第九十九話 魔獣ヒドラ捕獲作戦 ①
フィロフィーがヒドラ用の檻を完成させたため、十七番はヒドラ捕獲作戦に参加することになった。
実のところ、十七番にはレナの安定剤としての期待もあったらしい。最近はレナの情緒も落ち着いてきていて、それもあっての今回の配置転換になった。
レナは他の見習い巫女にも少しずつ馴染み始めている。身分を隠して気軽に話しているところを見ると、やはり本質は『人当たりが良い』のかもしれない。
――その彼女をもう一度地獄に落とすだろう十七番に、回復を祝ってあげることはできないが。
それはさておき、十七番はヒドラ捕獲のため、イセレムの南西に広がる森へ来ている。
同行メンバーはフィロフィーとバンケツとロイド団長、それにヒドラ保護区の管理者である、テルフレッドを含めた五人である。スミルスが領地に帰って抜けた穴に、十七番が入った形だ。
南西の森はヒドラ保護区になっているが、『保護区』と言っても何か手入れがされているわけではなく、人間の立ち入りを禁じているだけのただの森だ。
ただし面積は相当なもので、ちょっとした貴族の領地よりも広い。それだけの土地をヒドラのために確保しているのだから、キイエロ王国はよほど回復魔法の魔導書を重要視しているのだろう。
森に入った捕獲隊は、フィロフィーを先頭に進んでいる。
フィロフィーは索敵に自信があるらしく、見通しの悪い森の中でもペースを落とさず進んでいくが……彼女のリュックサックから覗くウサギ人形と目があうたびに、うしろを歩く十七番は不安になった。
もっとも、フィロフィーは魔物や危ない場所を次々と指摘してみせたので、すぐに無用な心配だとわかったが。
「そう言えばバンケツさん、前々から気になっていたことがあるのですが」
探索中、十七番はいい機会だと思い、すぐ横を歩くバンケツに声をかけた。
……とりあえず、彼とのアレコレは気にしない。そう心に決めた十七番である。
「おう、なんだ?」
「バンケツさん達は傭兵ですが、どこかの貴族に仕官しようとは思わないのですか? 皆さんほどの実力的があれば、この国の騎士にだってなれそうに思いますが」
「む……」
バンケツはキョトンとしたあと、殿をつとめる団長の方をちらりと見た。
そんな彼の表情の変化を、十七番はよくよく観察する。
十七番の質問は、実はカマトトもいいところである。
レナがレモナ王女で、スミルスとフィロフィーが貴族なら。
バンケツと団長はキイエロ王国の騎士、それも精鋭である近衛か何かだろうと予測がつく。
あとはこの質問にどう答えるのかで、この二人の身分にも裏が取れる――
「騎士になりたいとはこれっぽっちも思わんな。自由気ままな傭兵暮らしの方がずっと良い」
「え?」
――かと思いきや、返ってきた答えは十七番の予想に反し、騎士を拒絶するものだった。
「えっと、どうしてですか?」
「あー、実は昔、俺達に騎士にならないかという話はあったんだ。当時は俺も若かったし、その気になったものだがな……そこから色々と忌々しい事件に巻き込まれて、話そのものが立ち消えたのだ」
バンケツは最後には「今は騎士なんて、頼まれたってやりたくない」と苦々しい顔で呟いた。
その様子はとてもではないが、身分を偽るための嘘には見えない。
(もしかして、彼は本当にただの雇われ傭兵? ですが、ただの傭兵がレモナの警護をするとは思えませんが……いえ、そもそもどうしてタイアとレモナは別々の馬車で神院に……)
十七番はうつむいて考えこむ。
手に入れた情報は、ただでさえ穴だらけの虫食い状態だ。少しでも情報の精度を高めようとしたら、またわからなことが増えてしまった。
――もしかして、先日見たスミルスとタイアのやり取りは、狐に化かされただけではないか?
