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布槌奇譚~蟲愛ずる姫君~  作者: くろまりも
弐ノ怪 八城博物館
15/42

怪物

「私がシャッガイとしての本能に目覚めたとき、初めに感じた欲求は、『食べたい』っていう気持ちだったんですよ」


 まだ成人にも達していない少女とは思えないような重みがその声にはあった。彼女の声だけで、ケースケは改めて、彼女が普通の人間ではないということを思い知らされる。


「ただの食べ物をいくら食べても満たされない、特定の食べ物を食べたいと思う強い欲求。その欲求は食欲というより性欲に近いんでやがります。欲求が満たされなくても死にはしないんですが、ひどく喉が渇くような飢餓感に常に襲われ続けるんでやがります」

「……なんだよ、その特定の食べ物って?」

「なんだと思います?」


 想像はついているんでしょう?と、雨音の瞳が語りかけてくる。ケースケはごくりと生唾を飲み込み、口を開いた。


「ハンバーガーとか?」

「怒りますよ!?ケースケくんの頭が悪いのはそろそろわかってきやがりましたが、せめて空気読みましょう!?今、そういう空気じゃなかったですよね!?」


 雰囲気をぶち壊しにされ、雨音は涙目になりながらケースケの頬を思い切り引っ張る。

 ケースケは、『はて、自分は何か変なこと言ったかな?』といった顔で、大人しくされるがままになっていた。

「……人間、ですよ。本来、シャッガイの主食は人間なんでやがります。その他の食料は栄養にはなっても、あくまで疑似的なものです。いくら胃が満たされても、人間を食べたいという欲求が和らぐことはないんでやがります」


 ケースケから手を放し、雨音は改めて真剣な顔になる。その瞳は少し困ったような、泣きそうなようなものであり、口には自嘲気味な笑みが浮かんでいた。


「ショゴスの肉体を溶かしてみせた強酸を見たでしょう?あれは本来、人間をドロドロに溶かして液状にしてから啜るためのものなんでやがります。加えて、人間をさらうための飛行能力、人間に近づくための擬態能力……なにもかも、人間を襲うための能力でやがります」


 玉虫色の怪物の触手が、雨音の針を刺された瞬間にドロドロに溶けたことを思い出す。

 あれだけ強大な生物を一瞬で玉虫色のスープに変えてしまったのだ。人間など簡単に溶かされてしまうだろう。

 だが、ケースケは、雨音が人間を襲う場面を想像できなかった。いや、想像したくなかったというのが正しいのかもしれない。自分を守るために命がけで戦ってくれた彼女が、液状と化した人間の死体をすする様など、考えたくもなかった。


「……雨音はあるのか?人を襲ったこと」

「ありますよ」


 しかし、ケースケの甘い期待を、雨音は一言で否定した。雨音は、自分が口をつけたバーガーの残りに目を落とし、努めて感情のこもらない言葉で続ける。


「私が、初めてシャッガイとして覚醒した時。私は本能を抑えることができなくて、周囲にいる人たちを襲いました。彼らの私を見る目……今でもはっきりと覚えてやがります。文字通り、化け物を見て怯えている瞳でした」

「……食ったのか?そいつらを」


 この質問に対しては、雨音は首を振った。内心、ケースケはほっとするも、雨音の顔はまったく晴れていなかった。


「私を見る人たちの目が怖くて、我に返ったんです。全員、病院送りにはなりましたが、死人はなく、食べてもいません。でも、そんなの何の慰めにもならないんでやがります。今、人間を食べていなくても、いつかは食べてしまう日が来る。遅いか早いかの違いで、いつかは抑えられなくなって、食べてしまう日が来る。……それがわかるんです」

「…………」


 それは、いったいどんな気持ちなのだろう。

 雨音は自分のことを人間だと思っていたのだ。ごく普通に育てられ、ごく普通に学校に通い、ごく普通に友達と遊んでいた少女だ。

 だが、ある日突然、自分が怪物であると知ってしまった。

 ヒーローや超能力者とは違う。それらは紆余曲折あれど、最終的には大衆に認められる存在だ。雨音はその逆。人間の敵となることが運命づけられ、人々から忌み嫌われる怪物だ。

