神話生物
八城博物館は大きく分けて5つのブースに分かれており、それぞれ『神話の間』『宝石の間』『戦士の間』『未来の間』『生物の間』と名付けられている。
ケースケが初めに見たのは、そのうちの『戦士の間』であり、刀剣や鎧といった武器類・防具類が展示されていた。洋の東西にこだわらず織り交ぜられており、中にはどうやって使うのかよくわからないものまで混ざっている。
この手の無意味で非効率な武器類というのは男心をくすぐるものがある。ケースケは興味津々といった様子で眺め始めるが、和葉はそれを引っ張って2階フロアへと連れて行く。
2階フロアにある展示スペースは2つ。そのうち、『未来の間』も無視し、和葉はケースケを最奥の『生物の間』へと連れて行った。
怪しさと胡散臭さを足して2を掛けたような八城博物館内において、『生物の間』はことさらに不気味な雰囲気を醸し出していた。
『生物の間』に入ってすぐの左右には、『ダゴン』『ハイドラ』と掲題された、巨大な魚人間の標本が飾られていた。猿と魚を合わせて作られたという人魚のミイラと同じで、これらもきっと偽物だろう。こんな生物が地球上に存在するわけがない。
頭の中ではそう思っていても、それらはまるで本物の標本であるかのような質感をしており、今にも動き出しそうな威圧感を放っていた。ここには、そういった架空生物の標本や剥製が、所狭しと並んでいた。
地球上に存在するはずのない架空生物の展示室。それが『生物の間』だった。
しかし、ケースケには、それらをただの妄想の産物と片づけることはできなかった。
というのも、彼の目の前には、忘れようとも忘れられない怪物が鎮座していたからだ。
『生物の間』のブースに入って真正面に位置する、ガラス張りの巨大なショーケース。それはどうやら中が大きな冷凍庫になっているようであり、外からでも冷気が感じ取れた。そして、そこには氷漬けの『巨大な玉虫色の生物』が入っていた。
それは見間違いようもなく、昨夜病院を襲ったあの玉虫色の怪物だった。
展示物の説明文には、『北極で発見された氷漬けの液体生物・ショゴス』と書かれている。ガラス越しでも感じられるその威容に、ケースケはただただ気分が悪くなった。
「……これ、なんだよ」
「ショゴス。地球上において、もっとも危険な生物の一つと言われているわ。性質は極めて凶暴。動くものなら何でも食べるほど食欲旺盛で獰猛。力は強いが、知性は低い。魔術耐性が低いから、魔術師ならペットのように使役することもできるわね。繁殖させるには手間がかかるけど、需要はあるから、ショゴスの養殖を専門とする魔術師なんかもいるわ」
「話が長くてわからん。短く頼む」
「要するに、大きくて強いスライムよ」
「おー、なるほどー。こんなのいるのか。すげーなー」
「……あなた、バカだって言われたことない?」
「うっせぇよ!雨音にも言われたよ!自分でもそうじゃないかなって、薄々自覚してるよ!バカで悪いか!バカって言った方がバカなんだぞ、このバーカ!」
ケースケがぴょんぴょん跳ねながら、全身で怒りをアピールするのを見て、和葉は育児疲れの母親じみた溜息をついた。
「あのね。魔術師だとか、ショゴスだとか、そんなファンタジーじみた話を聞いて、鵜呑みにしてどうするのよ。もう少し疑問に思ったり、嘘を疑ったりしてみたら?」
「あ?和葉、嘘ついたのか?」
「嘘をついたわけじゃないけど……」
「じゃあ、いいじゃねえか。さっきも言ったけど、俺は頭わりぃんだ。そんなぽこぽこ悩んでたら、すぐに頭が破裂しちまうだろうがよ」
ならば悩むだけ無駄だとでも言うように、ケースケは和葉の話をあっさりと受け入れてしまう。それどころか、早く話の続きを話してくれと目で訴えてくる。
そんなケースケの反応に、和葉は驚いたような拍子抜けしたような顔になる。
「……あぁ、なるほど。雨音ちゃんが悩むのも無理ないわね」
「おー、雨音、なんか悩み事あんのか。大変だな」
「あなたのせい、なんだけどね……。まぁ、いいわ。あなたに細かいことを説明しても無駄だってことはよくわかったから、簡潔に話すわ。つまり、この世にはね。あなたの知らないような生物がたくさん隠れ住んでいるの。神話や伝説で語られているような化け物がね。そういうものたちのことを総称して、私たちは『神話生物』と呼んでいるわ」
「神話……えっと、つまり、スカイフィッシュみたいな?」
「それは未確認生物。だけど、まぁ、そういう認識で構わないわ」
和葉はケースケの頭の悪さを考慮して説明を省いたが、神話生物と未確認生物は似て非なるものだ。『未確認扱い』であるのは共通だが、『存在は確認されているが、未確認という扱いにしている』というのが正しい。
神話生物の定義は、科学では証明できないような身体構造を持った生物のことだ。突然変異や特異能力といったレベルのものではない。それこそ『神の御業』としか言い表わすことのできないほどの異質なものだ。
では、なぜそれらが『未確認扱い』なのか。それは、現代社会の根本である『科学信仰』が揺らいでしまうからである。
科学というのは一種の信仰であり、偶像を持たない神の名前だ。この世のすべては科学で証明できるという考えはつまり、科学という神に対する狂信に他ならない。人間は何千年もかけて頭が良くなったつもりでいるが、その行動原理は昔とほとんど変わっていない。
かつて、宗教の狂信的な徒は、自分たちの教義に反する教えの宗派を弾圧し、自分たちの教義では証明できない事柄を考えることを背信であると断じたことがある。
現代でもそれは同じであり、魔術や魔法といった科学の考えに反する考えは密かに弾圧され、科学では証明できない身体構造を持つ生物は『存在しないもの』として扱われた。そういった『科学の狂信者』からの弾圧を避けるため、現代の魔術師たちは世間の目を逃れるように研究を重ね、魔術師や神話生物による事件は巧妙に隠されている。
――といった事情があるのだが、ケースケに話しても絶対に理解できないし、何より長々と説明するのが面倒くさかった和葉はそのあたりの事情を大幅に割愛した。なにより、神話生物=未確認生物という認識でも特に問題なかったからだ。
「ん?じゃあ、もしかして、雨音も神話生物ってやつなのか?」
ふと思いつき、ケースケはその考えを口にする。
雨音は、ショゴスと対等と言わないまでも、ある程度は渡り合えるだけの戦闘力を持っていた。加えて、一見すればただの人間としか思えない外見と知能も有するが、昆虫のような羽と針を出した姿は明らかに人間ではなかった。神話生物=未確認生物と考えるなら、雨音もそうなのではないかと考えたのだ。
和葉は返事をする前に、一つのショーケースの前まで移動した。そこには、人間の等身ほどもあろうかという巨大な昆虫の羽が飾られている。
それをみたケースケは息を飲む。それは、昨夜彼が見た、雨音の背中から生えた羽にそっくりに見えたからだ。
『昆虫人間・シャッガイの羽』
説明文には、短くそれだけ書かれていた。