そんな考えすら浮かんで来ている。
そんな十七番を見て、バンケツは少し焦りをみせた。
彼は自分が十七番を不快にさせてしまったと勘違いをしたらしい。
「それにしても、本当にヒドラは見つからんなぁ」
「そうですねぇ。私ですら、かれこれ一ヶ月は見てませんし……」
バンケツが話題転換のつもりで大きな声でつぶやいて、それを拾って同調したのはテルフレッドだった。
テルフレッドの思わぬ言葉に、十七番はハッとして顔を上げる。
「……あれ? 確か皆さんは、もう何度も保護区の視察をしてるんですよね?」
十七番の疑問の声を上げると、今度は先頭のフィロフィーが立ち止まって振り向いて、残念そうに首を振った。
「はい。確かに視察には何度も来てますが、実はまだ一度もヒドラに出会えてないのですわ」
「僕とバンケツは泊まりがけで森の奥にも行ったんだけど、探す場所が悪かったみたいでね……」
「ヒドラは本当に数が減っているのです。幸か不幸か、近年はついに密猟者すら来なくなりました」
フィロフィー、団長、テルフレッドが口々に答える。
「だから本当に、ジーナさんがこちらに参加して下さって助かりましたわ」
「……え?」
「あ、そう言えば彼女は魔寄せ体質なのでしたね」
気がつくと、仲間達は期待に満ちた熱い視線を十七番へと向けていた。
「ジーナさん自身は日常生活に苦労しているのでうらやましいとは言えませんが、こういう時には頼もしい限りですわ」
「そうですねぇ。このまま神院で働いて欲しいくらいです。よかったら見習い巫女修行をちゃんと修了して、そのあと私の元で――」
「な、テルフレッド様! 人材の横取りはいただけませんわ! わたくしが先に見つけたのですからね!」
「じょ、冗談ですよ、冗談」
目を剥いて怒るフィロフィーを、テルフレッドが苦笑しながらなだめている。
一瞬だったが、フィロフィーの怒り方はずいぶんと苛烈だった。横取りに何か嫌な思い出でもあるのだろうか?
そんな二人のやりとりを眺めながら……十七番は自分の背中が汗でじんわり冷たくなるのを感じる。
実のところ、今までに襲ってきた魔物は全てグックスの差し金だ。十七番に魔寄せの力など全くない。
「どうかしたかジーナ?」
「いいえ!? な……なんでもありません」
『ヒドラ保護区』と言うくらいだから、魔寄せがなくともヒドラの一匹や二匹は見つかるだろう……そんな風に気軽に考えていたが、十七番はここにきてようやく状況のまずさに気がついた。
――否、まだヒドラが見つからないと決まったわけではない。
十七番は運が良い方だ。いろいろとハプニングがあったもののレモナのことは見つけたし、こうして懐に潜り込めている。
テルフレッドだって、裏を返せば一ヶ月以上前にはヒドラを目撃しているのだ。今日中……は無理でも明日か明後日には、ヒドラの一匹や二匹見つけるのでは?
「きっと見つかりますよ。私のこの体質が役に立てればうれしい限りです」
……大丈夫だ、きっと見つかる。
十七番は信じて開き直り、会心の笑顔で一同に見栄を切った。
* * * * *
――数日後。
「お役に立てず、申し訳ありません!」
神院のとある会議室に、頭を下げる十七番の姿があった。
あれから場所を変え時間を変え、最近は泊まりがけで遠征に出てヒドラを探し続けてきたが、その痕跡すら見つける事ができていない。
予定調和もいいところである。
「頭を上げてくださいジーナさん。わたくし達の方こそ、プレッシャーをかけたみたいになって申し訳ありませんでした」
「というより、ジーナと一緒でも駄目となると近場にヒドラは居ないんだろうね。ちゃんと他の魔物は寄ってきてたし」
「…………え、いましたか?」
「あれ、気づいてなかった? 時々鳥型の魔物が君の上空を旋回してたよ。襲ってはこなかったけどね」
おそらくそれは、グックスの寄越した監視だろう。
十七番が気にしていたのは、ヒドラが見つけられないだけならまだしも、他の魔物にもあまり出会わなかった事だ。魔寄せを疑われているかもしれないと心配していたところだったので、ホッと胸を撫で下ろす。
「そういえば、鳥型の魔物は近寄ってきても攻撃まではしてこんな。フィロフィー、何か理由があるのか?」
「ジーナさんの魔寄せに抵抗できるくらい、逃走本能が強いのかもしれませんわね。鳥型は天敵から飛んで逃げられることを最大の武器にしていますから」
今回はグックスの支配下にいたから襲ってこなかっただけだろうが、フィロフィーの推測も強ち間違いとも言えない。
グックスが「鳥型の魔物はすぐに逃げるから捕獲は難しい」とボヤいていたのを、十七番は覚えている。
グックスは他の魔物を探すときに鳥型に空から獲物を探させているので、鳥型は必要不可欠だ。そのため彼は鳥型の魔物は使い潰さずに、安全な偵察などしかやらせない。
祖国では飼育用の鳥ドームまで持つ彼に、ついたあだ名は『鳥フェチ』である。
(……やはり、彼に頼むしかありませんね)
そう、グックスなら鳥型の魔物で、ヒドラだって簡単に見つけるはずだ。それを彼の魔法で操ってもらい、十七番に寄ってきた様に見せてもらうしかあるまい。
『賢者』の拉致にちゃんと協力する意思を伝えれば、たぶん手伝ってくれるだろう。
「焦っても仕方ありませんわね。明日の安息日は御休みにしますが、次の日からは数日かけて、保護区東部まで行きましょう」
フィロフィーがあきらめ気味にそう言って、その日のミーティングは終了した。