八城和葉
ちらりと雨音の方に視線を向ける。
相変わらず愛らしい寝姿で眠り続ける雨音。命の恩人であるとわかっていても、聞かずにはいられなかった。本当は雨音に直接聞くべきなのかもしれないが……同時に雨音が眠っているうちに聞いておきたいという気持ちもあった。
「そうね。普通なら知らないままの方がいいんだけど……あなたは知っておいた方がいいわね。ここで話すのもなんだし、お茶でも入れてゆっくり話しましょうか」
和葉は部屋の扉を開けて振り向く。ついて来いという意味のようだ。
無論、ケースケに断る理由はない。おとなしく和葉についていこうとして……自分が素足であることを改めて思い出した。
「なぁ、スリッパとかないか?」
「え?あぁ、ごめんなさい。着替えと履き物ならベッド脇に置いてあるから、着替えてから外に出て。私は扉の向こうで待ってるから」
そう言い残し、和葉はさっさと部屋の外に出る。あとには可愛らしく寝息を立てる雨音と寝間着姿のケースケだけが残された。
眠っているとはいえ、家族でもない女性の近くで着替えをするのは気恥ずかしかったが、文句を言おうにもその相手はすでに部屋の外。今さら追いかけるのも面倒だったので、ケースケは用意されていた衣服を手に取った。
用意されていた衣服は二山あり、片方は明らかな女性ものだった。
こちらはおそらく雨音のために用意されたものだろう。リボンをあしらえた少女風のものであり、やや乙女チックではあるが、生地は悪いものではなく、雨音がこれを着たらさぞ愛らしいことだろう。よく考えれば、雨音がまともな衣服を着ている姿を見たことはなく、彼女がこれを着た姿を想像して、ケースケは少し顔を赤らめる。
ハッとなって我に返ったケースケは、バカな妄想を振り払ってもう一つの山を手に取る。
ジャージだった。
「…………」
三秒ほど思考停止した後、引っくり返したり、他に服がないか探したりしてみたが、これ以外に自分が着るべきものは見当たらない。
いろいろ世話になった上に衣服まで与えてもらったのだから、そのチョイスに文句を言うのは筋違いかもしれないが、雨音との扱いの差に納得のできない気持ちになる。
「……これ、寝巻きのままと大差なくね?」
ぶつぶつ文句を言いながら、着替えようとして、ケースケはふと思いつく。
――もしかして、こっちの少女風の服は雨音用ではなく、自分のためのものではないだろうか?
女性ものではあったが、まだ若い上に、男性の割には線の細いケースケなら、着れなくもないサイズ。試しに袖を通して見ると、胸の部分にややスペースができたが、ウエストやその他の部位はそれほど問題なかった。
スカートとニーソックスを身につけ、ローファーを履……こうとしたが、これだけサイズが合わなかったので、もう一つ用意してあった運動靴を履いた。近くにあった化粧台で首元のリボンの形を整えてから外に出る。
部屋の外は短い廊下になっており、先ほどまでいた部屋を含めて、扉が左右に合計で六つ。さらに、突き当りに一つ。扉の間隔が狭いので一つ一つの部屋は小さいのだろうが、一般家屋にしては明らかに広かった。
和葉は本を片手に、壁に寄り掛かって立ち読みしている最中だった。それほど長い時間でもなかったはずだが、活字中毒というものなのかもしれない。
「おー、お待たせ」
「あら、思ったより時間がかっ……」
本から顔を上げた和葉が、発言の途中で噴き出した。
そのまま、本に顔をうずめて、笑いを押し殺している。
ケースケは、自分の服装がなにかおかしかったかと思って見直してみる。トップスは女性らしい柔らかい印象を与えるラウンドカラーシャツにボレロ。首元のリボンと明るいタータン柄のプリーツスカートは少女らしさを演出している。唯一、靴が運動靴なのが合っていないが、若さと活発さからそれほど違和感はない。