 選択の自由など、そこにはない。彼女は生まれながらのシャッガイなのだから。彼女に選べる道は、本当の自分を隠し、いつかばれるのではないかという恐怖を胸に抱いたまま生き続けるか、怪物としての運命を受け入れ、武装した人間たちに退治されるかしかない。


「ねぇ、ケースケくん」


 雨音が悲愴な瞳で見つめる。儚げな空気を見に纏った彼女は、美しくも可憐で、今にも霞のように消えてしまいそうだった。


「私は怪物だと思いますか?それとも、人間だと思いますか?」


 ケースケには、雨音にかける言葉が思い浮かばなかった。

 彼女が自分の宿命について思い悩んでいることは、顔や声でわかった。だが、シャッガイではないケースケには、適切な言葉をかけてやることができない。

 彼女は人間だ、と言ってやるのは容易い。だが、それでは雨音は納得しないだろう。彼女が人間ではないことは覆らない事実なのだから。どれだけ綺麗事を並べても、彼女と同じ悩みを抱えたことのない人間の言葉など、真に心に届くことはないだろう。


「雨音はさ」


 だからこそ、ケースケは問いかけた。


「自分はどっちだと思ってるんだ?人間か、怪物か」

「……人間でありたいとは、思ってますよ」


 ケースケは頷く。ならば、答えは簡単だ。


「じゃあ、雨音は人間なんだろ。答えは出てんだから、悩むことなんてないだろ」

「……ケースケくん、そういう話じゃないんでやがりますよ。さっきも言ったとおり、私はいずれ、欲求を抑えられなくなって人間を食べてしまう日が来ます。生きるために必要でもないのに人間を食べる怪物なんて……どんな言い訳をしても、人間とは言えないでしょう?」

「そんなもん、その時になってから考えればいいだろ」


 何とも言えない微妙な顔をする雨音に気付き、ケースケは、あのな?と、一つ前置をして話を続けた。


「俺、バカなんだよ」

「知ってるでやがります」

「……おう、即答されたのがちょっと腹立つけど、それは置いとこう。俺は馬鹿だからよ?たらればだとか、もしもだとか、そういう先のことなんか考えられる脳みそしてねえんだよ。俺にわかるのは、今、雨音は人間でいたいって考えてるってことだ」


 自分でも伝えたい気持ちが言葉にまとめられていないのだろう。たどたどしい言葉で、時折考え込みながら、ケースケはゆっくりと話す。

 それは会話としてはもどかしく、つい口を挟みたくなるほどだったが、雨音はただ黙って聞いていた。彼がこれほどまでに長く難しい言葉で話すのは初めてであり、それだけでも、ケースケが自分の問いに対して真剣に考えてくれていることが伝わってきたからだ。


「だったら、悩む内容間違えてんだろ。雨音が悩むべきなのは、自分が人間かそうじゃないかじゃなくて、どうやったら人間を食べずにいられるか、だろ」

「…………簡単に、言わないでください。ケースケくんはシャッガイじゃないから、この感覚がわからないんでやがります。この衝動を抑え込むのは、生半可なものじゃない。地獄の苦しみと言っても過言じゃないんですよ?」

「地獄の苦しみだって言うなら、死ぬ気で耐えろ。それで耐えられなかったのなら、雨音の人間でいたい気持ちがそれまでだったってことだ。それならそれで、いいじゃねえか。その時は、シャッガイとして気持ち良く生きていくにはどうすればいいかを考えようぜ」


 最終的に精神論になってしまったことに気付き、ケースケは自分の短絡思考と語彙の少なさに溜息を吐く。ひどく喉が渇いていたので、バーガーと一緒に買ったドリンクを一気飲みした。慣れない頭の使い方をしたので、先刻から知恵熱で頭が焼き切れそうだった。


「雨音が人間かそうじゃないかなんて、結局のところ、俺が何言っても答えにならねえよ。答えを出すのは雨音自身だ。雨音が、自分は人間だって言うなら、それが答えなんだろ」

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