくると回してみる。こういうことは記憶をなくしてもできるものなんだなと変な関心を抱く。

 部屋に置いてある一つ一つが記憶の片隅に引っ掛かり、むずむずと何とも言えない居心地の悪さを感じる。だが、記憶回復からは未だに遠く、喉元まで出かかっているのにあと一歩で出てこない感覚は相変わらずだった。

 小さく、失望のため息を吐く。

 少なからず、期待していたのだ。風香と出会っただけでも記憶を刺激されたのだ。我が家に戻れば、記憶が完全に戻るのも夢ではないと。だが、現実はそう都合よくはいかないようだ。

 雨音も言っていたが、焦って記憶を取り戻す必要もない。どのみち、あのショゴスとかいう化け物をどうにかしない限り、安心して日常生活を送ることもままならない。雨音たちの忠告を無視して日常に戻ることも可能ではあるかもしれないが、あんな怪物がどこかに潜んでいると思いながら生活するなんて、想像するだけでぞっとする。

 やはり、雨音の元に戻るのが一番なのだろう。とりあえず、置き去りにしてしまったことを謝らなくちゃなと考えながら、ケースケはなんの気なしに机上の書類を手に取る。


「…………え?」


 最初、そこに描かれているものがなにかわからなかった。そのスケッチは非常に丁寧で、精密に描かれていたが――いや、精密に描かれていたからこそ、現実感がわかなかった。玉虫色に輝く体色、体表に浮かぶ無数の目や口、肉体から生える幾本もの触手。その生物を見たことのあるケースケであっても、それは容易に容認できない非現実的な怪物だった。

 SHOGGOTH-TYPE.D……そのスケッチには、そう題名づけられていた。


「ショゴス……タイプD?」


 ケースケの声は恐怖で震えていた。あれと同系列の怪物が他にも最低三種類はいるであろうということに対する恐れではない。本来なら一般人が知る由のない怪物のスケッチが、他ならぬ自分自身の部屋から出てきたことに対してだ。

 見たくない現実から逃れるように、ケースケは後ずさって机から離れる。だが、本人が信じたくない事実であっても、そのスケッチが消えることはない。後ろに下がったケースケの身体が本棚にぶつかり、何冊かの本が床に落ちて散乱した。


「あ……」


 自分で落とした本に驚いて、視線が床で止まる。

 本はラテン語で書かれていたため、ケースケには理解することができなかった。だが、文章とともに記されている魔法陣やおどろどろしい挿絵は否応なしに見えてしまう。

 それは、ただのオカルト本と呼ぶにはあまりにも出来がよすぎた。本屋で売られているようなチープなオカルト本ではない。革装丁の羊皮紙の書物で、素人目でも年代物だとわかる正真正銘の魔道書だった。

 たまたま落ちたのがそれだったのだろうか?いや、違う。よくよく見れば、本棚に敷き詰められている本は、すべて似たようなものばかりだった。


「涼森……螢助」


 ケースケは自分の名前を――自分であるはずの名前をつぶやく。

 それは自分自身のものであるはずなのに、黒い沼の底に住む得体のしれない怪物の名前であるかのようだった。彼は初めて、これ以上記憶を思い出すことに恐怖を覚えた。いっそのこと、一生記憶喪失のままでいたいとすら思った。


「おまえはいったい、何なんだ?」

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