まぁ、衣服がどれだけ愛らしかろうと、包帯でぐるぐる巻きにされている顔では、『怪奇!ミイラ少女!』といった風情にしかなっていないのだが。
「おー?なんかおかしかったか?」
しかし、ケースケは自分自身の格好のおかしさに気付かず、首を捻る。
あまりに和葉が笑うものだから、自分がおかしなことをしてしまったのではないかという気持ちが徐々に湧き出てきた。
「い、いえ、似合ってるわよ?怖いくらいに。い、一応変装はしておくに越したことはないものね?それなら、誰が見てもあなただとは、き、気付かないわ」
よほどツボに入ったのか、和葉はしばらくの間、眼尻に涙を貯めて、くつくつと笑う。
その間、ケースケは廊下を見回して屋内の様子に目を配る。しかし、先ほどの部屋にもこの廊下にも窓はなく、ここが一体どのような施設なのか見当もつかなかった。
「……聞き忘れてたけど、ここってどこなんだ?病院じゃないよな?」
「あなたたちがいた病院なら、昨日の騒ぎで一時的に封鎖よ。あれだけ設備が整ってる施設を遊ばせておくわけがないでしょうから、近く再開するでしょうけど……まぁ、それまでは立ち入り禁止でしょうね」
「昨日の騒ぎ……あれ、どうなったんだ?」
「表向きには、集団失踪事件になってるわね。あなたたちも含めて、あの時間・あの場所にいた人間は、全員行方不明者扱いよ。つまり、あなたたち以外、全滅ってこと」
「行方不明……」
違う。あれは行方不明などではない。みんな、あの怪物に食われたのだ。ただその場にいたという理由だけで。老若男女の違いもなく、何の関係もない人間が大勢。
ケースケは別に正義感が強いわけではない。だが、その事実には吐き気がした。自分が助かったのはただの運でしかない。雨音と知り合いであったというだけの運だ。
「……あまり思い詰めない方がいいわよ?ただでさえ、これからいろんなことを聞かされるんだから」
少し険しい顔をしていたのだろうか。和葉がそんなことを言ってくる。彼女は突き当りの扉の前まで歩みを進めると、一度ケースケの方を振り返った。
「ところで、あなた、美術館や博物館には興味がある方?」
「あー?頭使うのは苦手だなぁ。恐竜とか巨大生物とか、頭使わずに見れるようなのは割と好きだけど、芸術とかはさっぱりだ」
「芸術だって、そんなに頭を使う必要はないわよ。パッと見て、綺麗だとかかっこいいだとか、そんな風に感じることができれば十分だわ。まぁ、芸術作品はともかく、化石なんかを好きなら楽しんでもらえそうね」
「楽しむ?」
和葉は薄く笑みを浮かべると、扉を開く。
「……うわっ」
まず目に飛び込んできたのはショーケースに収められた刀剣類だ。扉のすぐ脇には西洋風の鎧と東洋風の鎧が並んで鎮座されている。右手奥の方に視線を向けてみれば、そこには大きな鐘が飾られており、他にもいくつものショーケースが並んでいた。
それら展示品はまとまりがなく、粗雑で、怪しいものばかり。だが、一目見た瞬間に、見てはいけないものを見てしまったような、それでも惹きこまれてしまうような魅力があった。
「ようこそ、八城博物館へ。気に入ってくれたみたいで嬉しいわ。『みんな』もあなたのことを気に入ったみたい。そういう人は少ないんだけどね」
展示物をまるで生きているかのように語る和葉の言葉を、ケースケは訂正する気になれなかった。一般的な博物館や美術館とは違い、ここに展示されているものたちは不思議な生命感にあふれていて、博物館というより動物園のように感じられたのだ。
「改めて、はじめまして。私は八城博物館館長の八城和葉」
呆然と展示物に魅入るケースケに、和葉は囁きかけるように話す。その声は甘く、聞く者にどんな言葉でも受け止めさせる魔力が込められているようであり――
「副業で、魔術師をやっているわ」
それはまさに、童話に出てくる魔女のごとき風情だった。